2015年11月09日

悟りと回向

このブログに書く予定だったのだが、
ゴジゲンジャーのブログに「恩念」という記事を書いた。

さっき気付いたのだが、
あの記事は私のポリシーの1つである
「衆生回向」という思想に基づいている。

ブログ説明にも、
「衆生回向を願って適当戦隊イイカゲンジャー的に生きている」
と書いている通りだが、
小学校4年の時に『悟りと回向』という難しい仏教書を買って、
その時から回向についての意識が芽生えた。

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「回向」についてWikipediaから転載しておきたい↓

自分の修めた善行の結果が他に向って
回(めぐ)らされて所期の期待を満足することをいう。

善行の報いは本来自分に還るはずだが、
大乗仏教においては一切皆空であるから、
報いを他に転回することが可能となる。

善行の結果を人々のためになるよう期待し、
それを果すのを「衆生回向」といい、
善行の結果を仏果の完成に期待するならば、
それを果すことは仏道への回向である。

いわば、自分自身の積み重ねた善根功徳を
相手にふりむけて与えることを回向という。

回向の心をもって修行する段階を十に分け「十回向位」とし、
悟りへの重要な修行過程とする。

自己の善根を仏果に向け、自我への執着を除去しようとする。

「善根」は常に自ら以外の方向に振り向けられて「功徳」となり、
我執が除去される。ここに回向の必然性がある。

善根が積み重ねられて仏となるのではなく、
すべての善根は回向されることに意味がある。

回向には、一般に
(1)菩提回向 (2)衆生回向 (3)実際回向の三種を説く。
それぞれ菩提を趣向し、衆生に功徳を回施し、
無為涅槃の趣求にふりむけるとする。

世親(天親)は、「礼拝、讃歎、観察、作願、回向」と五念門を説き、
往生浄土の為の行の中、自ら修めた諸功徳を全ての衆生に回向し、
ともに浄土に往生して仏となることを重要な項目としてあげている。

往還回向

曇鸞は、『浄土論註』巻下において、
「往相(おうそう)」「還相(げんそう)」の二種の回向があると説いた。

「往相回向」とは、「往生浄土の相状」の略で、
自分の善行功徳を他のものにめぐらして、
他のものの功徳として、ともに浄土に
往生しようとの願いをもととして説かれる。

「還相回向」とは「還来穢国の相状」の略で、
浄土へ往生したものを、
再びこの世で衆生を救う為に還り来たらしめようとの願いを言う。
この利他のはたらきも、阿弥陀仏の本願力の回向による。
浄土真宗においては、親鸞の
「末法の衆生は、回向すべき善行を完遂しえない。」
という自己反省によって、法を仰ぎ、法の力を受け取ろうとする。

浄土への往生(往相)も、阿弥陀仏の本願力によるのであって、
阿弥陀仏がたてて完成した万徳具備の名号のはたらきによるとして、
名号を回向されるという。

よって往相・還相ともに阿弥陀仏の本願力として、
仏の側から衆生に功徳が回向されるものとする。
これを「他力回向」という。

具体的には、江戸時代讃岐の庄松という妙好人が
「私が捨てた念仏を喜んで拾う者がいる」と言うように、
称名の声を聞いた時に、
浄土からこの我々に働きかけているすがたと感じて、
それに応えて称名をする姿を言う。


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魂の観点からすれば、
回向とは自分の中でのエネルギーの循環であり、
それが高次の歓喜だということを知ってもらいたい。

今は知識としてしか知らなくても、
理解して心掛けるようにしていれば、
半覚醒していなくても高次の歓喜を少しは体験し、
それが「魂の半覚醒剤」になることだろう。





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posted by ZERO at 00:27| Comment(0) | 意識進化 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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