2015年06月11日

「人間の存在目的」と「幸福の概念」の確認@

オコツトは「意識は無意識的には進化できない」と言っているが、
『あるヨギの自叙伝』にも次のように書かれている↓

「神との合一を可能にするものは、本人の努力であって、
単なる神学的信条でもなければ、宇宙主宰者の気ままな意志でもない」



ネオデジタル内観の目的は意識進化だが、
ヌーソロジーの目的も意識進化である。

真のスピリチュアルのテーマである「意識進化」は、
人間の存在目的や幸福について切り離せない問題ではある。

これからヌーソロジーを理解していくにあたって、
「人間の存在目的」と「幸福の概念」について、
半田広宣氏とオコツトの交信記録を紹介しておきたい。

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●「抗しがたい絶望」から「否定しがたい光明」へ

「これからあなたとの関係を持続していくに際して、
是非、聞いておきたいことがあるのですが」

「何でしょう」

「現在、多くの人々が、僕自身に今こうして起こっている
チャネリング現象と同じような体験をしているようです。
彼らに送られてくる情報も、それぞれ表現の違いこそあれ、
これから地球に起こる大変化や人類の意識の変容について
それなりに色々なことを語っています。
しかし、それらの情報は、ほとんどの場合、
〈愛〉や〈癒し〉や〈許し〉といった。
人間の最も脆弱な部分をまことしやかについてくる
感傷的なメッセージが多いのです。
それでいて、それらの語り口調は高慢で、
威圧的で、時には脅迫めいたものさえ感じさせます。
本来、高次元的な知性が、なぜやみくもにそのような
安易で冗長な愛の思想を強調してくるのでしょうか」

「つまり、あなたはこのような形で送られてくる情報を
あまり信用していないということですね」

「ええ、はっきり言ってしまえばそうです。
超越的な知性の存在を否定しているわけではありませんが、
少なくとも過去の啓示的な宗教が作り上げてきた
哲学や理念のスタイルが、今の地球人の意識の在り方を
変えられるだけの力を持っているとは到底思えないのです。
チャネラーたちに起きている現象も一種の啓示でしょうし、
僕とあなたの関係も同じようなものだと考えています」

「あなたはよほど愛がお嫌いなようですね」

「愛が嫌いなのではなく、愛という言葉を
エモーショナルに語る精神性があまり好きではないのです。
宗教家やチャネラーたちが説くきれいごとの愛の理念だけで、
人類がひとつになれるとはとても思えません」



転載一時停止

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半田氏が言ってるチャネラーたちのメッセージは、
ビヨンド35(4.5次元)の存在で、
少し威圧的で愛を説いて愛を量産させて、
その愛のエネルギーを吸収しているそうです。

幽界は囚われ領域という意味で、
森田健氏は「2次元」と定義していますが、
この世を3次元、天国を4次元とした場合、
人間が死んで天国に行けずに幽界に行った場合、
3次元から2次元に転落したということになります。


それと同じように5次元から6次元に移行する際に、
5次元よりも意識レベルが下がることがあるらしく、
その領域を「4.5次元」と名付けられています。

森田健氏は彼らのことを「指導症候群マスター」、
または「アセンション症候群マスター」と呼んでいます。


ロバート・モンローもその領域の存在に遭遇し、
エネルギーを奪われて腹を立てたそうですが、
その領域を「ビヨンド35」と名付けています。

中国の超能力者の孫儲琳はその存在を念写しましたが、
私も半覚醒の1年位前に4.5次元と思える存在に遭遇し、
起きると体に力が全く入らずグタッとしていたことがある。


だが、4.5次元とは言えども、
もともとは5次元にいた存在であり、
天国の霊よりも次元は上なので、
根本的には間違ったことは言っていないが、
大抵は「ニュートラル」ではなく、
「ポジティブ」を説く存在も多いので要注意である。


オコツトは宗教や精神世界が扱うような、
心の問題や愛については積極的に教示してこなかったという。

しかし、オコツトは愛を説くチャネラーたちについて、
否定的な見解をもっていないようで、
引き続きオコツトの話から再生しよう↓

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「あなたが愛に対して持たれている不信感は、
それが持つ刹那的で脆弱な側面を指してのことでしょう。
しかし、その感情に素直になろうと努めている人々を、
そうやって非難する必要はないのではないですか。
それは今のあなた方地球人にとっては、
とても必要な行為だと思いますが」

「しかし、宗教家たちが言うところの愛というものに
もし力があったのならば、僕らの世界はもっと
素晴らしいものになっていたのではないですか。
人間の歴史の中には、それこそ数え切れないほど
多くの人たちが神や仏の概念を説き、
慈悲や慈悲の哲学について訴えかけてきた系譜があります。
しかし、どうでしょう。
人間が持った精神性が、この数千年の歴史の流れの中で
いい方向に変わってきたとはとても思えません。
それどころか、逆に宗教自体が人間を不幸にしてきた例は
数え切れないほどたくさんあります。
馬鹿の一つ覚えみたいに神の慈悲や仏の慈悲を唱えたところで、
どうにもならないことぐらい子供にだって分かるはずじゃないですか」

「では、あなたは愛を説くことなど無益だとおっしゃるのですか」

「そうは言っていません。
ただ、彼らが語る愛はあまりに情緒的で
イメージが希薄なような気がしてならないのです。
至高体験の中で得られた神秘的な達観や、
そこで経験される意識の高揚が、
全く無意味な妄想であるとは言いませんが、
ただただ感情に訴える形で愛や道徳を説いたところで、
人類を取り巻いている状況が果たして変わりえるでしょうか。
事の本質はそのようなところではなく、
なぜわたしたちに愛が必要なのか、そして、愛という力が
この宇宙の中で一体どれほどの価値を持ちえるものなのかを、
明確で強靭な論理のもとに正当化していくところにあるのではないでしょうか。
愛に存在証明も与えずに、ただ漠然としたヒューマニズムの中で
自分たちの不幸を慰め合っても状況は何一つ変わるものではないと思うのです」

「コウセン……
あなたのおっしゃっていることは分からないでもありませんが、
そうやって愛という感情に従順になろうとしている人たちを
批判することにどれだけの意味があるのですか。
わたしには今のあなたの意識の方向性は、
地球人の愛を脆弱なものにしてきた力と同じものにしか見えません」

「このような批判には進化の力はないとおっしゃるのですか」

「そうですね。単なる批判のための批判ならば、
いかなる進化も持つことはできないでしょう」

「しかし、本当に宇宙が愛に裏づけられて存在しているとすれば、
どこかに確固たる証拠があるはずです。
僕はその存在証明が常々必要だと感じているのです。
愛がこの宇宙を支えている根本原理であるという絶対的な確信の
材料となり得るものを、この手でしっかりとつかみたいのです。
その確信が一人一人の心の奥底に根付いていなければ、
愛はいつ何時でもたやすく憎悪に裏返ってしまいかねません。
――愛なんてオレには関係ない、オレはオレ自身のために生きている、
自分勝手に振舞ってどこが悪い、他人に迷惑なんてかけてないぜ――
というヤツがいても、その考え方のどこが間違いなのかを
理路整然と指摘することが誰にもできない……
それが今の僕たちの社会なのです」

「問題は他者に向かうことではなく、自分自身に向かうことです。
あなたは他者の状況を見て
その存在証明を必要と感じていらっしゃるのですから、
その問題の解決へ向けてあなた自身が
行動を起こしていけばいいだけのことではありませんか。
他者への批判はあまり意味のないことのように思えますが」

「まあ、それはそうですが……」



転載終了

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さりげなく内観を説いているオコツトである。


「愛はいつ何時でもたやすく憎悪に裏返ってしまいかねません」
と半田氏は言っていたが、これは世間でよく言われていることで、
スピリチュアルでも「愛と憎悪は表裏一体」だと説かれている。

この説を最初に提唱したのは精神分析学者のフロイトだが、
正確には「愛情と憎悪は表裏一体」と言うべきであり、
真の愛は光一元なので憎悪が生まれることは有り得ない。


ここからが重要な話になってくるのだが、
少し長くなるので次回の記事に譲りたい。


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posted by ZERO at 08:09| Comment(0) | 意識進化 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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