2015年07月25日

アセンション・プログラム(ψ7「うしろの正面」の理解)

かつて、神仙組1でも紹介した話だが、
半田広宣氏はこのような話をしている↓


●ψ7――うしろの正面だぁれ

ここで1つ、面白い話を紹介しておこう。

かァごめ かごめ
かァごの中の鳥は
いつ いつ 出やる
夜明けの晩に
鶴と亀がすゥべった
うしろの正面だぁれ

霊的な解釈とされているものにはいくつかの種類があるようだが、
わたしが最もそれらしく感じられたのは次のような解釈だ。

まず、かごめとは「籠の目」、
すなわち六芒星形を意味しており、
鳥とはこの場合、人間の霊性を示す。

確かに古代から鳥は人間の霊性のシンボルとされてきた。

つまり、この2つの解釈を繋ぎ合わせれば、
「かごの中の鳥」とは六芒星的世界に
閉じ込められた人間の霊性を表すことになる。

次に、「夜明けの晩」だが、
これは端的に言えば1日の円環的つなぎ目を表す。

太陽が東から昇り昼を作り、やがて西へ沈み晩を作る。

しかし、その「晩」の終わりとは「夜明け」であるところの日の出である。

つまり、「夜明けの晩」とは、始まりは終わり、終わりは始まり、
という宇宙秩序の円環的な性質を語っていると考えられるわけだ。

そして、「鶴と亀がすゥべった」は比較的、理解しやすい。

「鶴」は昔から女性原理を表す象徴であり、
「亀」は男性原理の象徴と見なされた。

「すゥべった」とは「統べる」からきており、
結局、これらの意味を合わせれば「陰陽の統合」ということになる。

さて、ここまでは実にスマートに解釈ができてくるのだが、
問題は最後の「うしろの正面だぁれ」というフレーズである。

わたしはいろいろと調べてみたが、
この部分に対する解釈はみなまちまちで、
これといったものはなかった。



転載一時停止

150618_0145~01.jpg

「六芒星的世界に閉じ込められた人間の霊性」
というのは上図のような意味合いだろう。

「夜明けの晩」は宇宙秩序の円環的な性質を語っているとのことだが、
私の二元性の等化の認識は、このような円環的なイメージである。


さて、かごめ歌には様々な解釈があり、
私の霊的解釈も以前発表したが、
「陰陽の統合」を意味する歌であるならば、
「うしろの正面だぁれ」も陰陽合一、
または二元性の統合を示しているはずだ。

後ろの正面に誰がいるかを当てる遊びなので、
単純に考えれば、自分とその後ろの正面にいる
他者との等化(統合)ということになる。

EPSON644-9f3fd-e4dc7.jpg

また、「球精神への反転」の図に当てはめると、
真ん中の「対象」が自己の位置となり、
前の正面にも後ろの正面にも他者が存在する。

そして、対象が1つならば、
主体も1つのものとして感覚化されなければならないなら、
そこには自分が客体(対象)としての、
「主客一体」の変換人型ゲシュタルトが生まれることになる。

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これはあくまでも私の解釈に過ぎないが、
半田氏は次のように解説している↓


今まで考察してきたタカヒマラの構造から、
この謎かけに対する答えが、
〈わたし自身〉であることに気づかれた読者もいることだろう。

私たちが常に背中側に感じている暗闇の空間……そこには何と、
真向かいにいる他者が見ている世界が存在しているのだ。

つまり、私たちの背後には、いわゆる3次元的な意味での
後ろ側の空間など存在していないのである。

その意味からすれば、後ろの正面とは、
他者が見ている私自身に他ならない。

自己と他者とは進化の方向へ反転した空間においては
背中と背中がくっつき合った同一のアダムなのである。

そして、このことを発見することが
「かごの中の鳥」を真の自由空間へ飛翔させるのだ。

次元観察子ψ7(精神球)以上の空間は、
他者から見た世界を実は共有している。

オコツトが進化の方向性と言っていた意味が
どういうことなのか、よく私にも分かりかけてきた。

つまり、意識自体は自己と他者を区別しない
空間領域を厳然として持っているのだ。

そして、その領域に存在する意識は
私たちの潜在意識下では確実に働いており、
それが、私たちが集合意識と呼んでいるものなのだろう。

この空間領域は、おそらく私たちの意識の中では倫理や良心、
そして愛の源泉として機能しているに違いない。

オコツトがいう意識進化の方向性とは、
他者をも自分自身と同一のものと見なす
意識の方向性のことなのである。

私は探し求めていた強靭な愛の存在証明が
この精神球と呼ばれる反転した空間領域の中に
あるのではないかと確信した。

「神がアダムを造った時、前にも後ろにも顔があるように造ったという。
それからアダムを2つに断ち切り、それぞれにひとつの背中を造ってやった」
(R・サミュエル・バー・ナーマン)


HI3G0292.jpg

次元観察子ψ7(球精神)が見えてくると、
自己Aが普段感じている背中側の空間が、
実は正面に位置している他者Bが
前方に見ている空間と同一のものであると感じてくる。

これは当然、他者Bにとっても同じである。

つまり、〈うしろの正面〉とは、他者側から見た自己自身の姿なのだ。



転載終了

3857819i.jpg


私にはサッパリ理解できないのだが、少し話を整理しよう。

自分の背後の空間が、
真向かいにいる他者が見ている世界であることは理解できるが、
その後ろの正面は他者が見ている私自身というのは一体……。

また、「自己と他者とは進化の方向へ反転した空間においては
背中と背中がくっつき合った同一のアダム」とのことだが、
後ろの正面は「わたし自身」だという……。


これを理解するためには、図解の説明の理解が必要だと思われる。

@次元観察子ψ7(球精神)が見えてくると、
自己Aが普段感じている背中側の空間が、
実は正面に位置している他者Bが
前方に見ている空間と同一のものであると感じてくる。

Aこれは当然、他者Bにとっても同じである。

Bつまり、〈うしろの正面〉とは、他者側から見た自己自身の姿なのだ。


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ψ7(球精神)が見えなくても、
@とAは誰でも理解できることだが、
Bの意味がよく分からない。

感覚的には分かるのだが、
その意味することが明確に理解できずにいる。


「私たちが常に背中側に感じている暗闇の空間……そこには何と、
真向かいにいる他者が見ている世界が存在しているのだ」


まず、これは普通に理解できることで、
以下の話も同じ意味を持ったものである↓

「自己Aが普段感じている背中側の空間が、
実は正面に位置している他者Bが
前方に見ている空間と同一のものであると感じてくる」



従って、図解の通り、以下の意味も理解はできる↓

「自己と他者とは進化の方向へ反転した空間においては
背中と背中がくっつき合った同一のアダムなのである」


HI3G0292.jpg


そうすると、次の2つの理解に苦しむことになる↓

「今まで考察してきたタカヒマラの構造から、
この謎かけに対する答えが、〈わたし自身〉
であることに気づかれた読者もいることだろう」

「〈うしろの正面〉とは他者側から見た自己自身の姿」



そこで、カバラの奥義である「生命の樹」に目を向けると、
「生命の樹」は絶対三神の象徴とされているが、
それを人間に見立てた場合を「アダム・カドモン」という。

アダム・カドモンは後ろ向きに描かれるのが一般的で、
アダム・カドモンの後ろの正面は私ということになる。


アダム・カドモンの真の姿を知るには正面から見る必要があり、
そのために鏡を使って反転させることを「鏡像反転」と呼ぶ。

すると、アダム・カドモンの前の正面から見ることになるが、
その時のアダム・カドモンの背後の世界は私が見ている空間で、
尚且つ、私はアダム・カドモンと背中合わせで一体とも言える。


そのような解釈の仕方によって以下の意味も一応理解はできる。

「自己と他者とは進化の方向へ反転した空間においては、
背中と背中がくっつき合った同一のアダムなのである」



それによって、私は半田氏の話が感覚的には分かるが、
ハッキリと明確な意味を理解することができずにいる……。

いずれにしてもΨ7は「球精神への反転」なので、
それをベースにして考察する必要はあるだろう。



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posted by ZERO at 17:52| Comment(0) | ヌーソロジー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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