2016年02月01日

神社は原始キリスト教の神殿

これは目新しい話ではないが、
ご存じない方も多いと思うので書いておきたい。

久しぶりに『神仙組 外典』に載せようと思ったが、
現在稼動中の当ブログに載せることにした。


古神道の成り立ちについては「ゴジゲンジャー」ブログの、
「救世主カルキ(古神道とヒンドゥー教とキリスト教の秘密)」
で書いたが、神社神道を日本に持ち込んだ渡来人の集団は、
イエス・キリスト直系の原始キリスト教徒の末裔の秦氏である。

以下、飛鳥昭雄・三神たける著『失われた聖櫃アークの謎』から、
私なりにまとめた内容を記しておきたい。

img_0mm.jpg

神社が本格的に立てられるようになったのは、
高度な技術を持った秦氏が渡来した後の4世紀。

日本の神道は多神教だが、
八百万の神は太陽神「天照大神」に収斂する。

従って、神道は古代イスラエルの神殿なのだが、
その根拠を簡単に見ていこう。

古代イスラエルの神殿は「ソロモン神殿」だが、
日本の神社の構造と比較すると驚くほど一致している。


@神社は囲いによって境内が仕切られているが、
ソロモン神殿の周りも囲いがあって神域として聖別されている。

A神社は御神体が納められている本殿と、
人々が礼拝する拝殿に完全に分離されているが、
ソロモン神殿も絶対神ヤハウェが宿る「至聖所」と、
人々が礼拝する「聖所」が分かれていて、
至聖所には神社の神官のように、
祭司レビ人だけが入ることが許された。

B偶像がない(鏡は偶像ではない)。

C神社の本殿、もしくは拝殿には灯明があり、
蝋燭を立てるために宝珠を象った燭台なとがあるが、
ソロモン神殿の至聖所にはメノラー(七枝の燭台)がある。

D神社には手水舎があるが、
ソロモン神殿にも洗盤があって手を洗うことが決められている。

E神社の拝殿のそばに大きな水瓶が置かれていることがあるが、
ソロモン神殿の場合はこれが実に大きく「青銅の海」と呼ばれ、
祭司レビ人はこの中に入って身を清めた。
これが後にキリスト教の「バプテスマ(洗礼)」となった。

この行為を神道では「禊ぎ」と呼ぶが、
「禊」という字は「示+契」と分解することができ、
これは「神との契約」=「バプテスマ」を意味する。

神社の境内に神池がある場合はそこで禊を行ない、
伊勢神宮の場合は五十鈴川で行なわれるが、
イエスもヨルダン川でバプテスマを受けた。

F神社の鳥居は古くは鴨居の部分がなく、
2本の柱に注連縄を張っただけのものもあるが、
ソロモン神殿の入口にも2本の柱があり、
それぞれ「ヤキン」と「ボアズ」と呼ばれている。
ここにユダヤ教神秘主義カッバーラの深い意味がある。

G神社は基本的に木造だがソロモン神殿も木造だった。

「全面がレバノン杉で出来ていて、石は全く見えなかった」
(「列王記・上」第6章18節)

H神社には狛犬と獅子があるが、
犬と言っても獅子を象ったものであり、
ソロモン神殿にも一対の獅子像が置かれていた。

ひとつだけ違うところがあるとすれば、
ソロモン神殿がユダヤ教の神殿であるのに対して、
神社は原始キリスト教の神殿だということである。


524787ce.jpg

ソロモン神殿には燔祭をする祭壇があり、
神に捧げるために牛や羊などを焼いた。

今の神社にはこれがないが、
神社で獣を燔祭した記録も残っていて、
平安京が完成したときも桓武天皇が燔祭して祝ったが、
仏教の殺生の思想が入って禁止令が出された。

燔祭とは家畜に罪穢れを背負わせて、
代わりに犠牲になってもらうことだが、
そもそも原始キリスト教徒にとって、
最大の燔祭はイエス・キリスト自身なので、
日本の神社では燔祭の必要がないのである。

elijahcallsdownfire.jpg

イスラエル人が初めて神殿を造ったのは、
エジプトから脱出した紀元前13世紀頃、
モーセが絶対神ヤハウェから命じられてのことである。

当時のイスラエル人は荒れ野を旅していたため、
移動式の神殿が造られたのだが、
周りを布で覆ったことから「幕屋」と呼ぶ。

その40年後にパレスチナ地方にやってきて、
定住してイスラエル王国を建国したが、
幕屋は相変わらず移動を続けていて、
第2代ダビデ王の時代も移動式神殿のままだった。

ダビデ王は固定式の神殿の建設を進言したが退けられ、
それが実現したのは息子のソロモン王の時代だったが、
ヤハウェが移動式神殿「幕屋」に拘ったのは何故か・・・・・・。

「わたしはイスラエルの子らを
エジプトから導き上がった日から今日に至るまで、
家に住まず、天幕、すなわち幕屋を住処として歩んできた」

(「サムエル記・下」第7章6節)

(画像:心のチャペルより拝借)
2013040810265750es.jpg

日本で移動する神殿というと伊勢神宮で、
各地を27ヶ所も転々と移動してきて、
最後に伊勢の五十鈴川のほとりに落ち着いたが、
20年に一度ずつ隣の土地に移動を繰り返している。

いわゆる「式年遷宮」だが、
伊勢神宮の内宮の祭神「天照大神」がイエス・キリスト、
外宮の祭神「豊受大神」が絶対神ヤハウェであるなら、
その社殿はイスラエルの神殿、原始キリスト教の神殿である。

ここで1つ注意しておきたいことがあるが、
続きは次回の記事に譲りたいと思う。


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posted by ZERO at 14:39| Comment(0) | 歴史・アカシックの修復 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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