2015年08月15日

OSHOが説く愛と勇気と境界

2冊目はOSHOの著書『Gourage』だが、
「境界」や「愛」について書かれていた。

OSHOは、釈迦やガンジーなどとともに、
インドの運命を変えた10人の中の1人とされている。

この本の内容も私が言いたいこととほぼ一致しているが、
OSHOも恐らく半覚醒している人物だと思われるので、
一部転載しておきたい。

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まず、前々回の記事「人間は健忘症である」の中で、
「心の結び瘤(こぶ)をほどく」という話があったが、
OSHOも「こぶ」という表現を使っていた↓


『記憶はこぶを作り出す。「私」という固定観念、エゴだ。
そして、この「私」と呼ばれる偽の実在は常に死を恐れる。

それこそがあなたが新しいものを恐れる理由だ。
本当のあなたではなく、この「私」が恐れているのだ。

本当のあなたは恐れを知らないが、エゴは恐れる。
なぜならば、エゴは死ぬことを極端に恐れるからだ。

エゴは偽りであり、恣意的で、寄せ集めだ。
それはいつなんどきバラバラになるかわからない。

そして新しいものが入ってくると、恐れが生まれる。
エゴは恐れ、バラバラに壊れるかもしれない。

エゴは努力してやっと1つにまとまり、
1つになっていたのに、今そこに新しいものがやってくる。
それは破壊的な事態だ。

これが、あなたが喜んで新しいものを受け入れられない理由だ。
エゴは自分の死を喜んで受け入れることができない。

どうして自分自身の死を喜んで受け入れられるだろうか?

自分はそのエゴではないとあなたが理解しなければ、
あなたは新しいものを受け入れることはできないだろう。

あなたの過去からの意思や指示や衝動なしに行動しなさい。
それは瞑想的に行動するということだ。

思いのままに行動しなさい。
その一瞬に決めさせなさい。
自分で決めてはいけない。

なぜならば、その決定は過去からやってくるのであり、
新しいものを壊してしまうからだ。

ただ、子供のように瞬間的に行動しなさい。
あなた自身を完全に瞬間に委ねなさい。

すると毎日が新しい開花であり、新しい光であり、
新しい気づきであることを発見するだろう』



転載終了

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上記のOSHOの話を簡単に説明すると、
記憶に基づく固定観念を手放せということである。

もっと言えば、
「エゴ=自我(思考や感情)は自分ではない」
ということを理解してポアする勇気を持ち、
新しいゲシュタルトを獲得せよということになる。


それが、現在の自分の思考パターン
(過去からの意思や指示や衝動)から脱却し、
「瞑想的に行動する=思いのままに行動する」
ということである。

「思いのままに行動する」のに、
「自分で決めてはいけない」とは矛盾するようだが、
その一瞬一瞬の直感に従って生きるということである。


つまり、自我(悪魔)の言いなりになるのを拒否して、
絶対的な信頼を持って真我(神)に従って人生を全託し、
子どものように瞬間瞬間を生きることを説いているのだ。

すると運命の変更が起きて、毎日が新しい開花、
新しい光、新しい気づきであることを発見する、
即ち、生きながらにして生まれ変わるということである。

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「エゴ=自我(思考や感情)は自分ではない」
ということは私がよく言っていることだが、
OSHOが言っていることもそういうことである。

人間として生きている以上は肉体も大切で、
肉体と魂を媒介する心も大切であり、
心身の健康が魂の向上に繋がっていくのだが、
「自我=心」と定義するならば、
心を大切にしていると魂は覚醒しないといえる。


これは非常に語弊のある表現ではあるが、
実際に今まで何千件もの悩み相談を受けてきて、
その相談者の大半は自分の心を大切にするあまり、
原因を他者に求めて責任転嫁しているという共通点がある。

悪い言い方をすれば「自我丸出し」の状態で、
それが悩み(不安・恐怖・悲しみ・嫉妬・怒り・憎しみなど)
の根本的な原因であり、その悪想念による自念障害及び、
波長一致による幽界霊による憑依で苦悩しているのである。


今は私にも生活があるので、
基本的には相談の受け付けはしていないが、
ハッキリ言うと1人1人に対応しなくても、
私の記事を何度も読んでよく理解をすれば、
殆どの悩みを解決できる解答や糸口があるはずである。

また、今回の記事ではOSHOのこの本によって、
私の理論や解決策について決定的な裏づけが提示できるので、
最後までジックリとお読み頂ければと思う。

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私は人類の自我をポアするために、
前述のような過激な表現をすることもあり、
特に「アンチキリスト完全ファイル」では、
反キリストキャラを演じていたこともあり、
かなり過激な発言をぶちまけてきたが、
このOSHOの本の「訳者あとがき」にも、
次のように書かれている(部分的に抜粋)↓


『今、歯にも衣着せずに真実を語るOSHOの言葉は、
私たちの目覚めを促すために、
とても大きな役割を担っているのでしょう。

OSHOは衝撃的な表現をすることによって、
人々の考えに打撃を与え、人々の心理をもっと不安定に、
もっと不確実にしようとしています。

すると、人はやっとOSHOの言葉に衝撃を受け、
自分の生き方を振り返って、
「生きていない自分、嘘をついている自分、死んでいる自分」
に気づいて目覚め始めるのです。

OSHOは自分の役割を人々にショックを与えて、
覚醒を促すところにあるとしています。

物事の真実をオブラートに包むようなことはしないで、
そのまま、あからさまに語っています。

そのために、日本では不適切とされている言葉を数多く使用していますが、
翻訳にあたっては、なるべくOSHOの意図を尊重し、
不適切とされている用語もそのまま日本語に訳しています』



転載終了

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ヨガ行者でもある玉光神社の名誉宮司・
本山博氏の著書『死後の世界と魂 土地の神々』
の中にも次のように書かれている↓

「カラーナの魂に目覚めるためには、
肉体の欲望、マナ識の魂の感情、想念、イメージから離れ、
これらを否定し超えなければ、愛、智慧、
創造力を本質的特徴とする魂に目覚めることはできません。
カラーナの魂も、死後、神への帰依、自己否定の行を続け、
プルシャに近い領域まで進化すると、
形をもって霊視されるよりは、金色、紫色等の
輝く光の玉として霊視されることが多いのです」



カラーナの魂やマナ識の魂という表現はおかしいが、
「魂」の定義についてはここでは度外視するとして、
要するに感情などの「自我」の否定を説いているのだ。

私が「自己肯定」と共に「自己否定」を説いているのも、
何となくはご理解いただけているものと信じているが、
本山博氏が言っていることと同じである。

尚、プルシャに到達することが「半覚醒」である。

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前置きが少し長くなってしまったが、
愛と境界についてのOSHOの話を紹介しよう↓


境界のない世界

一つのことを覚えておきなさい。
普通はマインドが介入して、愛が無限になること、愛が広がることを許さない。

もし、あなたが本当に人を愛すると、あなたは彼に無限のスペースを与える。
あなたの存在そのものが、彼が成長し共に発展するスペースなのだ。

しかし、マインドが介入し、相手を所有しようとする。
すると愛は壊れる。

マインドはとても貪欲だ。
マインドは貪欲そのものだ。
マインドはとても有毒だ。

だからもし愛の世界に入りたいのであれば、
マインドを落とさなければならない。
人はマインドの介入なしに生きなければならない。

マインドはそれがあるべき場所では良いものだ。
それは市場では必要とされるが、愛の中では必要とされない。

マインドはあなたが予算を組み立てるときには必要だが、
あなたが内なるスペースに入ってゆくときには必要ではない。

それは算数をするときには必要だが、
瞑想をするときには必要ではない。

つまり、マインドにも使い道はあるが、
その使い道は外の世界のためのものなのだ。

内なる世界にとって、それは関係ないものだ。
だから、もっと愛するようになりなさい。

無条件に愛しなさい。愛になるのだ。
心を開きなさい。そして愛しなさい。

鳥たちも木たちも、地球も星も、男も女も、
すべてのものはそれを理解している。

黒であれ、白であれ、たった1つの言葉しかない。
それは宇宙の言葉だ。その言葉は愛だ。
だからその言葉になりなさい。

あなたが愛になると、あなたには境界のない世界が開かれるだろう。

いつも覚えておきなさい。
マインドこそ、人々が心を閉ざすのを助けている原因なのだ。

マインドは基本的に恐怖で存在しているので、
心を開くのをとても恐れている。

人は恐怖が無くなれば無くなるほど、マインドを使わなくなる。
人はより多く恐れれば恐れるほど、より多くマインドを使う。

あなたが恐れているとき、心配事があるとき、困ったときは、
マインドに多くの焦点が当てられているのを、
あなたはすでに観察したかもしれない。

あなたが心配なときは、マインドがあまりにもでしゃばりすぎるのだ。
あなたに心配が無いとき、マインドはあまり活動しない。

すべてがうまくいっていて、
何も恐れがないときは、マインドは引っ込んでいる。
物事がうまくいかないときは、
マインドがしゃしゃり出てきてリーダーになる。

瞑想とは、マインドの行動を
どんどん小さくする状況を作り出すことに他ならない。

あなたは恐れなくなり、あなたはとても愛にあふれ、
あなたはとても平和になる。

あなたは起こってくる何事に対してもとても満足しているので、
マインドは何も言うべきことがなくなってしまうのだ。

そのとき、マインドは少しずつ後へ後へと下がってゆき、
そしてどんどん距離が開いてゆく。

ある日、マインドが完全に後退する。
そのとき、あなたは宇宙になる。

そのとき、あなたはもはや
あなたの身体の中に閉じ込められてはおらず、
何ものにも閉じ込められない。

あなたは純粋なスペースになる。
それが神のありようだ。
神は純粋なスペースなのだ。

愛は純粋なスペースに向かう道だ。
愛は手段であり、神が目的なのだ。



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これは和尚
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OSHOが言うマインドとは自我(エゴ)、
すなわち心(思考や感情)のことだが、
引き続きOSHOの話を紹介しよう↓

『愛は関係ではない。愛は存在するだけだ。
それは他の誰とも関係がない。

あなたが自分は誰であるかを知らないならば、
あなたは愛にはなりえない。
あなたは恐怖なのだ。恐怖は愛の反対だ。

覚えておきなさい。憎しみが愛の反対ではない。
憎しみは愛が逆さまになったものだ。
それは愛の反対ではない。愛の本当の反対は恐怖だ。

愛の中で人は広がるが、恐れの中で人は縮む。
恐れの中で人は心を閉ざすが、愛の中で人は心を開く。
恐れの中で人は疑うが、愛の中で人は信頼する。

恐れの中で人は孤独に取り残されるが、愛の中で人は消える。
それゆえ、そこには孤独という問題が全くないのだ。

人が存在しないとき、人はどうして孤独でいられようか。
そのとき、木も鳥も雲も太陽も星もすべてはあなたの中にある。
愛とはあなたが内なる空を知ったときのことだ。

あなたが憎むとき、あなたのエゴが満たされる。
エゴは憎むときだけ存在できる。

なぜならば、憎んでいるとき、あなたはより優れていると感じ、
あなたは分離し、あなたは立場が明確になるからだ。

憎んでいるとき、あなたはある種の独自性を獲得する。
愛の中ではエゴは消えなければならない。

愛の中ではあなたはもはや分離してはいられない。
愛はあなたが他人と1つに溶け込むのを助けるからだ。
愛は出会いと融合なのだ。

もしあなたがエゴに執着していると、
憎しみは容易だが、愛はとても難しくなる。

注意し、用心しなさい。
憎しみはエゴの陰影だ。愛には大きな勇気が必要だ。
なぜならば、エゴを犠牲にする必要があるからだ。

何者でもないものになる用意をできた人だけが愛することができる。
自分を完全に空にできる用意ができた人だけが、
見えない世界から愛の贈り物を受け取ることができるのである』



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エゴ(自我)は死ぬ(消える)ことを恐れ、
人間が意識進化を始めると必死で抵抗し、
今までの自分をより一層強固にしようとする。

霊的に言えば、悪霊による妨害だが、
そこで勇気を持って葛藤を乗り越えて、
心のハルマゲドンに勝利する必要がある。


オコツトの定義では「意識進化=自我の消滅」で、
自我をポアすることで魂の目覚めが促されるのだが、
これは難しくも簡単で、簡単だが難しくもある。

例えば、ビルから飛び降りるのは怖くてできないが、
ビルから飛び降りる行為そのものは簡単であり、
飛び降りれない原因の恐怖の感情がエゴ(自我)なのだ。


もちろん、実際にビルから飛び降りて死ねという話ではなく、
自我をポアするためには勇気が必要だということである。

もちろん、飛び降りて自我(肉体)が死んで真我に目覚め、
一切の苦悩のない天国に行くという希望と確信も必要であり、
「天国なんてあるのだろうか」「本当に天国に行けるだろうか」
と疑って思い悩んで自我に固執していては前進はできない。


それで以前、次のような記事を書いたことがある左斜め下

汝、自殺する勇気を持て!

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OSHOはこのようにも述べている↓

「いま、古いパターンのすべてを落として、
新しい生き方、自然な生き方、抑圧のない生き方、
我慢ではなく喜びの人生を始める時が来ている」


これも前述と関連する話で「勇気」が必要だが、
それが出来ないという人も少なからずいる。


それに対して、OSHOも次のように述べている↓

「それは単に固定した古い習慣に過ぎない。
その反対のことをするようにしなさい」


行為以前に思考パターンを変革することが先決なので、
まずは反対のことを考える習慣が必要となる。

それも一種の「自我のポア」だが、
それは冒頭で紹介した話と関連している。


自我(エゴ)は「マインド」だが、
OSHOは次のようにも述べている↓

「あなたはマインドを持たずに生まれてきた。
このことをあなたのハートにできるだけ深く染み込ませよう。
なぜならば、それによってドアが開くからだ。
もし、あなたがマインドを持たずに生まれたいのであれば、
マインドは社会的な産物だ。
それは自然なものではなくて栽培されたものであり、
それはあなたの上に積み上げられてきたものだ」


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マインド(心)は実在ではないと何度も書いてきたが、
その心のドアを破壊することが「天の岩戸開き」であり、
ハート(真我=魂)である太陽神・天照大神が、
籠の中の鳥の如く肉体の外に解放されるのだ。

それが「魂の半覚醒」だが、
OSHOはこのような話もしている↓

『私はユダヤ教のラビの書いた
「心の平和」という本を読んだことがある。
その男は平和についても、
マインドについても何も知らなかった。

彼の本は世界的なベストセラーだ。
彼は優れた物書きで、とても歯切れがよく強い印象を与える。
あなたはそれに影響されるだろう。

しかし、心の平和は以前と同じように遠いままだろう。
あるいはこの本を読んだおかげで、
さらに遠くなってしまうかも知れない。

もし、平和とは何か、マインドとは何かを知っていたら、
その人は「心(マインド)の平和」という題名の本は書けないだろう。

なぜならば、マインドこそがすべての平和でないもの、
すべての不安の原因だからだ。

平和はマインドがない時にあるのだ。
もしマインドがあれば平和はない。
もし平和があればマインドはない』


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真我が半覚醒すると、自我が希薄になるのは当然のことだが、
マインドが完全に後退すると宇宙になり、
身体の中に閉じ込められてはおらず何ものにも閉じ込められない、
という感覚を持っているということは半覚醒していると思われる。

これが私の言う「魂は肉体に宿っていない」という感覚である。


また、OSHOが「いつも覚えておきなさい」と言っている通り、
「マインドこそ人々が心を閉ざすのを助けている原因」である。

そのことは私も何度も書いてきた記憶があるが、
真我(魂)の半覚醒はハートを開くことと同義であり、
マインド(自我)を黙らせる必要があるのである。


「マインドは基本的に恐怖で存在している」

「すべてがうまくいっていて、
何も恐れがないときはマインドは引っ込んでいる」


ということだが、
言われてみれば確かにそうかも知れないと思う。

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私は何事もすべてうまくいっていて、
恐れや心配がないからマインドが働かないのである。

普通は私の状況であれば恐れと心配だらけだと思うが、
見通しの神であるハイヤーセルフ(魂の親)に、
全幅の信頼を置いて人生を委ねて生きているので、
流れに任せて生きていれば常に安心立命なのである。


3次元的な人間の視点で現状を見れば、
うまくいっていないように思えることも多いが、
それも含めて総体的にはすべてうまくいっているのである。

どう考えてもうまくいっていないことでさえも、
高次の視点から見れば完璧にシナリオ通りであり、
人間の頭で考えて軌道修正を図るのは愚かなことである。

もちろん、場合によってはそれも必要でなので、
一概には言い切れない部分もあることはあるが、
いずれにしても潜在意識を浄化して直感に従うことである。


本の帯にはこのように書かれている↓
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「危険に生きたときだけ、生きている
――他の生き方はない。
危険に生きることだけが、人生を成熟させ、成長させる。
人は冒険家になる必要がある。
いつも未知のために喜んで既知を犠牲にしなさい」



これもまさに私の特性や生き方そのもので、
好奇心や冒険心やチャレンジ精神が旺盛なので、
デンジャーでスリリングな人生を追求している。

子どもを見れば分かると思うが、
流れに任せて瞬間瞬間を直感に従って生きていれば、
自然にそうなるのであり、
自我が頭の考えで危険を回避しようとするのである。


「人生とは博打なり」のギャンブル人生だが、
すべてはうまくいっているのであるから、
そのプロセスを映画を観るように楽しんでいるのだ。

まさに「危険に生きる喜び」である(笑)
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語弊のある表現だが、ある意味、
自分の人生とは架空のフィクションであり、
他人事のようなものでもあるのである。

それはともかくとして、
「すべてはうまくいっている」というのは、
言葉を換えれば「人生の全肯定」ということである。


「勇気を持ち続けていると恐怖はなくなる」

と書かれているが、ピンと来た読者も多いと思う。


精神科医ホーキンズ博士による意識のマップでは、
意識進化のターニング・ポイントが「勇気」で、
それに関する感情が「肯定」とされている。

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OSHOのこの本のタイトルは『Gourage(勇気)』だが、
勇気について次のように書かれている↓

「もしあなたに勇気がなかったら、あなたは真実ではいられないだろう。
もしあなたに勇気がなかったら、あなたは愛情深くなれないだろう。
もしあなたに勇気がなかったら、あなたは信頼することができないだろう。
もしあなたに勇気がなかったら、あなたは真実を探求できないだろう。
だからまず勇気を持つことだ。他のすべてはそれについてくる」



一言で「勇気」と言っても抽象的で漠然としているが、
具体的には次のように示されている↓

「人は全責任を受け止めたとき、本当の大人になる。
彼は自分自身に関するすべてに責任がある。
これが第一の勇気だ、最大の勇気だ」


「あなたに何が起ころうと、あなたの責任なのだ。
他の誰かがあなたにそれをしているのではない。
あなたがそうなることを望んだからそうなったのだ。
あなたが搾取されるのを望んだから、
誰かがあなたを搾取するのだ。
あなたが刑務所に入れられたいと思ったから、
誰かがあなたを刑務所に入れたのだ」



自我(顕在意識)でどれだけ否定しようとも、
潜在意識下では全て想い通りになっているのであり、
自分の人生(世界)が自分の投影であることを認め、
その全責任を受け止めることが「勇気」とのことである。

これは「ホ・オポノポノ」の基本原則であり、
「ハイパーネオデジタル内観」の前提条件でもあり、
全責任を受け止めることは「人生の全肯定」でもある。


意識進化の分岐点である意識レベル200の「勇気(肯定)」は、
世界を自分の投影として「全責任を受け止める」ことだったのだ。

これはヌーソロジーにおける
変換人型ゲシュタルトの思考様式の基本でもある↓

「世界の全存在物と〈わたし〉を鏡の関係として捉え、
時空間に遍在する自己を感じ出すと、当然のことながら
他者に対する感覚も今までとは大きく変わっていく」



半覚醒するまでは「投影」であることは認識できないが、
認識できないのは自我(マインド=思考・感情)である。

科学的にも3次元の世界は上次元の投影・断面であり、
心理学にも投影の概念は存在することを何度も書いてきた。

まずはそのことについて「理解」を深めて、
常に意識して生活する習慣をつけることが第一である。

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前々回の記事の通り「人間は健忘症」なので、
私が投影の話をした直後でさえ忘れてしまい、
投影の概念を無視して自分の感情を訴える人が多いが、
感情は自我(偽我)であり「真我」ではないのである。


OSHOも「マインドは有毒だ」と説いているが、
真我は「神」で、自我は「悪魔」と表現されることもある。

その自我を「自分」だと思い込んで固執して、
本当の自分ではない有毒な悪魔に人格を支配されいるのだ。


「世界が自分の投影だと思えない」
と、いくら否定したところで投影である事実は変わらない。

投影であることを素直に認めて内観することで、
意識進化のスピードが加速した人を何十人も見てきたので、
同じようなことを繰り返し書き続けているのである。

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全責任を受け入れると「悪人」になるわけだが、
2010年08月30日に次のような記事を書いた↓

汝、宇宙一の大悪党になる覚悟をせよ!


つまり、「全責任を受け止める勇気」とは、
「悪人になる勇気を持つ」ということだが、
「悪人だけに開かれた天界道(天国への道)」
を忘れないでいただきたいと願っている。


今回は少し長くなってしまったが、
盆休みスペシャルということで、
以下の記事もお読み頂ければと思う↓

取り返しのつかない悪想念と虫歯


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posted by ZERO at 09:36| Comment(4) | 意識進化 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
管理人様、自我は悪魔なんかではない。。。意識の変化や成長を助けてくれる「天使」かも知れない。そしてその天使は死んでいる。。。
自我は「生きもの」でないです。道具だと、考えてみては?
何故エゴは恐怖だと言っていてエゴに対する恐怖を煽るのでしょうか?
これらの情報を他者のエゴを通して流布する人々にとっては「馬鹿とはさみは使いよう」なのです。

管理人様は、エックハルト・トールという方をご存知ですか?「悟り」について解説し、そしてエゴの消滅を経験したと言い(マインドの死、とも言われているそうで)最初は論理性はともかく理性的で、人格者としての道を歩む為の指導書として手にした人もいたのかなと思います。ですが、最終的には彼は自分の敵だとみなした他ならぬ自我の囚人になってしまったようです。彼の言動そのものが、エゴイスティクだということに、本人も、気付けない状態に、なってしまった。(信者が多いので批判記事を見つけるのが難しかったのですが、カルトの被害をなくすための海外のコミュニティに関連の投稿があります。)
じゃあその学者だか宗教人は偽物だったんだね、という結論では、済まない気が・・・ほんと他人事じゃないんです。

管理人様は「幽界」とか別次元に精通されている様なので意味不明と思われないと判断して言いますが今そっちの(アセンション出来ない)人達はほんと大変なそうです。なので何処を見ても同じような情報で溢れています。
それは、今まで、人が自分で感じ、考え、判断するということが出来ないと教えることによって彼らの望む世界を現実に創造してきました。そしてそれを続けることが彼らにとっての唯一の「生存の道」らしいのです。俗に言う宇宙人、もそうなのですが、今チャネリングで何か偉そうに話しているのは皆このレベルらしく、感情がなく、心も持っていないらしいです。(生殖も、自然に出来ないそうです。)だから、本物の感情もエゴの産物だと言って否定してくると思います。

ですから、マインドを放棄せよなんていうのは、直感の尊さを教えるものではなく、自分で考えて判断することを阻害する動きだと理解して、まず、間違いがありません。
自分の経験で言えば、マインドは尊く、マインド(考える)=感じること、です。

本に書かれている情報も、一種のチャネリングです。今の世界には幽界発の図書も多いと思われます(もちろん、それ以外のも普通にありますが)
Posted by Maki at 2015年08月15日 13:25
この世はすべて内面の投影ですね^^

エゴ〜自我も内面の投影


それも〜人それぞれの「観念」


ありがとう世の中70億の観念が織り成すタントラ。。。


この世に正しい&間違いは何も無い。。。。



好きか?嫌いか?

それだけなのですね

私もあなたと同じ

マインドは嫌い^^マインドが強い人は嫌い(笑)

まあ〜これも私だけの(オショウと同じ)観念^^:


マインドが好きな人は〜そんな観念


それでいい^^

それが確認出来ました。。。。

ありがとう
Posted by エイジ at 2015年08月16日 18:31
Makiさん、こんにちは。

自我が悪魔というのは、真我を神と表現した場合の比喩です。

自我は自他分離意識なので、意識進化とは方向性が逆です。

エックハルト・トールは知らないのでWikipediaで見てみました。

それを読んだ限りでは、内観による意識進化のプロセスを踏んでいないようです。

禅などもそうですが、自我が希薄になって至福の状態を味わっているだけでは、常に堕落の危険性と背中合わせなのです。

一般的には「悟り」や「覚醒」と呼ばれる境地ですが、それは断じて「悟り」ではないし、「半覚醒」にも至っていません。

ネオデジタル内観の脳波測定でも言われていますが、実際に瞑想の達人でエゴがないことを主張する人は、大抵エゴが強いらしいです。

半覚醒すると世界認識が反転し、自分と世界の関係や自分と他者との関係について、全く感覚が異なるようになります。

また、自我と真我の2つの意識を持つようになるので、常に自我の思考や感情を監視するようになるので、エゴイスティックになればすぐに気付きます。

人類は過去何千年も自分で感じ、考え、判断して生きてきました。

その結果が今の社会ではないでしょうか?

感情がなくて生殖ができない宇宙人は、いわゆるグレイと呼ばれているやつですね?

グレイが実在するかどうかは知りませんが、その話が事実だとしたら彼らには魂がないか、退化して未熟になったのでしょう。

ちなみに、魂(真我)にも思考と感情はあります。

それは高次の世界認識に基づくものであり、自我の思考や感情とは異なるものです。

>マインドを放棄せよなんていうのは、直感の尊さを教えるものではなく、自分で考えて判断することを阻害する動きだと理解して、まず、間違いがありません。

→そのようなケースも多そうですが、それは思い込みと決め付けだと言えると思いますよ^^;



エイジさん、こんにちは。

>この世はすべて内面の投影ですね^^

→はい、100%投影だと私は断言できますね^^

Posted by ZERO at 2015年09月09日 07:51
管理人様、ご返答ありがとうございます。

>思い込みと決めつけ・・・

そのようにご判断されるのであればそれまでですが、自分はおそらくここに来られる大半の方と違い普段精神世界系と関わりがないのです。普段の情報も9割以上は俗に言う「日常」です。ですが人に見えないものが見えることがあり(いわゆる、超能力ではないのですが、何か「読める」)、それは自分が開発しようとせずとも日々勝手に成長している能力です。何か真理に達すると言うのは、その行程がいかなるものであろうと他者と通じるものがあると思います。ただ、管理人様は。。。おそらくその「道具」の共有に終始されている印象を受けます。他者と通じるでもなく、完璧でない他者を「超える」ですね。それらも一つのやり方ですが、個人的経験から言うと脱精神世界系で失うものも何もありません。ただ、勇気は必要かと思います。
管理人様が管理人様自身のお考えでお話して下さる以上これ以上申し上げることもないですし、私が管理人様に私個人の考えを押し付ける為にいくつか書き込みさせて頂いたのでもありません。皆さまのご多幸をお祈り申しげます。
Posted by MAKI at 2015年09月11日 17:08
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