2015年02月22日

運命を変える直感と思考と行動のマニフェスト

私は過去のブログで「牛頭山降臨」を予告していたが、
そのことについて以下のブログに書いた↓

日本建国の父「ルシファー」の歴史と日韓問題

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話の流れを理解してもらう為には、
できれば上記の記事に目を通してから以下を読み進めて頂きたいが、
話の流れは重要ではないのでスルーしてもらっても構わない。


以前は牛頭山に行く必要があったのかも知れないが、
今は行く必要がなくなったのだと判断している。


そうすると、今後行く必要ができる可能性もあるが、
その時は何かのキッカケで「偶然」という形で行くことになるだろう。


本当に行かなければならない時というのは、
予期せぬタイミングで準備され、
自我の意志とは無関係に導かれる流れになるものである。


だとしたら、以前の「行かなければならない」
という衝動は何だったのかというと、
恐らくそれが今後行くべき時に行く為の
「原因」となっている可能性がある。


さて、私はいつも直感に従って生きることを説いている。


『日月神示』やESPの石井普雄氏や
森田健氏なども同じことを説いている。


もともと私は後先のことや損益のことを無視して、
何でも思いつきだけで行動する典型的な直感型の右脳タイプだが、
中学の時にESPの「発想即行動」という言葉に共鳴し、
それを人生の指針として生きてきた。


極言すれば、直感は天啓であり、
直感に従って行動することは神に従うことである。


逆を言えば、左脳の思考は自我であり、
思考によって行動することは悪魔に従うことだと言える。


直感を否定したり無視して、
人間の頭でアレコレ考えるのは愚かなことで、
藏本天外氏も「人間には考える力はないから考えるな」と言っている。

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以前、『考えないとうまくいく』という本を紹介したが、
『日月神示』にも「考えは悪であるぞ」という言葉があったと思う。


ネオデジタル内観の山本健二氏も「脱思考」を説いているが、
オコツトは「思考によって悟りに至る」と言っている。


オコツトによると、
釈迦やイエスも真の悟りには到達していないそうなので、
「思考」の定義を明確にしておく必要がある。


オコツト用語には2種類の思考が登場する。

「人間型ゲシュタルト思考」

「変換型ゲシュタルト思考」



人間型ゲシュタルト思考は人間の考え(自我)のことで、
3次元認識に基づく世界観の中での思考形態である。


変換人型ゲシュタルト思考は変換人(半覚醒者)の思考で、
3次元認識とは反転した5次元認識に基づく世界観での思考形態だ。


私も日々思考はするが、左脳で思考することは殆どなく、
左脳を働かせると真我である魂の意識が消えるのが分かる。


分かりやすく説明すると、私の意識はいつも胸にあり、
思考も胸でしているのだが、
近年、心臓の奥に「心臓脳」と呼ばれるものが発見されている。


5次元霊のホワイト・イーグルも、
「進化した未来人は心臓で思考するようになる」
と言っているが、それが変換人(半覚醒者)である。


私は小学5年の頃から神霊能力者の隈本確の教えに従って、
胸に意識を置く習慣をつけてきた。


とは言え、すぐに頭に意識が戻ってしまうので、
日常生活の中で胸を意識している時間は僅かだったが……。


そして、意識進化どころか脱線して深い闇に堕ち、
凄まじい人生を体験してきた。


それ故に、666の獣を名乗っていた私には、
堕深闇(ダミアン)というニックネームもあるのだが……。


進化の線路から脱線した人生を歩んでいた時も、
一日一度は胸に拳を当てて意識を胸に集中し、
胸で思考し、胸で自問自答し、胸で祈ることを習慣にしていた。


それで私は地獄道に突き進む反面で、
確実に意識進化もしていたと言える。

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そして10歳から始まった霊的修行は苦節22年、
二二(富士)は晴れたり日本晴れで、
32歳の春にようやく魂の半覚醒に至った。


本格的な霊性修行の道を進み始めたのは27歳からなので、
その時からカウントすれば僅か5年で半覚醒に至ったことになる。


達磨が10年間坐禅を組み続けて手足が腐り、
結局は半覚醒に至らなかったのに比べると優秀だと思う(笑)


特に29歳から始めたネオデジタル内観が、
飛躍的な魂の覚醒剤になったと思っている。


去年や今年から本格的にネオデジタル内観に取り組む人が増えて、
相変わらず私も多忙な日々を過ごしているが、
半覚醒者が1人でも誕生することを願っての奉仕の対応である。


但し、私はネオデジタル内観のことで質問できる人がいなかったし、
添削してくれる人もいなかった。


山本健二氏が言っている通り、
自分自身を師として進めていくことが望ましい。


そして、内観を兼ねて自叙伝を1年掛かりで書き終えた時、
山本健二氏と同じような覚醒体験をした。


それは、Kan.氏がいう覚醒体験とも同じ感覚で、
この3次元の世界で肉体のまま天人合一したような感覚だった。


それまでの使命感からも解放され、
「ないがまま」という境地で目を開けたまま時空と融合した。


だが、それはまだ半覚醒の序曲に過ぎなかった。
しかし、そこから半覚醒までの道程は一瞬だった。


半覚醒前の私は毎日10時間くらいの瞑想生活が続き、
4日間も座ったままで瞑想から覚めなかったこともあった。


その間、究極のエクスタシーを感じていることもあれば、
涅槃寂静の如く無我の境地で無時間を体験していることもあり、
宇宙や5次元の世界を旅していることもあった。


5次元意識に到達することが魂の半覚醒だが、
モンロー研究所のヘミシンクCDを聴いていないのに、
半覚醒前から5次元の世界に行けるようになっていた。


理由は不明だが、深い瞑想中だけは魂が半覚醒していたのか、
ハイヤーセルフによる計らいだったのか……。


いずれにしても、食事改革や内観などで、
血液と潜在意識の徹底的な浄化が前提だが、
胸を意識することと5次元体験が、
半覚醒のスピードを加速させたことは間違いない。


ハイヤーセルフとの対話は、
瞑想で肉体に意識がある状態の時もあれば、
5次元の世界で対面しての時もあった。


当時の私はまだ5次元の意識レベルではなかった為か、
ハイヤーセルフの顔は認識できなかった。


服は着ていないのは分かるが、
全身が発光しているので顔が見えないのである。


ハイヤーセルフの役目は、
自分の分身である人間の魂を覚醒させることなので、
その為のアドバイス(天啓)もくれるが、
段々と質問に答えてくれなくなった。


しまいには「自分で考えて分かることを聞くな」
と怒られて、音信不通になった(笑)


後で知ったことだが、『日月神示』にも同じような一節があった。


誤解のないように言っておくが、神が怒るということはないので、
ハイヤーセルフが私を突き放したのは深い愛の親心である。

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また、「自分で考えて分かることを聞くな」ということだが、
もちろんこれは頭の考えを指しているのではない。


聖者カルキによると、人間は脳の構造上、
1人で悟りを得ることができないので、
ある段階に到達した時点で高次元からのサポートがあるという。


で、ハイヤーセルフが派遣したのかどうかは不明だが、
マイ・ミュート・アーテと思われる女神と邂逅した。


その女神が私に何か話し掛けようとした時、
母親に起こされて目が覚めてしまった。


それからというもの、図形や数式の夢ばかり見るようになり、
女性の声でヒントを与えられることもあった。


毎日、夢の中で思考する日々が続き、
起きてからは検索して調査研究する日々が続いた。


半田広宣氏は「幾何学を思考することが覚醒に繋がる」
と言っているが、それは仙人修行の「六次元の図」や、
ホロンクリスタルの「5次元立体」からも納得できる。


だが、重要なことはシータ波の状態で思考することである。


シータ波は思考停止状態でもあるが、
右脳と左脳が統合してフルに活性化している状態である。


明晰夢を見ている時もシータ波だが、
その時に私はひたすら思考させられていたのだった。


脳波が下がると意識は頭から胸にシフトするので、
胸で思考する習慣というのは脳波を下げる訓練になるのだ。


そして、図形の夢を見るようになって1ヶ月後、
(私は「ピラミッドの秘密」と呼んでいるが)、
黄金太陽(正八面体)の謎を解明し、
宇宙と人体の表裏一体性を理解して、
数学的に5次元の入口を発見したのだった。


それが2010年6月13日で、私が半覚醒した記念日である。


その時から、肉体の自我(3次元認識)とは
全く異なる魂の意識(5次元認識)が目覚めたのである。


それが、繰り返し言い続けている「内外反転」の認識である。

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通常、覚醒というと肉体が目覚めている状態を指すが、
それと比定すると理解しやすい。


睡眠時、夢を見ている時は夢だと気づかず、
それを現実だと錯覚している。


そして、夢から覚め始めると明晰夢
(夢を見ていることを自覚しながら見ている夢)
になるが、これが半覚醒状態である。


その後、夢から覚めて完全に覚醒すると夢の世界は消滅し、
夢の中の登場人物は自分も含めて全て消滅する。


魂の覚醒も同じようなもので、半覚醒すると、
3次元の世界は魂が見ている夢の世界だと気づく。


全ては自分の潜在意識が投影している幻想で、
世界で起こる出来事も人生のストーリーも、
全ては自分の潜在意識が設定した通りに映し出されている。


それは知識などではなく、
普通に認識できるようになることなのだ。


目を閉じた状態で映し出される映像が夢だが、
同じように目を閉じて何かをイメージしてもらいたい。


その映像は、肉体の内側か外側かどちらだろうか……。
目蓋の裏に見えるのだから、肉体の内側だと言えるだろう。


明晰夢を見ている時、
それが肉体の外側での出来事だとは思わないはずである。


それと同じで、魂が半覚醒すると、
肉体の外側の世界が「内側」として認識されるようになるのだ。


また、明晰夢を見ている時、夢の中の自分の意識と、
夢を見ていることを自覚している自分の意識の、
2つの意識があることが分かる。


同じように、魂が半覚醒すると、
希薄になるが人間としての意識(自我)も持ちながら、
それは自分の投影だと自覚して観ている魂の意識(真我)の、
2つの意識を持つようになる。


私が知る限りでは、
私と同じことを言っているのはKan.氏だけである。

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また、夢を見ている時は肉体意識の自我は消滅している。


同じく、この世が現実だと信じて疑わない人は、
真我である魂が深い眠りに就いていて、
自我100%で生きているということになる。


いや、魂の視点(5次元認識)からすると、
この世に生きていることは、
死んでいるのに等しいと言っても過言ではない。


それで明晰夢の話に戻すが、肉体が半覚醒してくると、
夢の中の自分と、夢を見ていることを自覚している自分の、
2つの意識があることに気づくが、
夢の中の自分の意識が本物だと思う人はいないだろう。


夢は霊界体験と密接にリンクしているので、
夢の中の自分が偽物とは言えないが、
これは「覚醒」を説明する為の喩え話なので、
「目覚めたら消えてしまう夢の中の自分は本物ではない」
という定義で理解願いたい。


それと同じで、魂が半覚醒すると、
人間の自分は本物ではないことを認識する。


本当の自分を「真我」というが、魂が真我なのである。


その真我の視点からすれば、人間の自分は真我ではないのだから、
「肉体に魂が宿っているのではない」という認識が生まれてくるのだ。


魂はあくまでも、人間界という夢を見ている真我なのである。


3次元的な視点から見れば、
肉体に魂が宿っているという表現も間違いではないが、
本質的には肉体は投影であり、魂が宿っているわけではないのだ。


「魂が宿る」とか「神が憑る」というのは、
3次元での観測による現象であって、
5次元的な視点から見ると真実ではないということである。

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さて、魂が半覚醒すると、
人間とは異なるもう1つの特徴が生まれてくる。


それは前述の通り、胸に意識が生まれるということである。
これは、頭の意識が胸にシフトするというのではないようだ。


胸に意識を置く習慣を説いているが、
それはあくまでも擬似的なものであって、
実際に胸の意識(心臓脳)が覚醒しているわけではない。


しかし、魂が半覚醒すると心臓脳が覚醒するようで、
「胸の中に新しい意識が誕生した」という感覚なのだ。


実際には新しい意識ではなく、
この世に誕生する前から存在した魂(真我)の意識なのだが、
それが胸の奥に「本尊」として鎮座し、
自分の意識の主体となっているのである。


だが、決して魂が胸に宿っているわけではなく、
心臓脳が魂の意識を受信しているに過ぎないことが分かる。


また、心臓脳が受信する魂の意識が半覚醒すると、
必然的に頭の思考(自我)は沈静化する。


尚、自我には頭の思考だけではなく、胸で感じる感情もある。


悲しくては胸が痛むとか、ムカついて胸くそ悪いとか、
恋をして胸がときめくというのも、文字通り「胸の意識」だが、
それは単なる心臓の働きによる感情(心)である。


この思考と感情が連結すると強烈な自我となるのだが、
そもそも自我というのは自分を自分だと認識する意識のことである。


例えば、この肉体を「自分」だと錯覚している意識だったり、
あるいは肉体に付随する思考や感情を「自分」だと錯覚する意識である。


要するに、「肉体意識=顕在意識=自我」ということになる。


瞑想中や睡眠中は「肉体意識=顕在意識=自我」が沈静化して、
潜在意識が覚醒するが、それが「幽体意識」である。


ここで理解が必要なことは、幽体意識が覚醒すると
「肉体意識=顕在意識=自我」という等式ではなくなるということだ。


肉体が覚醒している時は、肉体意識が顕在意識(自我)である。


顕在意識というのは、自分が認識している今の意識のことだが、
瞑想や睡眠や死亡によって肉体意識が消滅すると、
幽体意識(潜在意識)が顕在意識(自我)となるのだ。


夢の中の自分をイメージして頂きたい。
幽体離脱した自分をイメージした方が分かりやすいかも知れない。


肉体から離脱して幽体になると、
肉体は本当の自分ではなかったことを理解するが、
その幽体の自分を「自分」だと認識するようになる。


自分の幽体の周りに世界が存在し、
広大無辺の世界の中に自分が存在するという世界観。


そして、自分が存在する世界に他者も存在するという世界観。


それは肉体意識の自我と全く同じであり、
顕在意識(自我)が肉体から幽体にシフトしただけだと分かる。


肉体が3次元ボディなら幽体は4次元ボディだが、
4次元の最上界である天国を突破する時に、
幽体を離脱して5次元ボディの霊体となり、
5次元の世界に帰還するのだ。


5次元の世界でも、霊体の自分や他者の姿が存在するので、
その意味では5次元意識にも「自我」が存在することになる。


夢の話に戻すが、夢から完全に覚醒すると夢の世界が消滅し、
夢の中の自分も消滅する。


それと同じで、魂が完全に覚醒すると、
自分が生きているこの世界は消滅することになる。


これは死んでも同じことで、
自分が死ぬと自分が生きていたこの世界は消滅するのである。


「誰かが死んでも、この世界は消滅しないではないか」
という反論があると思うが、それこそが自我の錯覚なのだ。


自分が生きている世界は、
あくまでも自分の魂が見ている夢の世界であり、
他者が生きている世界は他者の魂が見ている夢の世界なのだ。


つまり、誰1人として同じ世界には生きていないのである。


従って、自分が死ぬと同時に、
自分が生きていたこの世界は消滅し、全人類も消滅するのだ。


例えば、自分の知り合いのAさんが死んだとすると、
当然ながらAさんが生きていた世界は消滅し、
Aさんの世界にいた全人類は全て消滅するのである。


例えば、AさんとBさんがいるとすると、
AさんとBさんは別々の世界に住んでいるのである。


Aさんが認識するBさんは、
あくまでもAさんの世界のBさんであり、
Bさんの世界のBさんではないのだ。


同じように、Bさんが認識するAさんは、
Bさんの世界のAさんであり、
Aさんの世界のAさんではないのである。


もう少し説明すると、Aさんの世界のBさんはAさんの投影で、
Bさんの世界のAさんはBさんの投影であり、
自我同士では他者との直接的なコミュニケーションは出来ない。


魂が完全に覚醒すると、
「自分が生きている3次元の世界は消滅する」
ということについて、もう少し説明しておこう。


魂が完全に覚醒した人物で最も有名なのが、
イエス・キリストである。


イエスは処刑されて3日後に復活し、40日後に肉体のまま昇天した。


これは肉体が消滅したということだが、
魂が完全に覚醒すると肉体の振動数が上昇し、
「肉体の削除」が起こるのだ。


もちろん、イエスの肉体が消滅しただけではなく、
イエスが生きていた世界も消滅し、
その世界の人類も消滅したのである。


それを「アセンション」といい、
本来の意味はそのまま「キリストの昇天」である。


アセンションしたイエスは、肉体だけではなく幽体も消滅し、
霊体となって5次元の世界に帰還しているはずで、
釈迦は肉体の死を通して5次元に帰還したということになる。


いずれにしても、釈迦やイエスは中界(精霊界)を経由せず、
ダイレクトに5次元の世界に行ったことだろう。

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ここで1つ注意点がある。


私は「魂が完全に覚醒すると肉体の削除(アセンション)が起こる」
と主張しているが、厳密にいうと正しい表現ではない。


一般的に「真我の覚醒」という言葉があるが、
真我とは魂のことなので「魂の覚醒」という表現をしているが、
魂というのは霊体をも離脱した無形の意識エネルギーなのだ。


で、私は「魂が覚醒すると5次元に行く」と言っているが、
厳密にいうと「魂が覚醒すると6次元に行く」のである。


つまり、正しくは「霊体意識が覚醒すると5次元に行く」ということになり、
「霊体意識が完全に覚醒すると肉体の削除が起こる」ということになる。


従って、イエスは霊体意識が覚醒してアセンションしたのである。


実際のところ、イエスは処刑される前から霊体意識が覚醒し、
肉体の削除やテレポーテーションが自在にできたようだが、
処刑という雛型神劇の芝居を演じた後に5次元の世界に還ったのだ。


前述の通り、霊体という姿をしている限り、自分と他者という区別、
世界と自分という分離意識(自我)が存在する。


それ故に、5次元はまだ真の意味での
魂の覚醒(悟り)の世界ではないということになる。


「釈迦やイエスも覚醒(悟り)に至っていない」
というオコツトの話も理解できるといえよう。


5次元の存在達は、まだ自我が残っているから
「霊体」というボディを持っているのだろう。


だが、5次元の霊人達は自他一体の認識も持っていて、
霊体同士が合体(フュージョン)することもできる。


しかし、完全な自他一体には至っていない為に、
自分の姿(霊体)を持っているのだ。

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前置きが長くなったが、
タイトルの「直感と思考と行動について」
を説明する為に、「牛頭山」の話に戻そう。


まず、誤解のないように述べておくと、
真我(魂)と自我(心)は分離しているわけではない。


真我と自我を細分化すると、次のようになることが理解できると思う。

自我=顕在意識(肉体意識)+潜在意識(幽体意識)

真我=超意識(霊体意識)+魂の意識



人間サイドから分かりやすく説明すると、
左脳の思考は自我(肉体意識=顕在意識)によるものである。


直感は、潜在意識(幽体意識)・超意識(霊体意識)・
魂の意識からのものがあり、右脳で受信するようになっている。


潜在意識(幽体意識)からの直感は間違いも多いが、
人間の左脳の思考よりは遥かに優秀なので従うべきである。


だが、潜在意識が幽体の意識であることから分かる通り、
曇った潜在意識からの直感に従うと後悔することになる。


また、曇った潜在意識には低級霊が憑依するので、
直感に従っていたら低級霊の言いなりになる危険性もあるので、
潜在意識の浄化に努めることが大切となる。


そもそも、この潜在意識を浄化して輪廻を解脱することが、
人間界に誕生した最大の目的なのだ。

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だが、そこで大切なことは、
潜在意識の直感に従って失敗したり災難に遭っても、
それを「無条件に全面的に肯定する」ということである。


それによって、良い意味で運命の変更
(パラレルワールドの移行)が起こることになる。


ちなみに、左脳の思考がベータ波だとすると、
潜在意識からの直感はアルファ波の時に受信する。


そして、真我である超意識(霊体意識)や魂、
あるいは魂の親(ハイヤーセルフ)からの直感は、
シータ波の時に天啓のような閃きとして受信する。


だが、その真我からの直感も自我を通して受信することになる。


つまり、潜在意識(右脳)を通して
顕在意識(左脳)に伝わるということだが、
汚れた潜在意識を通せば真我からの直感も汚れたものに変質し、
更にそれを左脳の考えで歪めたりしてしまうのが人間なのだ。


いずれにしても、直感は左脳の思考よりも偉大なので、
直感に従うことの方がが大切だと言えるだろう。


些細なことを含めると、人間は常に直感は与えられている。


例えば、「トイレに行きたい」と思ったらそれが直感で、
「やっぱり後で行こう」と思うのが思考である。


そのような些細なことでも直感に従っていると、
良い意味で今とは少し違うパラレルワールドに、
日々常々移行していくことになる。


「肉を山盛り食べたい」と思ったらそれも直感で、
「肉は身魂を汚すから控えよう」と思うのは思考である。


「これを万引きしたい」と思ったらそれも直感だが、
「万引きなどしてはいけない」と思うのが思考である。


それらの場合は明らかに汚れた潜在意識からの直感なので、
思考を働かせて直感に背くことは理知だと言える。


要するに、ケースバイケースではあるが、
私が言いたいことは理解してもらえると思う。


基本的には直感に従うことが大切で、
それも身魂磨きの御用の一環でもある。


その直感に対して頭でアレコレ考えて従わないと、
決定している運命の呪縛から解放されないことが分かるだろう。


「直感などアテにならない」と決め付けている人は、
「直感は自分の考えではない」と思っているのだろう。


そこで直感について説明しておくが、
直感というものは低レベルな左脳思考を遥かに超越した、
「潜在意識」や「超意識」や「魂」の思考なのである。


実際に、半覚醒してくると、直感を受信すると同時に、
その「直感の思考のプロセス」も感じられるようになってくる。


従って、潜在意識の浄化に努めて、
高次元と波長の合う意識を心掛けることが前提だが……、


最初に思ったことに従って、すぐに行動に移すことである。


ついでに言っておくと、
真我の直感に忠実に従っても、
周囲の人々から見ると不幸としか思えないような、
大変な苦労をさせられることもある。


それでも自分を捨てて悪想念を出さずに、
感謝の気持ちで坦々と与えられた仕事を遂行し、
どんな時でも神を疑わずに信じ貫くことが大切である。


一般的なイメージの幸福は必ずしも幸福ではなく、
自我の視点での幸福を追い求めていると、
いずれよくない意味でドンデン返しが起こることになるが、
それが改心のキッカケになって意識進化するなら、
それもまた「必然・必要・ベスト」だと言えるが……。

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もう1つ、注意点があるので気を付けて頂きたい。


閃きや思いつきをすぐに実行できない事情があることも、
当然ながら沢山あるものだ。


その場合、実行するまでの間に時間はどんどん経過する。


直感とは、あくまでも「今するべきこと」の指南であり、
時間が経てば状況も変わるので、
「最初にそう思ったから」と言って、
過去の直感に囚われては本末転倒になるのだ。


それ故に、常に新しい直感に従っていれば、
最初の直感から二転三転することがあって当たり前なのだ。


それは人間次元でいうところの、
「考えがコロコロ変わる」というのとは似て非なるものである。


そのような柔軟性を持つことも大切で、
日々の内観で意識の囚われを解除する習慣が必要である。


習慣になれば殆ど無意識に行われ、文字通り、
潜在意識下で自動内観をし続けている状態となってくるが、
やはり最初の「意識進化の決断」が重要になってくる。


人間なので三日坊主でも構わないが、
その三日坊主を何度も繰り返せば良いのである。


継続は力なりだが……、
魂を縛り付けることになるのも本末転倒なので、
いい加減さと適当さも必要なことだと思う。



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posted by ZERO at 23:55| Comment(2) | 意識進化 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
私は昨日からずっと「直感」について考えていたので、シンクロにびっくりです!今日アップされた記事を読んで直感についての理解を深めることができました。ありがとうございました!

私は2年くらい前に直感に従わなかった為、その後(今も)大変辛い思いをすることになりました。その直感は私が行きたい方向(私の欲望)と逆だったので従わなかったのです。

今後は「直感⇒すぐ行動」して行きます!どこに辿り着くのかわくわくします♪
Posted by 零子 at 2015年02月23日 00:40
零子さん、こんにちは^^

直感に従わずに辛い思いをすることになったことも、それはそれで「必然・必要・ベストだった」と肯定して下さい。

バシャールは「過去の選択を尊重する」ということを教えています。

過去を否定すると現在を否定することになり、それは同時に未来の否定にもなるので、確かにその通りだと思います。

「直感⇒すぐ行動」

いいですね^^

1日1つでも小さなことからコツコツと……応援しています。
Posted by ZERO at 2015年02月25日 13:31
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