2016年02月26日

【第2の聖書】再臨したイエス・キリストの写真と御言葉

読者から情報提供で『心身の神癒』という本がある。

1948年、M・マクドナルド・ペインという人物の前に、
イエスが肉体で現れて教えを説いた講話集らしいが、
その本にイエスの写真が載っているということで、
送ってもらったのが下の画像である。

イエス.png

『心身の神癒』の中で特に重要な箇所を、
わざわざ抜粋して送って頂いたので転載しておきたい↓
(※私が特に強調したい部分を赤字にした)


1 神は愛であり、愛は神である。
しかしそのことが何であるかを知っている者はいない、
ただ我々だけがそれが実在であることを知っている。
貴方達は恐らくそれについて色々と理論を
立てて来たであろう。
しかし、そのようなことは決してしてはならないのである。
外部からの種々様々な意見に染まることなく、
真理自体を開顕させるべきであり、又、
こうであると最終的に断定してしまってはならない、
断定してしまえば真理に至る道が閉ざされてしまうからである。

2 愛は全宇宙の中心である。〜〜

9 「神性という」強大なる力があなたたちの中で展開しようとして待機している。
貴方達はその力が流れる為の器なのである。
このことを自覚することが神人となる秘密である。

10 空間とは何か。
あなたたち自身とあなたたちに影響を与えつつある
他の人々の心との間の想念伝達(テレパシー)が
どんなに速いものであるかを、貴方達は今学びつつある。
これらの想念には距離というものは全くないのである。

13 全宇宙が神の愛の御性質を現わしている完全なる渾一体である。
愛は結合させる聖なる特質(ちから)であり、一切を支えうる唯一の力であり、
その上、みずからの完全さを成就しつつある。

15 生命より向けられた純粋なる想念の流れに
干渉しうるものは何ひとつとして存在しない。
なぜなら距離というものは真実無いからである。
唯一つ必要なのは心が受け容れる状態になることである。

16 絶ゆることなく久遠に注がれつつある
この驚くべき父なる神のみ賜物を受けることが今できるのである。
自分自身をそれに開くことによってそれを身に受けることができるのである。
といっても外から受けるのではない、
それは貴方達の本質の中心そのものより顕現しようと
しきりに待ち望んでいるということを知りさえすればよいのである。

17 貴方をはそれを自覚するようにならなければならない。
自覚した時、身体の全細胞、環境、知友、
商いの場所、家庭の中にそれを実感するであろう。
即ち一切が愛によって満たされうるのである。
しかもこの愛に逆いうるものはない。
愛は断絶なきをその性質とするが故に
宇宙に存する質料の細微に至るまでことごとく浸透し、
全宇宙を支え、息と命とを与える。

「わたしは生命であり愛である」ヨハネ伝十一章二十五節

18 とりわけて何処と方向を決めていなくてさえ、
一旦放射した愛と癒しの想念は、すべてをその流れの中で捕捉し、
すべてのものへの助けとなる。
この愛の籠められた想念の世界では、
失われるものは一つもないことを銘記するがよい。

19 空間というのは誤った考えである、
それは分離(別々)という考え方に属する。
実在においては分離というのはないのである。

20 神が遍在し給うものであることをよく把握して、
ハートと心とを平静ならしめるがよい。
そうすれば幼児さえもが空間或いは距離なるものが
本来無いことを知るようになるであろう。

人は皆神の中に住み、神の外には何ものも絶対にないからである。

30 人々は死せる者の蘇りを聞くやこれを嘲笑った。
しかし生命体である宇宙にどうして死せるものがありえようか。
久遠に生きてい給う神の中にどうして死せるものがありえようか。
成る程至るところで変化が起きてはいる、
しかしその変化の中には死せるものは何一つないのである。
悉くの粒子がひとつの形態より他の形態へと変幻する生ける粒子なのである。
智慧なき者の見るのは死であり、啓明された者の見るのは大生命の働きである。
智慧なき者は一つの状態より他の状態への遷り変わりの法則を解しない、
その故にこそ人はみずから死と称する迷妄を
みずからの心の中に造り出してしまうのである。

33 しかし今や貴方達は至高者(いとたかきもの)の秘所にあり、
至高者は貴方達の目よりすべての涙を拭い去り給うであろう。
その故に、もはや死はなく、何らの苦しみもないであろう、
これらのものは過ぎ逝くからである。

34 わたしはアルファにしてオメガ、始めにして終わりである〜
わたしは〜あなたたち一人ひとりの中に在る神我(キリスト)である。
私達の間には何ら分離はないのである。
しかるに貴方達は私を貴方達の届かない遥か彼方に祭り上げてしまった。

35 貴方達は心の中で私を及ぶべからざるものと考えてきた。
しかし、私は貴方達のハートの密室の中に生きており、
その私に気付くよう絶えず促してきているのである。

41 もし貴方達が真実なるものを現せば、あなたたちは真実なるものとなる。
あなたたちの本性は神性なのである、
この本性を今の今、自分のものとせよ、
なぜならば今こそが久遠であり、生命の一瞬一瞬が今であるからである。
故に過去を思わず未来を憂うるな。
未来は、今を生きることによって自ずから現成るのである。

54 神我は常在の愛である。
私がまことあきらかに見たのがこの愛であった。
私は神が愛であることを直接に知った。
神の子であるためには私も又「愛」でなければならないのである。
私にとって、もはや愛の他には何ものもないことを悟り、
どのような仕打ちを私が受けたにせよ、私は神の子、
すなわち、過去を知らず未来を知らず、罪も死も知らぬ、
久遠常在完全なる愛であり続けねばならぬことを私は知ったのである。

56 貴方達は外部からくる色々な意見によって影響され、
周囲の状態によって暗示をかけられている。
貴方達は死や朽廃を信じている。
しかし実在には死も朽廃もなく変化があるだけである。
それが生命である。
一切の変化の背後にこの常在の生命を見、かつそれを明確に自覚するならば、
貴方達の全身体の全分子がそれで満たされるようになる。

64 悟りの程度に従って神我は顕現する。
故に貴方達の生命、生活、生涯を神に捧げることである。

65 しかしその時、誘惑感が来る。
誘惑は神我によって克服されんが為に世にあったのである。
「私は世に勝った」ヨハネ伝十六章

66 磔刑とは、人はすべて十字架にかかるとの意味である。
あらゆる者がそれぞれのゲッセマネの門をくぐらなければならない。
マタイ伝二十六章
〜貴方達は自分自身の経験によって浄められていく。

67 生命を再び得んが為に十字架に私の生命をかけ
それによって生命を再び得たことがあらゆる経験の中で最大のものであった。
しかしそれは私自身の為ではなく、およそ生きているすべての人々、
そして又私を信じている人々が決して死なないようにする為であった。
事実彼らは久遠の生命の秘蹟をすでに得たのである。

68 次に来るのが蘇りである。
死に定められたこの肉の身よりの魂の蘇りである。
神我は肉の中に顕現した神の霊であり昇天とはこの実在を真に認識すること、
久遠の神我を真に把握することである。

69 〜ひとつの魂が進化すれば全人類が高揚する。
それは全人類がひとつになる為である。

70 現在のみが唯一の要因であって過去も未来も存在するものではない
時間の問題を完全に悟り切ってしまえば人類のこれまでの誤った考えや
代々に渡って受け継がれてきた病患も消滅するであろう。
存続するものがあるとすればそれは人間の為す善のみである。
無智や罪の働きをあげつらって、
無智や罪をそして又過去を祭り上げるのは止めるがよい。

71 たいていの人々の心は罪の力という重荷を担がされている。
彼らには世の無智と世の罪だけしか見えない。
しかし無智と罪とを通しては神我を見ることはできない。
神の愛を通してのみ神我を見ることができるのである。
常に現在に生きる神の子こそは愛なる父の完全無欠の現れである。

73 貴方達は生まれながらにして神の子女である。
神の霊なる神我が貴方達の中にあるからである。
キリストを理解し尽くした時貴方達は自分自身がキリストであることを知る。
その時目覚めたハートを通して愛の大いなる流れが注がれる。
このことはまだ目覚めない人間の魂には理解しえないことである。

74 貴方達は自分達の物質的感官世界で、
善にも悪にも同じ力があるように見せかけてしまっている。
しかし、これは人間的感覚による理屈づけであって実在の真理ではないのである。

75 神には善とか悪とかいうものはなく神は今の今完全無欠に現れてい給う。
もし貴方達が遍在し給う神が善であるといいながら
悪も又存在するというのであれば、貴方達の理論は間違っている
遍在する善の中にいかにして悪が存在しえようか。

76 考え違いが、悪の存在を信じ込ませるのである。
理屈を立てずに、神の愛が貴方達を通して現れるに任せよ。
そうすれば恐れを抱かしめるもの、
真実の表現を妨げるものは本来の無となって解消し去るであろう。
恐れと悪とが造り出されているのは実は自分の心の中であることが分かるであろう。
なぜならばそれは遍在している神の中には存在しないし、又存在しえないからである。

77 愛こそは唯一の存在にして常在である。

78 闇は光の不在に過ぎない。
貴方達のハートが愛によって満ちておれば魂の中には闇はありえない。
なぜならば愛は世の光であるからである。

真理は世の光を探求するものであり、愛こそが第一原因である。
この真理を発見すればすべてを発見したことになる。
愛は、恐怖を追いだすように、又真性に反するものすべてを追い出す。

79 恐怖は真理に対する理論を欠くところから我の造りだす一種の念力であって、
生命が魂と肉体とを貫流するのを一時的に妨げる効果を来たす。

80 もしほかならぬ自分こそが主であることが分かれば貴方達は恐怖するであろうか。
キリストこそが自分の真我であると知れば貴方達は恐怖するであろうか。
神のみが実存し、神の自己実現であり、
神によって創造された存在である貴方達は
決して神から引き離されうるものではないと知れば、貴方達は恐怖するであろうか。

82 恐怖は化学変化をもたらし身体を悪変化する効力をもつ。
しかしそれらの状態を克服するには愛という解毒剤、
宇宙における唯一、恒久の力を用いればよい。

83 あらゆる想念、動き、行いはことごとく身体に或る化学変化をもたらす。
人は恐怖と不安とによって自分の身体構造を絶えず変化させつつあり、
それが不調和なのである。
しかし愛は調和であり魂と身体の癒しである。

97 苦悩に陥った時父なる神に見捨てられたと思ってはならない。
神は貴方を一層完全とならしめ給いつつあるのであり、
神御自身の創造力を現しうるより完全なる器となし給いつつあるのである。



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この記事へのコメント
ZEROさんコメント失礼しますm(__)m
闇は光の不在に過ぎない。
この言葉好きになりました!ありがとうございます。失礼しましたm(__)m
Posted by こうた at 2016年02月27日 19:17
こうたさん、こんにちは。

それはイエスの言葉ですが、ありがとうございます^^
Posted by ZERO at 2016年02月29日 04:52
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