2015年10月12日

征服戦を制する者は世界を制する

これは先日トイレを借りるために、
ゲーセンに立ち寄った時に盗撮したパネルだが・・・・・・


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まさに内観による世界征服(世界平和の実現)である。

「宇宙にたった1人の戦士でも」及び、
「分身の術でアセンション」の続きだが、
宇宙規模の奇跡のビッグイベントである
アセンションの時期には興味が尽きない。


yumi21氏が9月26日・27日に参加された、
ヌーソロジー大阪レクチャーの記事より↓

「アセンションに関する質問で。
広宣さんがよく言っているのは、
変換人への過渡期は、自分の分身をつくればいい。
(分身とは、変換人としての自分。)
今現実の自分が変わろうとすれば、しんどい」



私の解釈だが、実はそれが、
内観によって変換人に進化していく方法論なのだ。

表現は違えど私が言っていることと同じで、
「今現実の自分」というのは、
鏡に映った自分のようなものなので、
鏡の前に立っている実体の自分が動かなければ、
鏡に映っている自分は動かないのである。


つまり、「今現実の自分」は結果である投影なので、
影が影を変えようと思っても無理なことで、
原因である潜在意識を変えていく必要があるのだ。

潜在意識の書き換えメソッドも数多く存在するが、
何よりも浄化することが第一である。

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「自分の分身(変換人としての自分)をつくればいい」

これは「真我(魂)の視点」を想定して、
客観的に自分を観るという「内観」に他ならない。


自我で自我を観察しても意味がないので、
感情を入れずに観念も外して直視するのである。

どうしても感情が出てきてしまう場合は、
ありのままの自分(思考や感情)を観察するのだ。


誰の内面にも醜悪な怪物が跳梁跋扈する世界があり、
それを垣間見て発狂しそうになる人も少なくない。

しかし、それを無視して意識進化はなく、
目を背けて見ないふりをしても、
いつか必ず見せられることになる。

いや、既に外側の世界(自分の周辺や世の中)に投影され、
そのおぞましさに地獄を感じる人もいることだろう。


『日月神示』にも示されている↓

「世界がそなたに映っているのぞ。
世界見て己の心早う改心致されよ」

「これだけに世界に荒事をさせて見せて、
神示通りに出て来ても、まだ目醒めんのか。
まだまだ改心中々じゃなぁ」


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今のスピリチュアルの実態はあからさまに霊的無知で、
禅もどきの擬似的なワンネス体験を説く「エセ悟り商法」や、
自我の欲望の実現に翻弄する「エセ幸せ商法」が花盛りで、
低級な霊憑りや宇宙イタコが跳梁跋扈しているのが現状である。

そこに救いを求めて逃避しても「自分を観る」ことから遠ざかり、
意識進化や魂の覚醒とは正反対の方向に進んでいくことになる。


「真我(魂)の視点」を想定して、
その視点から自分(世界)を観るということは、
変換人の思考様式で内観するということである。

変換人型ゲシュタルト思考を獲得するためには、
人間型ゲシュタルトを解体する必要がある。


その為には「変換人の思考様式」で内観することが王道で、
それが「自分の分身(変換人としての自分)をつくる」ということである。

その為には「変換人型ゲシュタルト思考」の理解が必要なので、
過去ログをチェックして熟読して頂きたいと思う。

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前述の「ヌーソロジー大阪レクチャー」の記事には、
次のようにも書かれていた↓

『半田さんの、「ありのままでいいんだよ!」
という言葉、勇気づけられました』



「ありのまま」という言葉も捉え方次第で、
高次の意味では「あるがまま」と同じ意味合いである。

yumi21氏のブログタイトルは、
「心 体 魂の癒し ありのままの自分で♡」なので、
心と体と魂を癒した本来の自分(あるがまま)を意味する。


ところが、少し前にも記事にしたとおり、
この流行語の「ありのまま」は非常に厄介で、
自分の都合の良いように解釈して主張する人も多く、
同様の浅はかな理解で「ありのまま」を説く人が蔓延している。

意識進化して変換人になっていくわけだから、
決して「今のままでいい」「変わらなくいい」ではないのだ。

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ヌーソロジーには「内観」という言葉もメソッドもないが、
半田広宣氏は明らかに内観の必要性を説いていると思われる。

「自分の分身(変換人としての自分)をつくる」
ということもそうだが、
「世界の全存在物と〈わたし〉を鏡の関係として捉える」
という変換人の思考様式の基本もそうである。


また、『2013:人類が神を見る日』の中での、
以下の会話からもそれはうかがえる↓

「だって、サチは相手の中に悪いところを見つけて、
自分はああなっちゃいけないとか、
逆に、相手の中に善いところを見つけて、
自分はああなくちゃいけないとか思ってるわけだろ?
そうだとしたら、いずれにしても、
そう思わせてくれた相手に感謝しなくっちゃ。
善だけでなく、悪にも僕らは手を合わせて
感謝しなくちゃいけないんじゃないか。
エゴっぽい人を見てエゴっぽいと
判断すること自体が、やっぱりエゴっぽいと思うよ」


だが、そのサチという人も半田氏の世界では半田氏の投影であり、
この文章を読んだ私の世界では両者ともに私の投影である^^;

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また、半田氏は内観のことを「意識戦争」と呼び、
「2013年のトークライブ」で次のように述べていた。

「古い神と新しい神の戦いが心の中で始まり、
統合させることで変換人となる」



これは私が言う「内観による善悪統合」と全く同じだが、
まさに「征服戦を制する者は世界を制する」である。

上記のトークライブの記事とその次の記事を読めば、
半田氏が半覚醒した変換人であることが分かると同時に、
私の半覚醒のプロセスと一致していることが分かる。


尚、今年の8月22日に福山で開催された、
佐藤博士と半田氏の講演会に行ってきたが、
まだお読みではない方はお読み頂きたい↓

「吉備の御用」1日目(5次元に導くヌーソロジー講演会編)



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posted by ZERO at 14:25| Comment(2) | 意識進化 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
与太郎さん、今回もベストなタイミングでの記事ありがとうございます!

私は与太郎さんとは異なり?、自分の悪想念が外界より先に自分の体の異変として察知して、どうにもならないほどの体のだるさといつも首を絞められている感覚、吐き気に襲われていました。これになんとなく気がついていたものの、認められるまでに時間がかかりました。
最近思い悩むというか、ひっかかるのはどうして私はそんな悪想念を抱いてしまったのだろうか、という後悔でした。
というのも、いつもなにか感情が湧く間に客観的に自分を遠くから見ていた感覚で説教なものが聞こえていました。
しかし、欲深いことと、恐怖との向き合いかたを知らなかったから、いつも流されてそれを行動に起こすこともしばしばでした。
最近の自分の投影として、生まれてからなんの汚れも全てを悟ったかのように対処してきた人を知ってしまいました。
多分、知識もなく感覚として常に半覚醒したまま生きているような人です。
この人を見ると自分の愚かさと弱さに墜落してしまいそうな気分です。
しかし、与太郎の記事読ませていただき、自分を取り戻せた感覚です。
自分の投影ですよね。美しい生き方を見せてもらったことに感謝です。

Posted by ニンジン at 2015年10月12日 20:47
ニンジンさん、こんにちは。

それはいわゆる自念障害というやつですね。

客観的に自分を遠くから見ていた感覚で説教なものが聞こえていたというのは、
おそらく真我(ニンジンさん自身の魂かハイヤーセルフ)の声でしょう。

また、その半覚醒したような人もニンジンさんの投影です。

「他者とは自分を知る為に存在する」
という捉え方も出来ますね^^
Posted by ZERO at 2015年10月22日 02:20
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