2015年07月31日

尊重するべき自他の境界線

「自己と他者の等化=愛」について書いたが、
この人間界においては自己と他者の間には、
境界線というものが厳然として存在する。

確かなことは分からないが、
自己と他者の「反転のカベ」を境界線と呼んでも良いと思う。

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それを理解して、相互に尊重し合わない限り、
自他一体の世界には入れない……というのが私の考えである。

境界というのは領域(テリトリー)のことで、
空間的なテリトリーもあれば、心のテリトリーもあるが、
波長の異なる者が侵入や干渉してくることは、
宇宙の秩序に反する行為だと言える。


天国は愛と調和の世界だが、
もし地獄霊が天国に侵入してきたとしたら、
何も悪さをしなくても即座に追放されることだろう。

神霊能力者の隈本確も「謙虚」「礼節」をモットーにしている。


数年前までは境界線の大切さについて言及していたが、
「自他一体」を説きながら「境界線」の話をすると、
その矛盾について質問されると説明が困難なため、
近年は「境界線」についての話を避けてきた。

だが、昨年、マクレーン氏提供の
シルバーあさみ氏の著書『魂が覚醒する気づきの法則』
を読むと「境界線」について書かれていた。

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シルバーあさみ氏が書いていることも、
私が書いていることと共通点が多いが、
「境界線」の部分について引用しておきたい↓


境界線を整える

人間関係の中で「境界線」を整えることは大変重要です。

人と人が関わるときに魂を磨くことができるのも
「境界線」が整っている人の方が有効で早いです。

言葉、思考、人間力が向上するラインともいえるでしょう。

覚醒道では、学びの中で「境界線」の
基礎から上級までを中心的にお伝えしています。

覚醒段階が上がる人の方が「境界線」が整っています。

私は、茶道と禅修行をしていましたので、
「畳の縁を踏まない歩き方」「床の間に上がらない作法」
の修練を徹底的に師匠から学びました。

現代では、畳の部屋が少ないですから、
旅館や料理屋で畳の縁を踏みながら歩く人を見ますと、
人の気持ちも踏みつけているように見える時があります。

また、神社に行ったときに手を洗う場所には「手水所」、
これ以上入ってはならない場所には「結界」があり、
日本文化では神様や人と接する前の尊重心のライン(境界線)、
踏み込んではならない「境界線」が重要と考えられていて、
古代から神仏や目上の人に対する
「境界線」が大事にされてきたことを認識しておきましょう。

マナーが整っているレストランや店では、
従業員の方の「境界線」が整っていて、
一定の距離感を保ちながら心地よく過ごすことができます。

社会生活で倫理的にも整っているということは、
仕事や収入にも繋がります。

さて、境界線を学びましょう。
両手を広げて、中指のところに「境界線」をイメージして下さい。

誰かと会話するときにも、半透明な境界線があって、
それを通して相手と会話することを積み重ねます。

すると、感情的なやり取りがあるときには、
「境界線」のイメージはすっかり忘れているときであり、
意識していると、中立、客観的な意識で、目の前の人は、
魂の磨きであるという「境界線」が整ってきます。

無理なやり取りがないので、ただ自らを磨くことに専念できます。
「境界線」があると、愛と信頼が通じることも実践の中で体験します。

誰もが人と人の中で幸せになりたいのですが、
境界線がないと、相手にエゴを押し付けてしまいます。

「こうしてほしい」「思い通りに動かしたい」
「あなたのためにやっていたのに」
「どうして気持ちが分からないの」等々は、
すべて境界線が崩れて湧き上がるエゴの概念です。

ラインを行き過ぎた関係は不調和を起こすだけです。
これは本当に面白いラインで、意識すればするほど整ってきます。

世の中でうまくいっている人は、
「境界線」が見事であると書き添えておきましょう。



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私は意識的に「境界線」を整える修行をした記憶はないが、
私も幼少の頃から茶道や武道など「道」を歩んできた。

また、20代の頃は毎日毎日、
何人、何十人の様々な職業や年齢の人達と交流し、
次々と新しい人脈を作っていた時期があるので、
その中で自然と培われていったのかもしれない。

とりあえず、シルバーあさみ氏の話の続きを紹介しよう↓


人と人の間の「境界線」は愛と信頼を通す調和のライン

昨今のインターネットブームでは、
メールを通じて相手の世界に立ち入ってしまったり、
返事がないと無視されたと怒り出る人たちには、
「境界線」を本当に整えて、知ってほしいと感じています。

「境界線」は実体験でないと整いませんので、
失敗を恐れずに、いろいろな人と接してみて下さい。

ラインを行き過ぎて期待を裏切られるような言葉を言われたり、
距離を引きすぎて孤独を感じたりするのは適切ではありません。

生きているといろいろな状況に直面しますが、
実際に「境界線」を意識して相手と対峙してみなければ、
「境界線」が整っているのか、いないのかわからないですから、
トライしてみなければ覚醒の道は歩めません。

「境界線」を意識して人と接していく中で、
「このラインが愛と尊重と信頼関係がうまく取れる適切な境界線である」
ということを、日々の経験に寄って習得することができます。

「境界線」を知っている人と知らない人とでは、
言葉の使い方も、生きる姿勢も、人間関係の円滑度も全く違います。

総じて「境界線」を知らない、意識したこともない人達が、
家庭も職場もエゴだらけで過ごしているのが大半です。

人間の魂というのは、経験していくことで磨かれるなどというのは、
聞いたこともないエゴライフです。

つまり、魂の経験をするために、
私たちの人生があるというのが「気付きの法則」ですから、
人に対して尊重心がなく、自分の思い通りに事を運ばせたい人は、
なかなかうまくいかないのではないでしょうか。

人間関係に争いが多かったり、
トラブルで殺伐している事象がある場合は境界線がない状態です。

相手に自分勝手な気持ちを強く要求したり、無頓着だったり、
依存が強いと、何もかもうまくいかないことになってしまいます。

「畳の縁を踏まない」というのは、本当の意味での賢さと知り、
その中で人間関係を磨き合っていきましょう。

家族、長年の親友、気の合わない人、別れた男女、
袖すり合わせて電車の中で会っただけの人といったように、
皆さんは距離感を勝手にエゴでつくってしまいます。

これからの時代は、適正な「境界線」をもって、
人と尊重してつながっていく時代です。
分かち合いの時代ですね。

覚醒者は、セッションに数回来ているクライアントさんも、
初めてご来場の方も、街で出会ったカフェの人も、
同じ適切なラインで接することができます。

結果的にどなたとでも健全な会話ができます。

もちろん、段階に応じた、境界線の精進は続きますが、
「この人だけが特別な相手」ということがありません。

結果的に人間関係が円滑になり、人間力ができます。



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全く同感だが、境界線が整っていないということは、
テレパシックなコミュニケーション能力の欠如であり、
また「中心感覚」の欠如だと言って良いと思う。

バーバル(言語的)なコミュニケーションと
ノンバーバル(非言語的)なコミュニケーションの
バランスが取れていないと言えるかも知れない。


ヌーソロジー的に言えば、
人間型ゲシュタルトが強固で自我一徹ということで、
人間型ゲシュタルトの破壊が何より急務である。

それでは引き続き、シルバーあさみ氏の話を紹介する↓


境界線が整うと、言葉、姿勢、生き方も整ってくる

これは本当の奥が深くて、
「境界線」という専門書を書きたいくらいであります。

それ以外は、魂を磨こうとしてもやや無理なのです。

ですからまずは、「境界線」の基礎の学びを深めて、
人と人の適切な境界線を創り上げていきましょう。

境界線をきちんと取ることができないと感情的になってしまい、
「こう言われた」「こんなことをされた」「あの人のせい」
「あの人がこういう性格だから」と言って悩んでしまいます。

これでは全く軌道修正がなされません。

人生の起きる出来事や目の前に人との磨きが「必然」です。

「今起こっている現象は魂の成長のための必然である」
とお伝えしています。

起こっている全ての現象が「必然」です。

周りに意地悪な人がいたら、あなたの無意識にも怖い意識があり、
不親切な人がいたら、不親切を受ける要素の因があることを
覚醒道で気づいていきませんか。


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境界線の話は少し長いので省略したが、
最後にもう1話だけ紹介しておきたい↓


感情よりも気づき

「覚醒者には感情は必要ない」とお伝えします。

これは冷たいのではなく、お互いに気づくためには、
目覚め、悟る、境界線をしっかり持っていくということです。

人間の喜怒哀楽は美しいようですが、覚醒していくと、
怒りは認識しながら解放するので、いずれ減っていき、
悲しみは、幼少期の傷が癒えるのでなくなっていきます。

傷があったから、人の言葉が傷に染みるのが分かる、
そして認識して、傷がなくなるまで、
日常の中で悟れるので減っていきます。

最終的には「喜び」と「楽しみ」はあるでしょう。

螺旋上昇の中で私たちは、幾度も魂の経験を積み、
成長しながら、その場の感情に翻弄されることよりも、
いつも動じない在り方を貫いていける人になりましょう。

人は皆、懸命に生きている。
エゴだらけだった自分も、その時には悩み、
葛藤して、一生懸命生きてきました。

多くの人が、うまくいかない、苦しい、悩みから抜けられないのは、
「すべての出来事が魂の成長のために起きている」
と知らなかったからではないでしょうか。

相手にエゴを押し付けてしまったり、
エゴの思考のまま子供に強く言ってしまったり、
エゴで争っていると気づかずに、
周りのせいにしているからではないでしょうか。

「社会のせい」「主人のせい」「子供のせい」「私の性格のせい」にしていると、
「こんな思いで育ててきたのに」「こんなにがんばっているのに」
「私はあなたのことを思って言っているのに」と空回りしてしまいます。



転載終了

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この記事は3月に載せる予定だったが、
3月24日のダイナビジョンのメルマガで、
たまたま「境界線」について書かれていた。

メルマガは殆ど読まずに削除しているのだが、
件名に「境界線」と書かれていたので目を通し、
今回の記事で紹介するために保存しておいた。

それでは以下に転載させて頂きたいと思う↓


ほとんどの人は自分と他人の
「境界線」を意識したことがない!?



「境界線」って意識して過ごしていますか?

私たちはエネルギーであり周波数であり、
常に共鳴し合っている存在です。

量子力学的にも、
素粒子レベルでは、
粒であり波である性質が証明されているように、
私たちも粒であり波の性質を持つ存在です。

この“波”の性質がとっても重要で、
“波”の性質を理解することで
引き寄せの力も働きますし、
他人の感情に巻き込まれることも減っていくようになります。

その原理はなんなのか?
水面に一滴の雫を落とします。

すると波紋が広がりますよね?
それがあなたの“波”すなわち周波数です。

あなたの“波”が広がっているところで、
近くにもう一つ雫を落とします。

また別の波紋が広がります。
これが他者の“波”すなわち他者の周波数です。

波紋同士がぶつかると干渉しあって、
打ち消しあいますよね。

これは協調ではなく、
ぶつかって相殺するエネルギーで、
巻き込まれるという状態です。
例えばこんな体験をしたことはありませんか?

「平常心だったのに、
怒っている人がいてなんだかイライラしてしまった。」

「泣いている人がいて、
自分は関係ないのに悲しくなってきた。」

「赤ちゃんの笑顔を見て、
自分も思わず笑顔になってしまった。」
これが共鳴です。

上の二つは打ち消しあう共鳴で、
自分も同じ感覚の周波数が引き出されて
同調してしまったという状態です。

笑顔の共鳴はとっても素敵で、
同じ原理ですがこちらはどんどん巻き込まれたい!
と思うのが不思議なところ。

できることなら怒りや悲しみの共鳴は避けたいですよね。

もし、
この巻き込まれる共鳴から卒業して
自分を守れる方法があるとしたら
知りたいと思いませんか?

周りでなにが起こっていても、
ただ自分の中心軸に居続けられる方法。

実はこの方法こそが、
自分と他人の「境界線」を守る方法といわれるもので、
簡単そうで難しい、
誰もが最初につまずく難題でもあるのです。

“他人の感情に惑わされずに、
どんなときも自分軸を保てるようになる”

僕はドルフィンに通って「境界線の保護」を身につけてから、
人生が一変しました。

・誰になにを言われても
「自分がどうしたいか」を基準に考えられるようになりました

・周りで起きている状況に対しても
冷静に判断ができ、
裁くことがなくなりました。

・自分の気持ちなのか、
誰かに気を使った気持ちなのかがわかり、
もっと自分を大切にできるようになりました。

いかがでしたか?

「境界線を守る方法」をきちんと身につけることで、
こんな風に意識や考え方まで変わってしまうのです。



転載終了

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私にはうまく説明できなかったことだが、
境界線の大切さがご理解頂けただろうか……。

当然のことながら、
まず自分自身の境界を把握して大切にしなければ、
他者の境界を把握して大切にすることはできない。



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posted by ZERO at 20:33| Comment(4) | 意識進化 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
以前 ZEROさんに 
「最近、自分が 泡の中にいるような感じがする」と コメントした事がありました♪

今日 こちらのブログを読んで 更にイメージが 発展しました。

自分も相手も1人1人が シャボン玉の中にいて 表面の膜に 自分が入ったシャボン玉が映し出されているのです。
お互いに 相手のいる膜に自分と自分の背景も映し出されている・・・

結局 全部映し出されているのです。

スクリーン=幕は 膜だったあせあせ(飛び散る汗)あせあせ(飛び散る汗)

自分の前に 透明なシャボン玉の膜のスクリーンがあるとすると 自分の中で 辻褄が合いました。


そして 膜が境界線なのかな?! 
自分と相手を尊重していくことにより 境界線である膜が 
クリアになっていくような・・・

Posted by エストレーリャ at 2015年08月02日 11:56
お久しぶりです。

自分自身の尊重は個宇宙の尊重であり、全体への寛大な尊重でもあると感じます。
本音、どのようなものもすべてを大切にしていきたいですね。
その上で、削ぎ落としていくものとも向き合う というか。
改めて感じられました。
 
個々のフィールドをスキャンして無闇には立ち入らないようにしています。
一定的な観察行動を好むところがあるので、無闇な感覚が得意ではないからかもしれません(^^;
関係性としては楽しめることもありますけれど。
  
あさみさんの引用で、いいなと感じたのは、「距離を引きすぎて孤独を感じるのもいかがか」という部分でした。
いつぞやに、起こるままに味わい愛でて経験している時に、私個人は孤独は苦ではなかったのですが、「孤独=寂しい→なんとかしてあげたい」という図式の概念を投影されたことがありました。投影を引き受け、されるがままにセッションを受けましたが…

その現象も、私の中で、人間として生きてみる上で適切な概念を取り入れるために(笑)、幼少時の思い込みが引き起こしていたと理解する流れによって、解放されてゆきました。
 
距離感では、踏み込みと孤独もまた、セットなのかもしれませんね。
本当に、自分を大切にすることの大切さを感じます。
 

境界線の超越に関しては、自他同一の認識でもあるかとは思います。
反転の量子的壁の図も面白いですね。
 
存在の結晶構造への干渉は、創造の過程で、協力や、解放の必要性があるときに起こる印象があります。
  
同時に、変化や立ち入りを許可している存在は、他の存在へもやはり寛容ですね。

自然界、潜在界、多次元パラレル、みな量子的領域では同じようにサインとして現れてはいますが、過剰な干渉はないように思います。たなびく風のよう。といいますか‥。
サインや距離を超えた干渉を感じられるとしたら、両者が引き合っていることを認識した瞬間の出来事なのでしょうね。
  
昨夜から量子転換等についての検索中に、こちらの過去記事にたどり着いたので、久々にコメントいたしました。
長々と成りました^^;
どうもありがとうございました。
 
猛暑続きますが、ご自愛下さいませ♪
 
Posted by 水火 at 2015年08月03日 04:45
書き忘れたため追記いたします。
与太郎さんがこちらのブログを更新されている事で、私も様々なことを再認識、確認ができるように感じておりますので、嬉しく思います。楽しみにしております。
私もブログを書こうと思いながら休止中なもので、継続されていること、素敵だと思います。
影ながら応援しております♪

Posted by 水火 at 2015年08月03日 04:57
エストレーリャさん、こんにちは。

そのイメージは大切にした方がいいと思います。

>自分も相手も1人1人が シャボン玉の中にいて 表面の膜に 自分が入ったシャボン玉が映し出されているのです。
お互いに 相手のいる膜に自分と自分の背景も映し出されている・・・
結局 全部映し出されているのです。

→ナイスな表現ですね!
僕もそのような感覚です。

まさに「スクリーン=幕」だと言えるかも知れませんね^^

>自分と相手を尊重していくことにより 境界線である膜が 
クリアになっていくような・・・

→これも素晴らしい感性だと思います。

それに加えて、エストレーリャさんも機会があれば、
コニカミノルタのプラネタリウムのCMを観てみてください。
その感性があれば、強烈な感覚に包まれると思います。



水火さん、こんにちは。

貴重なご意見ありがとうございます。

僕も全体的に同感です。

この記事は最近更新したばかりですが、
量子転換等についての検索中にたどり着いたというのは、
またまた凄い偶然というか奇遇ですね^^

>距離感では、踏み込みと孤独もまた、セットなのかもしれませんね。

→これは僕にはよく分からない感覚ですが、そうかもしれませんね。

>様々なことを再認識、確認ができるように感じておりますので、嬉しく思います。

→それは誠にありがとうございます。
こちらこそ嬉しく思います。

水火さんも、ご自愛下さいませ♪

僕は暑さに強いので全然平気で、
もっと暑くてもいいですが、
世の中には熱中症になる人もいるので、
今ぐらいがちょうど良いということにしておきます^^;
Posted by ZERO at 2015年08月04日 08:33
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