2015年07月08日

アセンション・プログラム(「今、ココ」の理解)

スピリチュアル界の流行語にもなっている
「今、ココ」という言葉は、
私が知っている限りでは立花大敬氏が元祖である。

今は言葉が独り歩きして、
独自の解釈による「今、ココ」を説いている人も多いが、
立花大敬氏の話は神道の「中今」の概念と同じで、
なかなか立派な教説だと思う。


だが、5次元認識からすると、
「今、ココ」というのは実は「過去」なのである。

この世は投影(結果)の世界なので、
その観点から考察すれば誰にでも理解はできると思う。


そのことを何年か前に反キリ3で書いた記憶があるが、
Kan.氏も同じことを言っている↓

『テレポーテーションで大切なのは、瞬間瞬間にいることです。
言葉上、「瞬間にいる」と表現しましたが、身体にいる限り、
実際には「今」よりも「少し過去」にいることになります。
認識というのは、少し過去のもの、終わったものなので、
「今」と思っている状態は「少し過去」になります』



「今=過去」という私の話に疑問を抱いていた人もいると思うが、
肉体の消滅やテレポーテーションができる尊師、
いや、Kan.氏もそう言っているのだから、
私が書いていたことが立証されたと言って良いだろう。

私が「今、ココ」のパイオニア容疑者だと睨んでいる立花大敬氏は、
1997年に「元気アップ禅の会」を発足させ、
多くの人々の寄付で福岡県に「森の家」を建てている。


そんなことは私にはどうでもいいのだが、
半田広宣氏も福岡人で、
1997年に『2013:人類が神を見る日』を出版していて、
「今、ココ」を説いているので不思議なシンクロである。

それもどうでもいいシンクロだが、
それでは今回も半田氏の話を紹介させて頂きたい↓

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わたしは、このリアリティー・サンドウィッチ感覚に
目覚めてからというもの、
自己のイメージが大きく変容していく感覚を体験し始めた。

そして、その変化の中でも最も重要に思えたのは
記憶に対する解釈の変わりようだった。

わたしは生まれてこのかた色々なものを見てきた。

この視覚的な記憶はわたし固有のものであり、
決して他者と共有することはできない。

たとえ、他者と同じ出来事を目撃したかのように思えても、
脳裏に蘇るそれぞれの映像は、
必ず見た角度が異なっているために、
決して同一のものとはなり得ていないはずだ。

ということは、見ている側だけではなく、
見られている側、つまり、対象側にも〈わたし〉
というアイデンティティーが存在していなければおかしい。

そして、この視覚にまつわる記憶が〈わたし〉という存在と
切り離して考えることができないものだとすれば、
〈わたし〉を規定する要因となっているものは、
単に身体側としての〈わたし〉だけではなく、
むしろ、対象の位置と〈わたし〉の位置を結んだところにある
知覚正面の空間の集合体に存在していると考えるべきではないのだろうか。

それらは、〈わたし〉が見る様々な対象の質点と、
〈わたし〉の質点を結んだところにできる空間の全集合にほかならない。

わたしは、この時にオコツトが言う
位置の等化という意味がはっきりと分かったのだ。

〈位置の等化〉とは、〈わたし〉の位置とそれに対する
対象の位置を文字通り〈等しく化する〉ことであり、
わたしが今まで内在世界に存在すると思っていた記憶が、
実はリアリティー・サンドウィッチの世界
そのものだということに気づくことなのだ。

そして、このような考え方で〈わたし=自己〉をイメージすれば、
従来の主体と客体という二分化の概念など全く意味をなさなくなる。

つまり、5次元対称性が見えてきた意識にとっては、
世界はまさに〈わたし〉の鏡像であり、
それに対峙する〈わたし〉自身が
宇宙そのものになってしまうということになるのである。

〈わたし〉とは、対象の位置とそれを見つめている
身体との位置を結ぶ空間の中に存在する。

これは、まさに幽体離脱とも言っていい感覚だった。

この感覚がもっと研ぎ澄まされてくると、
従来は場所を表す概念として用いていた
〈あそこ〉や〈向こう〉などという言葉が、
過去や未来という時間を表す概念と
同一のものとして感じられてくるから不思議だ。

つまり、わたしが回想する〈過去〉の時間的広がり、
すなわち記憶とは、〈現在〉の空間的な広がりと
同一のものとして感じられてしまうのだ。

わたしが過去の記憶を辿る時、
わたしは〈今〉も〈あそこ〉にいるのであり、
かつ、〈ここ〉は〈あそこ〉にとっても〈今〉なのだ。

過去とは決して過ぎ去った世界ではなく、
今も厳然として同時並行的に
存在している場所として考えなければならない。

そのような思考の在り方こそ5次元意識の産物なのだ。

少年時代に野球をした広場、初恋の相手と散歩したあの公園、
オコツトから初めて交信が入ってきたあの夜のわたしの部屋……
わたしは〈今〉も〈そこ〉に生きている。

あらゆるところからあらゆるところを見ている意識、
それが5次元意識というものなら、
記憶こそがまさにそれにふさわしい。

それらはすべて、わたしが移動した質点の集合と
認識した対象の質点の間に形成されている空間での出来事ではないか。

――ビー・ヒア・ナウ――
まさにこの広がりを持つ意識こそが、
〈今、ここに、存在する〉わたしなのである。
(図8-11参照)


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5次元の対称性が見えてくると、
3次元的な空間感覚や時間はすべて消滅し、
それに伴い自己という概念も大きく変容してくるのが分かる。

わたしたちが〈今〉や〈ここ〉と思っている概念は、
リアリティー・サンドウィッチに刺された
1本のピンスティックの中にある世界にしか感じなくなり、
〈本当の今やここ〉はサンドウィッチ全体に
広がって存在しているように感じられてくる。

そして、また、〈本当のわたし〉というのも、
このサンドウィッチそのもののことのように思えてくるのだ。

ちなみに、ここで「未来の記憶」と記している部分は、
現在にとっては創造力や想像力と
感じられているものと解釈していただければよい。



転載終了

354794~1.JPG


前回のリアリティー・サンドウィッチの話は難解だったが、
その話の延長である今回の話は私も認識できていることである。

なので、前回の話も図や文章の理解に苦しんだだけのことで、
おそらく感覚的には分かっていることなのだろうと思う。


で、今回の話に関してはバッチリと解説することができる。

半田氏は自己イメージが大きく変容する感覚を体験し、
その変化の中で最も重要に思えたことは、
記憶に対する解釈の変わりようだったという。

そう言えば、私も半覚醒後、反キリ2あたりで、
同じようなことをしきりに書いていた記憶がある。


さて、半田氏はこう言っている。

「わたしは生まれてこのかた色々なものを見てきた。
この視覚的な記憶はわたし固有のものであり、
決して他者と共有することはできない」



それについての半田氏の説明とは別の観点が見ても、
自分と他者の視覚的な記憶は別ものである。

目に見える景色の元は集合的無意識なので、
元は同じなのだが各人の潜在意識を通して、
各人が独自のスクリーン(自分の世界)に、
映し出している映像だからである。


それは今回の話の主旨ではないので割愛するが、
見ている側だけではなく、見られている対象側にも
〈わたし〉というアイデンティティーが存在することは、
「左右反転」を理解して頂ければ分かると思う。

更に進んで、自分の意識が対象の位置と
〈わたし〉の位置を結んだところにある
空間の集合体に存在するというのも、
「内外反転」の認識による「意識の遍在」の感覚を
理解して頂ければイメージはできると思う。

Screen-shot-2012-12-11-at-11_25_48-AM.png


「〈位置の等化〉とは、〈わたし〉の位置と
それに対する対象の位置を文字通り〈等しく化する〉こと」



それは、そのまんまの意味だが、
私はまだ明確な認識や感覚には至っていない。

しかし、左右反転(位置の逆転現象)というのが、
「位置の等化」の種のようなものだと言えるだろう。

ハッキリ言えば、私が「左右反転」を認識していた時、
「位置の等化」を体感していたと言えるかも知れない。

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「5次元対称性が見えてきた意識にとっては、
世界はまさに〈わたし〉の鏡像であり、それに対峙する
〈わたし〉自身が宇宙そのものになってしまう」



つまり、5次元意識に到達すると(魂が半覚醒すると)、
自分の肉体が宇宙の本体であり、
目の前に広がる世界は鏡だという認識になるのである。

従って、私はよく自分の肉体と宇宙の関係を、
「プラネタリウム」に喩えて説明してきた。


ちなみに、コニカミノルタのプラネタリウムの最初のCMを見ると、
意識進化(世界認識の変容)の促進に役立つのでお勧めしておく。

プラネタリウムの内容のことではなく、
あくまでも上映前の数分間のCMのことだが、
5次元から3次元を観てる感覚がよく分かる。

尚、投影機が3次元の自分の肉体に相当する。

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「この感覚がもっと研ぎ澄まされてくると、
従来は場所を表す概念として用いていた
〈あそこ〉や〈向こう〉などという言葉が、
過去や未来という時間を表す概念と
同一のものとして感じられてくるから不思議だ。
つまり、わたしが回想する〈過去〉の時間的広がり、
すなわち記憶とは、〈現在〉の空間的な広がりと
同一のものとして感じられてしまうのだ」



これは私は特に意識したことはなかったが、
言われてみれば確かにそう感じる。

「無限大から無限小に向かうところに観測されている空間が時間」

……という話も考えたことはなかったが、
最近初めて理解して腑に落ちたような感じがする。

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「わたしが過去の記憶を辿る時、
わたしは〈今〉も〈あそこ〉にいるのであり、
かつ、〈ここ〉は〈あそこ〉にとっても〈今〉なのだ。
過去とは決して過ぎ去った世界ではなく、
今も厳然として同時並行的に存在している
場所として考えなければならない。
そのような思考の在り方こそ5次元意識の産物なのだ」



この時間概念については私も度々書いてきたので、
理解している読者も少なくはないと思うが、
半覚醒すると時系列的な感覚が希薄になり、
全ての過去の瞬間が同時に存在しているというか、
例えば今と昨日、今と5年前、今と30年前の関係が、
直線的なものではなく同じ位置関係にあって、
しかも「今」と重なり合っているような感覚である。


冒頭で「今は過去」という話をしたが、
その「今」という瞬間に過去も未来も集約されているのだ。

アニメの原理と同じで、
いらゆる瞬間は1コマの絵のようなものなのである。


その絵が順番にコマ撮り再生されているので、
時間は過去から未来に流れているように感じるが、
バシャールによると人間は1秒間に何億回か、
何十億回も別のパラレルワールドを往復していて、
それによって時間というものが発生しているらしい。

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「過去の記憶を辿る時、
わたしは〈今〉も〈あそこ〉にいるのであり、
かつ、〈ここ〉は〈あそこ〉にとっても〈今〉なのだ」


私もそう思うが、今これを読んで、
「インナーチャイルド」の正体が分かったような気がする。


「過去とは決して過ぎ去った世界ではなく、
今も厳然として同時並行的に存在している場所
として考えなければならない」


このことは、
ドッペルゲンガーの謎と亜空間タイムスリップ事件
を読んで頂ければ納得できると思う。


従って、今の想念(認識)によって、
未来も過去も変更が可能ということになる。

もちろん、過去の認識を変えることでも、
現在と未来が変わるということになり、
未来のイメージを変えることによっても、
現在と過去が変わるということになるが、
『日月神示』では次のように説かれている↓


「現在を祝福することは過去を、未来を、総てを祝福することぞ。
たとへ如何なる現在も、その現在を祝福せねばならん。
喜びせねばならん。喜びもとと申してあらうがな。
何事が起こっても先ず喜べよ。それが苦しいことでも、
かなしいことでも、喜んで迎へよ。喜ぶ心は喜び生むぞ」



「運命の変更」は正確に言えば、いま生きている世界とは
別の筋書きのパラレルワールドに移行するということである。

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「少年時代に野球をした広場、初恋の相手と散歩したあの公園、
オコツトから初めて交信が入ってきたあの夜のわたしの部屋……
わたしは〈今〉も〈そこ〉に生きている」



私も少年時代に野球をした広場が、
懐かしくも最近のようにも感じるが、
現実に「今」の中に存在しているのである。

しかし、突然ながら、私は今、
急にトランポリンがしたくなってきた(笑)


とりあえず部屋の中で30回飛び跳ねたら満足した(笑)

だが、今、飛び跳ねていた私も、
今もココで飛び跳ねているのである(笑)


「過去や未来のことを考えずに今を生きろ」と言う人がいる。

確かに、過去のネガティブな感情を引きずっていたり、
未来に対して恐怖や心配を抱くことは良くないが、
「今」というのは過去や未来の結果でもあるので、
顕在意識で過去や未来を無視しても意味がなく、
むしろ現実逃避とさえ言えるだろう。


尚、過去も未来も本質的に「今」なのだから、
過去を振り返っても未来に想いを馳せても、
「今、ココ」に生きていることには違いないのである。

一般通念で言うところの、
「今この瞬間」の大切さを説いている人は、
時系列的な時間概念に囚われていることになる。

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「あらゆるところからあらゆるところを見ている意識、
それが5次元意識というものなら、記憶こそがまさにそれにふさわしい」



成る程……考えさせられる言葉である。

ちなみに、半覚醒して5次元意識が芽生えてきても、
肉体として生きている限りは、
記憶は基本的に個人的な今生の記憶に限定される。


だが、輪廻を解脱して5次元の世界に帰還して、
トータルセルフ(自分の本体の魂)と合体すると、
全ての過去世や未来世の記憶が甦ることになる。

更に集合意識との融合により、
全人類の記憶が共有されることになる。


で、その記憶(カルマ)の貯蔵庫である
潜在意識をクリーニングするために、
分身が人間界に送り込まれているのだ。

そのことが理解できれば、人生の目的は、
「ホ・オポノポノ」を唱えることだということになる(笑)


だが、過去世も現世も未来世も、
本質的には「今、ココ」に同時に存在しているのであり、
且つ、5次元以下の世界(六道)は投影なので、
輪廻転生という現象はあっても本当は幻想に過ぎないのだ。

オコツトも「輪廻は存在しない」と言っているし、
バシャールも転生の話をしている一方で、
「転生はない」とも言っていることでも裏づけられる。

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「5次元の対称性が見えてくると、
3次元的な空間感覚や時間はすべて消滅し、
それに伴い自己という概念も大きく変容してくるのが分かる」



日常生活の中で3次元的な空間感覚や
時間がすべて消滅することはないが、
反転した空間認識を同時に感じるようになり、
時間の感覚は消滅に近い状態は多くなる。

また、当然ながら自他の概念も大きく変容するが、
他者を自分のことのように思うと同時に、
その自分のことを他人事のように思う感覚もある(笑)

魂の視点からすれば、この世は夢のようなものであり、
そこに現れている人間(自分や他者)というものは、
「自分の意識が生み出している幻影に過ぎない」
という認識・感覚があるからである。

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「わたしたちが〈今〉や〈ここ〉と思っている概念は、
リアリティー・サンドウィッチに刺された
1本のピンスティックの中にある世界にしか感じなくなり、
〈本当の今やここ〉はサンドウィッチ全体に
広がって存在しているように感じられてくる。
そして、また、〈本当のわたし〉というのも、
このサンドウィッチそのもののことのように思えてくるのだ」



まさにその通りだが、
自分がサンドウィッチそのものだとしたら、
サンドウィッチを食べると共食いになってしまう(笑)


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posted by ZERO at 00:35| Comment(0) | ヌーソロジー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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