2015年07月23日

アセンション・プログラム(ψ7「球精神への反転」)

「アセンション・プログラム」もクライマックスに突入だが、
オコツトは次のように述べている↓


●球精神への反転

位置の変換とは、位置の等化(次元観察子ψ5)と
位置の中和(ψ6)を行った後に生まれるシリウスの調整作用です。

空間の曲率が完全に主体の質点側に
反転してしまうことを意味しています。

たとえば1つの対象を
複数の人間が取り巻いている状態を想像されるとよいでしょう。

現在のあなたがたの意識では対象が1つで、
それを見ている主体が多数いるとしか見えないはずです。

しかし、位置の変換が起こり始めると進化の方向性が顕在化するために、
それらの関係性が反転した空間も見えてきます。

つまり、対象が1つならば、主体も1つのものとして
感覚化されなければいけないと感じてくるのです。

この感覚によって人間の内面性に見出されていた個我の位置、
つまり身体の位置はほとんど意味を失い、自我は自然消滅していきます。


EPSON644-9f3fd-e4dc7.jpg

〈半田広宣氏の解説〉

観察主体の質点側を中心とするような反転した空間が見えてくると、
全く別々の位置に存在しているように見えていた自己と他者の位置が、
実は同一の一点に重なって存在しているということが分かってくる。

この感覚によって、
自己や他者という概念自体が希薄なものとなっていくわけだ。


転載一時停止

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「球精神への反転」について、
過去の記事で度々取り上げてきたが、
全くの解釈間違いだったようだ^^;

この図を見て、「位置の逆転現象」による
「左右反転の認識」と同様の感覚だと思っていたが、
今回、文章をちゃんと読むと全然違っていた(笑)


確かに、位置の逆転現象(左右反転の認識)に似ているが、
それは5次元認識に至る前段階での出来事なので、
ψ7にはまだまだ及ばないものである。

このψ7(球精神への反転)というのは、
上図で示されているとおり、
対象を取り囲んでいる4人の位置が、
実は同じ一点に重り合っているということを
認識する能力を獲得することなのだ。


そのような感覚は私にはまだ芽生えていないので、
5年前に半覚醒してからψ6の感覚のままである。

前回の記事で書いたとおり、
ψ5とψ6の説明もよく理解できない部分もあるが、
とりあえず半田広宣氏の解説を見てみよう↓

taigairidatsu_img01.jpg


わたしたちは普通、他者を別個の身体を持つものとして区別している。

それは自己から見て他者の身体としての質点が、
空間の別のところ位置しているように見えているからだ。

だが、そのような見方は人間の内面における認識に過ぎない。

オコツトが言うように、もしψ5とψ6が等化され、
ψ7が顕在化を起こすと、その空間においては、
すべての無限遠点は反転した対象の中心点として重なり合ってしまうことになる。

そこでは普通わたしたちが別々の位置と感じている他者の質点も、
自分の質点も、同じ一点に位置するものとして感覚化されてくるはずだ。

おそらく、完全に反転した空間認識が生まれてくれば、
わたしたちは自己と他者との区別ができない空間領域に
突入していくことになるのだろう。

〈位置の変換〉によって生み出される次元観察子ψ7、
つまり球精神とは、まさにこの空間領域のことを言っているのだろう。

そして、その空間こそ、自他一体の意識が存在しているシリウスの空間なのだ。

そこでは、わたしたちが普段使っている自己や他者といった概念は、
本当の自己を構成している諸部分にしか見えないだろう。

ψ5とψ6の関係は、変換人にとってはもはや、
人間にとってのミクロとマクロのような関係でしかないのだ。

ψ1とψ2で無限大と無限小を等化し、
ψ3とψ4で主体と客体を等化し、
そして、ψ5とψ6で自己と他者を等化する……。

タカヒマラにおける次元上昇とは、
まさに二元化したすべての関係性を1つのものへと
統合していく意識作用を意味していた。


転載終了

imgf542eb43zikfzj.jpg


「ψ5とψ6の関係は、変換人にとってはもはや
人間にとってのミクロとマクロのような関係でしかないのだ」


私が思ったことは間違いではなかったようである。


それにしても、以下の説明は分かりやすいと思う。

・ψ1とψ2で無限大と無限小を等化
・ψ3とψ4で主体と客体を等化
・ψ5とψ6で自己と他者を等化



3次元意識での「自他一体」は単なる概念だが、
半覚醒すると「自他一体」が感覚となり、
ψ7まで進むと自己と他者が同一地点に
位置するものとして感覚化されてくるという。

つまり、ψ7が顕在化を起こすと「自他一体」が認識となり、
自我が自然消滅するということである。

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1年と4ヶ月前に、私はシリウス領域から
オリオン領域に向かっているという外応を受けたが、
ψ7とψ8がシリウス領域なので、
どうやらまだシリウス領域に到達していないようだ。

今回の文章を読んで理解できたが、1年4ヶ月前に、
絶対に自分の投影だとは思えない人のことを、
激しい葛藤(心のハルマゲドン)の末に、
無条件に自分だと認めて受け入れた。


それは、ψ5とψ6(自己と他者の等化)の認識を
完成させるために与えられた試練だったようだ。

それによって、私の意識はそれまで以上に拡大したが、
まだψ7の顕在化は始まっていない……。

釈迦やイエスの意識はψ8らしいので、
私はまだ彼らのレベルには到達していないということである。

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だが、ψ7についての半田氏の説明↓

「そこでは、わたしたちが普段使っている自己や他者といった概念は、
本当の自己を構成している諸部分にしか見えないだろう」



この感覚は私にもあるが、それは半覚醒して、
「内外反転」の世界認識が生まれた時に芽生えた感覚である。

3次元意識の自我からすると肉体が自分だが、
5次元意識の真我からすると肉体の外側が自分である。


つまり、「宇宙=自分」という感覚なので、
人間としての自分や他者は、
本当の自己を構成している諸部分にしか思えないのだ。

それで私がよく言う表現だが、
他者を自分のことのように思う反面、
人間の自分のことを他人のようにも思っている。

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『地球の危機より運動会が大事だと言った男』
というビデオの中で、西埜寿夫という霊的能力者が、
次のように述べている↓

『過去の原因が今の結果として顕れている。
それを「はい、私のことです」と認めること。

これに抵抗している限り、今までのパターンから抜け出せられない。

電車の中で酒を飲んで大声を張り上げている人がいて、
「こっち来たら嫌だな」と思っても、それは自分の姿なんです。

「おじさん、あなたは私の姿を見せてくれたんですね、ありがとう」
と感謝することです』



まさにその通りなのだが、感謝するだけではなく、
「ZERO式ホ・オポノポノ」を唱えることをお勧めする。

例えば上記のような場合だったら、次のようになる。


「あのおじさんが電車の中で酒を飲んで大声を張り上げているのは、
私の記憶の何が原因でしょうか?
御免なさい、許して下さい、愛しています、有り難う御座います、感謝します。
洗心、洗心、洗心、洗心、洗心、洗心、洗心、洗心、洗心、洗心、洗心……」




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posted by ZERO at 01:06| Comment(7) | ヌーソロジー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
>観察主体の質点側を中心とするような反転した空間が見えてくると、
全く別々の位置に存在しているように見えていた自己と他者の位置が、
実は同一の一点に重なって存在しているということが分かってくる。

>すべての無限遠点は反転した対象の中心点として重なり合ってしまうことになる。

的確なコメントですね。
自分/他者という個体認識が消える代わりに、自分以外からのあらゆる点在が自分(全体流れ)の視点の1つであることを補充して満ちている‥そんな感覚に成るかと思います。
キリスト意識とも呼ばれるそうですが、今の時代ならばオコツト意識と呼んでもいいかもしれませんね。

コメント失礼致しました。

Posted by タマ at 2015年07月23日 07:49
与太郎さんはじめまして。
数年前からちょくちょくHPを拝見させてもらっておりました。
はっきり言うと、言ってる意味がわからないのに数日立つとそういうことだったのかと意味が自分なりに理解できるようになっていて、全ては理解できないけど、なんとなく言ってることがわかります。
私には考えを文章にしたり言葉にしてまとめることが苦手で、ただ身体的な感覚?でそれが理解できます。
今まで色んな人の言ってることを見ましたが、いつもどこかしらに違和感が残るのに対し、与太郎さんは自分を正してくれる、、そんな感覚があります。
そして、今回お伺いしたいことがあります。
私は最近自分が寝ている間に見る夢と現実に生きている世界との境がよくわからなくなってきています。
どっちも本物であり、どちらも作り物の世界のようです。ただ、これもなんとなく世界が自分に対して、どうあるべきか訴えるような出来事でその意味も自分ですぐに理解できるようになりました。
この前奇妙な夢と現実を見ました。
真っ白い空間の中に、よく映画の世界で見るような宇宙船のような最新テクノロジーのような異空間に自分は寝てました。
自分は、というより本体の自分という感覚が近いです。
生きている自分はベッドに寝ているのを認識しているのに、繊細なエネルギーで横たわっている自分がまさにその場所から起きようとしている瞬間でした。
とても幸せでしたが、ここで起きたら、ベッドの上で寝ている自分に戻れなくなると思って咄嗟に自分の有り余る欲を感じて地上に戻ってきた、、、という感じです。
夢といえば夢で、現実と言えば現実の感覚です。
本物?の自分はそこで、そこの世界を自分は欲しているのに、自分はこの世界で達成?やり遂げたいことがあるような気もするのです。
それは芸術の世界ですが、それを作るためだけに生まれてきたように思います。
しかし、客観的に見れば与太郎さんからもらった知識がなければ統合失調症とされ発狂していたと思います。
お尋ねしたいのは、私は夢から醒めてもいいのでしょうか。
それともこの実現したい夢というのは、ただエゴが欲しているものなのでしょうか。
ただこの世界で名声を受けたいというわけでもなく、むしろこれを達成しようとすると自分の変人がバレることに多少びびってます(笑)
私は誰なのでしょう。どこの霊的な啓示を受けているのかご存知ありませんか?
むしろただの妄想なのでしょうか。



Posted by ニンジン at 2015年07月23日 16:31
タマさん、こんにちは。
個体を持ちながら個体認識が消えるというのは凄い感覚ですね。

キリスト意識=オコツト意識、畏るべしです^^;
Posted by ZERO at 2015年07月24日 15:18
ニンジンさん、こんにちは。

数年前からのブログ拝見&感想ありがとうございます。

ニンジンさんは十分、文章力がおありだと思いますよ。

夢と現実の境がわからなくなってきたとのことですが、それは意識進化が進んでくると自然なことなので心配は要りません。

寝ている時も夢を見ていることを自覚しながらリアルな夢を見て、起きている時もこの現実が夢であることを自覚しながら生きていれば、必然的に夢と現実の区別がつかないことが増えてきます。

精神科医に言わせれば危険な状態かも知れませんが、3次元認識しか持っていない人や現代医学には理解不可能なことですね。

夢と現実が全く区別つかなくなるのは怖い気もしますが、夢と現実の統合も「認識の完全化」だと思います。

考え方によっては、夢と現実を統合できないのが統合失調症とも言えます(笑)

>生きている自分はベッドに寝ているのを認識しているのに、繊細なエネルギーで横たわっている自分がまさにその場所から起きようとしている瞬間でした。

→これは幽体のバイロケーションですね。

完全な幽体離脱だと肉体に意識は残りませんが、分身が異世界を探訪しているので、夢を見ている感覚と、実際に異世界に行っている感覚が同時に存在するのです。

仰る通り、夢であり現実でもあります。

単なる妄想などではありませんが、睡眠中に体験する霊的世界は夢と紙一重のイメージの世界なので、イメージや想像によって創られる情景が含まれることがあります。

夢は醒めたければ醒めて良いし、見たければ見ても良いと思います。

芸術の世界は良いと思いますよ。

名誉や名声を求めない夢はエゴではなく、魂が実現を求めているのでしょう。

みんな変人なのでビビることはありません^^
Posted by ZERO at 2015年07月24日 15:53
与太郎さん、お返事ありがとうございます。
とても光栄です。
このブログのテレポーションを可能にする呪術の秘法という記事に詳しく書かれており、まさにこれ!だという感じでした。
しかし、面白いです。
自分が常識的におかしくなってしまったと思う経験が実は意識の進化だとは、知識というものがいかに大切かわかりました。
私は今生まれたこの人生が多分人よりというと語弊がありますが、進化した立場なのか、友だちと同じ思考をしよう自分の波動を落とすような思考をすると、体中が痛み、神に見捨てられた、、、といった罪悪感を小さい頃から漠然と持ち続けていました。
そして呪われている(笑)
頭で誰かの声がする(笑)と。
精神医学的に言うと、妄想と幻聴です。。
だから、統合失調症の人の言いたいことがわからなくもないのです。
惹かれてしまい、気づいたらひどい頭痛と過呼吸に陥ります。
神がなんなのか、またいるのか、またなぜ
生きなければならないのか、本当の私は全てを知っているはずなのに思い出せない歯がゆさを感じていました。

こうして、少しずつではありますが意識が開けてきて、本当の自分を認識し、今までの幼き体験が自分がなぜここにいるのか理解できるようになりつつあります。
これも与太郎さんのお陰です。
与太郎さんが自分の投影であるのならば、こうして日々人の為に自分の経験を書き綴られ情報提供をしてくださる姿に自分の今後を重ねているのかもしれません。

自分の現実と、世間の常識である価値観を混合させて書くのは頭が混乱します。
意味不明な文章になっているかもしれません。
あれもこれもどういう意味なんだろうとたくさん尋ねたくなりますが、もう一度このブログを読み返させてもらいたいと思います。
そして最後にひとつ、私は25の女ですが、25であることも女であることもわからなくなってきて、自分が木のようだし魚のようだし、カーテンのようだし、プラスチックのようにも思えます。
そして日中フラフラと意識を飛ばし空中を浮いたりしながら過ごしています(笑)
しかし、女として生まれてきた以上女としてのエネルギーを大切にするというか意識はしたほうがいいのか、なんかしらの意味があるのでしょうか。
時間があればで構いません。
なにかご存知であればお願いします。
Posted by ニンジン at 2015年07月25日 00:38
すみません。。
過去のブログを拝見させていただき、答えにたどり着くことができました。
きちんとさがしてから質問するべきでしたね。。
Posted by ニンジン at 2015年07月25日 01:33
ニンジンさん、こんにちは。

>自分が木のようだし魚のようだし、カーテンのようだし、プラスチックのようにも思えます。

→それは意識の遍在化というか一種の天人合一ですね。

それで今はご自分をニンジンだと思われているのでしょうか?(笑)

それは冗談ですが、
「日中フラフラと意識を飛ばし空中を浮いたりしながら過ごしています」
というのは、日常的トランス状態というやつですね。

半覚醒もそのような状態ですが、
これからみんなそうなっていくと思います。

>女として生まれてきた以上女としてのエネルギーを大切にするというか意識はしたほうがいいのか

→そうですね、
女として生まれたからには女としての役割があると思いますが、
特に意識はしなくても生きているだけで宇宙に影響を与えていますよ。
Posted by ZERO at 2015年07月25日 22:13
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