2015年08月09日

人間は「健忘症」である!

今回も『THE GEDATSU』からの引用だが、
大切なことが書かれているので紹介しておきたい。

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金剛さまのお言葉

感謝の練習をしよう

修行とは「ガンバリズム」ではない。
心を落ち着けて、自分という存在をありのままにじっと見つめること。
これが修行の基本である。

解脱とはまさにほどけです。

●心の「結び瘤(こぶ)」をほどく

古今東西に至るまで、この世に戦争や紛争が絶えたことはない。

われわれの身近な生活の中でも、
いがみ合いや喧嘩は日常茶飯事といってもいいくらいだ。

何千年も前から、お釈迦様やイエス・キリストを始め、
多くの聖者・賢者が入れ代わり立ち代り現れて、
そんな人間の愚かさを戒め、
仲良く暮らすための道を説き続けて来たにもかかわらず、
今もなお喧嘩や戦争が絶えることはない。

なぜ人間はこんな愚考を性懲りもなく繰り返しているのだろうか。

その原因は、すぐに「オレは正しい」「私の考えは間違っていない」
という思いがムクムクと頭をもたげてしまう、
人間の脳みその構造にあるといえそうだ。

と、理屈ではよく分かっていても、
その自分の脳みそをどう扱えばよいのかという「実践問題」で躓き、
未だに決着を付けられずにいるのが誠に情けないことだが、
人類の現状であるといわざるを得ない。

しかし、人類はいつまでこんな愚考をグズグズと引きずっていくのか。

われわれの世代でさっさとケリをつけて、平和共存という
人類の新たなステージを清々しく切り開こうではないか。

お釈迦さまは、人間が喧嘩をやめて仲良く生きるための道を、
「成仏」することであると単純明快に説いた。

成仏とは「仏」になることだ。

ホトケとは「ホドケた人」のこと、
つまり「オレが」「私が」という思いの「結びの瘤」が
ホドケて自由になった人のことである。

ではどうすればその「結び瘤」はホドケるのか、
その道はただ1つ、「恩」を知ることである。



転載一時停止

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「感謝の練習」とはまさに内観である。

「心を落ち着けて、
自分という存在をありのままにじっと見つめること。
これが修行の基本である」

とのことだが、内観以外の何ものでもない。


「なぜ人間はこんな愚考を性懲りもなく繰り返しているのだろうか」
ということについては、
グレゴリオ暦に支配されているからというのが1つの見方だが、
結局はエゴ的な脳の構造(人間型ゲシュタルト)にあるといえる。

自分の脳みそをどう扱えばよいのかという「実践問題」については、
ヌーソロジーを理解しながらネオデジタル内観を実践することである。


人類の新たなステージは2013年に切り開かれたが、
意識進化のための努力が必要ではないということではない。

生きながら成仏する(仏に成る)ということは、
輪廻を解脱して半覚醒するということである。


「オレが」「私が」という思いの
「結びの瘤」がホドケて自由になった人……

即ち、自我(人間型ゲシュタルト)を破壊し、
自由度を拡大(次元を上昇)した半覚醒者(変換人)。

その道はただ1つ、「恩」を知ることだということだが、
合理的に体系化されたメソッドがネオデジタル内観である。

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引き続き、金剛さまのお言葉を紹介しよう↓


総ての人間は一人残らず、
十重二十重に尽きせぬ恩に取り巻かれている。


●「ガンバリズム」から自覚の道へ

「オレが」「私が」という思いの瘤をほどいてしまえば、
清々しく生きることができると誰もが理屈ではよく分かっている。

しかし、それがなかなかできないのだ。なぜだろう。

人間は何か思い違いをしてきたに違いない。
いったいどこに問題があったのだろう。

もしかしたら人間は
「自己中心的な心を持ったままで、
自分の自己中心性を改めることは不可能である」
という道理に気付いていなかったのではないか。

この単純な道理に気付かぬまま、
わがままな自分の心を自分の力で無理やりねじ伏せようと
涙ぐましい努力を重ねてきたのが、
人間の「修行の歴史」だったのかも知れない。

だから、あれほどの努力にもかかわらず、
人類は相も変わらず喧嘩や戦争という愚行を繰り返しているのだ。

修行とは、決して「ガンバリズム」ではない。
このことをまずしっかり胸におさめてもらいたい。

そして今から、心を改め新しく生まれ変わるための
真の修行に取り組もうではないか。

心を落ち着けて、
自分という存在をありのままにじっと見つめること、、
これが、修行の基本である。

そうすれば、自分が無限の「おかげさま」に
包まれた存在であることに、いやでも気付くだろう。

肉体生命も、衣食住の一切も、すべて神先祖のおかげであり、
人々や宇宙万物のおかげであることが分かるはずだ。

そして、この自覚が深まれば深まるほど、
それまでの「オレが」「私が」という思いなど消えてしまい、
感謝の念に満たされている自分に気付くだろう。

さあこれから、この修行の基本を日々実践し、
共存共栄の世界という人類の新しい時代を、
共に切り開いて行こうではないか。


転載一時停止

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内観という言葉こそ出てこないが、
金剛さまが説く修行は「内観」そのものである。

しかし、解脱会が言う「金剛さま」とは何ものだ!?


それはともかくとして、
「自己中心的な心を持ったままで、
自分の自己中心性を改めることは不可能である」
というのは、オコツトの言葉とも通底するものがある。

「反転という操作自体が
人間型ゲシュタルトを崩すことを意味しているのですから、
人間型 ゲシュタルトの中で反転を試みようとしても無理です」


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最後にもう一発だけ、金剛さまの言葉を載せておく↓


人間の一生を十とすれば、十の全部は皆報恩感謝の一生である。

●人間は「健忘症」である

自分という存在はまさに「恩」の結晶であり、
すべては「おかげさま」であるという理屈を理解することは、
それほど難しいことではない。

しかし、悲しいかな、人間はそぐにそのことを忘れてしまう。

宗教はこれまで教義の優劣を競うことばかりに気を取られて、
人間誰もが「健忘症」であり、すぐに図に乗ってしまう
オッチョコチョイな存在であることを見過ごしてきたのかもしれない。

だから、昔からどの宗教も異口同音に感謝の大切さを説き、
この自覚こそが人間の幸福と
平和を生み出す基盤であると力説してきたにもかかわらず、
いまだに人間は世界中で「オレが正しい」、
「お前は間違っている、正しいのはこのワタシだ」
と互いに優劣を競り合い、醜い喧嘩や戦争を繰り広げているのだ。

宗教にとって一番大切なことは、
どれだけ素晴らしい教義を説いているかということではなく、
「健忘症」の人間がどれだけ感謝の大切さを忘れず、
日々感謝報恩の生活を実践できているかという点にある。

ではどうすれば、人間は忘れないようになるのだろうか。

答えは簡単だ。
毎日くり返し「感謝の練習」をすること、これしかないだろう。

この単純な道理に気づけば、
いったいなぜ我々が毎日お給仕をして神々様にご挨拶をしたり、
ご先祖さまに御供養をしているのか、その理由がわかるはずだ。

そう、くり返し練習をしていないと、
われわれはすぐに感謝を忘れてしまうからなのだ。

このことが納得できたら、さあ今日から感謝の練習を始めよう。

最初はうまくできなくても、毎日練習すれば必ず感謝の達人になり、
いやでも幸福になれること請け合いだ。


転載終了

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たとえて言えば、
宇宙万物は愛と感謝のキャッチボールで成り立っているが、
人間はその感性や感覚を完全に失ってしまっているために、
進化の道から脱線して自ら幸福を遠ざけているのだ。

その感覚や感性を取り戻すための修行が「感謝の練習」である。


毎日一定時間の「集中内観」と、
日常生活の中で内観する「日常内観」は、
まさに「感謝の練習」だと言えるが、
全ては「必然・必要・ベスト」だと腑に落ちた時、
人生の全てに感謝できるようになる。

そうなったら輪廻を解脱したも同然で、
半覚醒への扉の前まで辿り着いたようなものである。


『日月神示』の以下の言葉に、
全てが集約されているといっても過言ではない。

「一切に向かって懺悔せよ。
一切を受け入れ、一切を感謝せよ。
一切が自分であるぞ。
一切が喜びであるぞ。

何事に向かっても先ず感謝せよ。
ありがたいと思え。
始めはマネゴトでもよいぞ。
結構と思え。幸いと思え。
そこに神の力加わるぞ。
道は感謝からぞ。

今は今の姿が真実ぞ。
そなたの頭で割り切れんと申してブツブツ申すでないぞ。
あるものそのものが真実であるぞ。
そのあるものを拝み、祝福して、そこから出発せよ。

現在を祝福することは過去を、未来を、総てを祝福することぞ。
たとへ如何なる現在も、その現在を祝福せねばならん。
喜びせねばならん。喜びもとと申してあらうがな。
何事が起こっても先ず喜べよ。
それが苦しいことでも、かなしいことでも、喜んで迎へよ。
喜ぶ心は喜び生むぞ」



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posted by ZERO at 21:19| Comment(6) | 意識進化 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
先日はアドバイスをありがとうございました。

世の中の夏休みが終わった頃、プラネタリウム行ってみます!!

ところで今年の春頃の事なのですが
朝 起きた時に どこかから 「ほっとけ!」と、声が聞こえたのです。

私は 「「ほっとけ」って仏?!」と思いつつ(笑) 思い当たるふしがあったので 意味がすぐ理解出来ました。

それは 私が家族に対して 神や仏の分身であることを、すっかり忘れて 人間の部分にだけフォーカスして「あーしたらいいのに」とか「こーしたらいいのに」とか思って、いつの間にか人を変えようとしている事でした。

私にとって「ほっとけ」は 人間的な部分はほっといてその人の神や仏の部分に任せときなさい!という意味だったのです。

計り知れない無限の可能性があることを忘れてしまいがちなのです・・・


今回の記事を読んで   仏って 「ほどく」という意味があるのも分かって目から鱗です♪


1つの考えに捉われている時は 視点が1つしかないけれど、次元が上がるほど視点が増えて 物事を色々な方向から見ることが出来るのかな?と思いました。
視点が増える程 からまったものが、ほどけてきて
物事がシンプルに見えてくるのですね☆
問題が問題じゃなくなってしまうのですね!


やはり 自分もまわりも 神であり仏であることを 忘れなければ 感謝することや尊重することが自然に身に付くのかも知れないですね。

なんて書きながらも
実は 今朝その事を忘れ
また家族に対して「あの習慣、止めたらいいのに!」て思ってしまっていました!(笑)  

でもすぐに気が付きましたけど
何だか人間って・・・
コミックです(笑)!!

Posted by エストレーリャ at 2015年08月12日 20:46
エストレーリャ様

新参者です。みたらしぷりんと申します。よろしくお願いします。

「仏」の意味について、もしかして釈迦に説法かも知れないですが、

「法が解ける、法が説ける、からホトケ」という意味もあるそうです。
(なぜか神道系の方々が良くそう言っています。)

なんだか短いコメントですみません。
それでは失礼致します。
Posted by みたらしぷりん at 2015年08月12日 23:07
エストレーリャさん、こんにちは。

昔、冗談でよく「仏なんてほっとけ」と言っていました(笑)

自他の本質(神仏)を観ることが最も大切ですね^^



みたらしぷりんさん、こんにちは。

「法が解ける、法が説ける、からホトケ」も興味深いですね。

喉仏を「ノドチンコ」と言ったりしますが、
確かに男根は男性の本尊であり、
神社の御神体にされていることもあります。

しかし、男だけが仏なのかというと決してそうではなく、
古語では女性器の外陰部を「ホト」と呼ばれていました。

ホトの毛が「ホトケ」!?^^;

みたらしぷりんさんのブログを拝見すると
2013年にホットケーキの記事を書かれていましたね。

みたらしぷりんの味を想像すると
ホットケーキのイメージがありますが、
ホットケーキを略しても「ホトケ」になりますね(笑)

仏の語源を検索すると
以下のようなものが出てきました↓
http://gogen-allguide.com/ho/hotoke.html

「解け」は3に該当し、言霊学的にはそうかも知れませんね。

でも、1がストレートな感じがします。
Posted by ZERO at 2015年08月14日 05:46
ZEROさん、みたらしぷりんさん☆
興味深い新たな視点(笑)を ありがとうございます♪


子供の頃、ホットケーキを初めて食べた時、
「こんな幸せを感じる美味しいものがあるんだ!!」と、目が覚めるほど感動しました!! 

仏に目覚めた瞬間ですね(笑)
Posted by エストレーリャ at 2015年08月14日 09:15
ZEROさん、エストレーリャさん


「ホトケ」の神道的解釈、全く新しい視点でちょっと頭がスパークしてしまいました。
衝撃です。ありがとうございました。

そういえば、言霊学では、ケ:「毛」≒「氣」で、氣の質を最も端的に表したものと
言う意味があると聞いた事があります。

なので「ホト+毛」は、
万物を生み出す所の氣と解釈もできる!?
と妄想に走ってしまいました。



ホトケの語源のお話しは、僕もそうだと思います。
「覚者」→→→「ホトケ」が一番ストレートですよね。



最後にホットケーキ! 何というか、シンクロニシティというのか、
声も出ません。すごいです。

ホットケーキは、確かに食べるとほわほわと幸せになれますね!
最近のパンケーキブームも何か関係があるのかな?
とちょっと思いました。

Posted by みたらしぷりん at 2015年08月15日 01:02
エストレーリャさん、みたらしぷりん、こんにちは。

確かに、ケガレチ(氣枯れ地)と書くとおり、
「ケ」は「氣」で「毛」とも無関係ではなさそうですね。

日月神示にも、

「髪を切って息吹きて祓ひて紙に包んで供へまつれよ」

と示されていますが、髪は神にも通じますね^^

今日、髪を切って神社に供えてきます(笑)
Posted by ZERO at 2015年08月15日 04:32
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