2016年02月06日

賽銭箱の秘密と金運UP術!

2つ前の記事の話題に戻して、
『失われた契約の聖櫃「アーク」の謎』の中から、
賽銭箱についての話を私なりにまとめて紹介したい。

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伊勢神宮は移動式の神殿「幕屋」だが、
その他の神社も幕屋を再現したものである。

神社の拝殿の上に太い注連縄が張られていて、
白いギザギザの形の紙が垂れている。

また、鈴がついた綱が下がっていて、
この綱を揺らしてガラガラと鳴らすが、
太い注連縄は雷雲、ギザギザの紙垂は稲妻、
鈴は雷鳴、鈴をつけた綱は雲の柱を意味する。

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『旧約聖書』によると絶対神ヤハウェは、
雷雲とともに現れて稲妻と雷鳴を轟かせ、
雲の柱でイスラエルの民の放浪を先導したからだ。

「雷鳴と稲妻と厚い雲が山に臨み、角笛の音が鳴り響いた」
(「出エジプト記」第19章16節)

「雲は臨在の幕屋を覆い、主の栄光が幕屋に満ちた」
(「出エジプト記」第40章34節)

「昼は雲の柱、夜は火の柱が、民の先頭を離れることはなかった」
(「出エジプト記」第13章22節)


また、神社のことを社(ヤシロ)というが、
これもヘブライ語で「ヤ」はヤハウェのヤで「神」を意味し、
「シロ」は幕屋が建てられた地を意味する。

「イスラエルの人々はシロに集まり、臨在の幕屋を建てた」
(「ヨシュア記」第18章1節)

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しかし、日本に無数にある神社の中で、
なぜ伊勢神宮とそれに関する神社だけが移動するのか┉┉。

まず、神社で鈴を鳴らして参拝する前に、
賽銭箱にお金を入れる慣わしとなっているが、
古代イスラエルの神殿にも賽銭箱は存在した。

「王は命令を出して一つの箱を作らせ、
主の神殿の門の外に置かせた。
そして、神の僕のモーセが荒れ野で
イスラエルに対して定めた税を主に納めるように、
ユダとエルサレムに呼びかけさせた」

(「歴代誌・下」第24章8〜9節)


だが、幕屋に賽銭箱はなかった。

神社が臨在の幕屋の再現であるなら、
神社の賽銭箱は本来は何だったのか。

ヤハウェを象徴する雲の柱(綱)の真下にある以上、
それは極めて重要な箱であることを示している。


それは最も神聖なる至聖所に安置された箱で、
イスラエルの三種の神器を入れた契約の聖櫃。

それは絶対神ヤハウェの御座である「アーク」だが、
これこそが伊勢神宮を突き動かす原動力なのだという。

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さて、幕屋に賽銭箱は存在しなかった。

あくまでも神殿の外に賽銭箱が置かれていたのだが、
それは何故なのだろうか


後にイエス・キリストが、
神殿の前で商売をしている商人たちを追い払った逸話があるが、
それは神聖な場所での金儲けを戒めたのである。

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神殿の前が神聖な場所であるなら、
神殿の前の賽銭箱もいけないことになるが、
これはヤハウェの預言者だった王の命令であり、
神殿の中には置かれていなかったということで、
オッケーということにしておこう。

だとしたら、拝殿の前に賽銭箱を置いて、
境内で商売をしている日本の神社はどうなるのか。


本来、神と人間の経済は何の関係もないし、
賽銭箱に賽銭を入れても神が使うわけではなく、
神社の収益になるだけだが、
神社も運営維持するためには必要なことで、
まさか神社の外に賽銭箱を置くわけにもいかない。

従って、神社で行われている経済活動は、
全く問題のない範囲内であるといえるだろう。


尚、神社には浮遊霊が多く、
高級霊が鎮まっている神社は少ないので、
神社で願い事をするのは禁物である。

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願い事は基本的に欲望なので、
神社に巣食う幽界霊と波長が合い、
高級霊が鎮まる神社だったとしても、
高級霊が人間の願いを叶えてくれるわけではなく、
むしろ、幽界霊の方が願いを叶えてくれることが多い。

いずれにしても、賽銭の有無は関係ないし、
賽銭が多いほど願いを叶えてくれるわけではないが、
神社の賽銭箱に賽銭を「喜捨」することは良いことだ。


その神社に高級霊がいようといまいが、
感謝の祈りは高級霊と波長が合うので、
その気持ちを形で現す行為となるからである。

また、その神社の運営維持のための寄付ということになり、
それ自体が金運を良くする結果となると思われる。


物質はエネルギーが物質化したものだが、
お金も例外ではなく、エネルギーは神であり、
万物に神が宿っている以上、お金も神であると言える。

「与えよ、さらば与えられん」

神なる高級霊が金銭を必要とするわけではないが、
お金を神に捧げる気持ちで賽銭を入れることで、
厄払いになって金運も上がると考えられるのだ。


つまり、「払い」は「祓い」なのである。

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我々の生活はお金によって成り立っていて、
お金がなければ住むことも食べることも、
電気を使うことも何も出来ないことを考えると、
お金によって生かされているといっても過言ではない。

すなわち、お金を「神」の顕現と捉えることもでき、
実際に「お札(さつ)」は「御札(おふだ)」なのだ。


そこで、以前紹介したスピリチュアル・サミットで、
青木勇一郎氏が興味深いことを話していた。

アカシック・レコードから得た情報らしいが、
お札(おさつ)が御札(おふだ)なら財布は神殿であり、
財布もお札も大切に扱うことは当然のことである。


そして、10円玉には平等院鳳凰堂が描かれているが、
鳳凰は1万円札に描かれている。

伝説によると鳳凰は桐に止まるとされているが、
その桐の葉と花が500円玉に描かれている・・・・・・
ということは500円玉が1万円札を引き寄せるらしく、
500円玉を貯金すると金運が良くなるとか・・・・・・

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過去ログで以下の記事もオススメする。

悪魔崇拝と拝金主義による清富の実現!



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posted by ZERO at 09:21| Comment(0) | 歴史・アカシックの修復 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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