2014年11月16日

呪いの藁人形にされたイエス・キリストの教えは屁の河童!

異星人「グレイ」の心霊写真公開!
の中で河童について少し書きました。

『失われた異星人グレイ「河童」の謎』では、
異星人グレイの存在が否定されていますが、
河童と似て非なる「グレイ」という異星人が
存在する可能性があります。

送られてきた写真も、
グレイと地球人の混血種が進化して、
霊的生命体(神)になったような感じがします。

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しかし、河童とグレイが似ていることから、
両者を結びつけるような伝説も生まれたようです。

また、飛鳥昭雄氏によると、
河童はイスラエル人の象徴でもあるそうです。

『失われた異星人グレイ「河童」の謎』に
興味深い話が載っていたので少し紹介します。

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河童の相撲好きとイスラエル

太秦の広隆寺のそばに「いさら井」という名の井戸がある。

いさら井とは、イサライの井戸という意味で、
本来は「イスラエルの井戸」のことだったというのである。

井戸との関わりで注目されるのが「ヤコブの井戸」である。

預言者ヤコブにゆかりのある井戸で、イエス・キリストが、
「永遠の生命とは何か」について説教したことで知られる。

預言者ヤコブには別名があり、それを「イスラエル」という。
つまり、ヤコブの井戸は「イスラエルの井戸」であるわけだ。

ここに河童の相撲好きの由来が隠されている。
なぜ河童は相撲が好きなのか。

これは河童が秦氏、
すなわちユダヤ人であると考えれば理解できる。

ヤコブは神の御使いと一晩中格闘して、
勝ったことを記念して、神からイスラエル
(神に勝つ者)という名を与えられたのである。

ユダヤ人にとって、相撲はイスラエルの象徴でもあるのだ。

河童の正体が秦氏ならば、
相撲にこだわって当然といえるだろう。

河童はしばしば透明になるといわれる。
相撲を取った場合、はたからは河童の姿が見えない。

あたかも、ひとり相撲を取っているかのような状況である。
祭事「ひとり相撲」の相手は神様である。

神様の姿は見えないので、ひとり相撲になるというわけだ。
この神と相撲をとる原形が、「ヤコブの相撲」なのだ。

つまり、「ヤコブの相撲」がもとになって、
日本では神事「ひとり相撲」が行われるようになった。

秦氏が河童と呼ばれるようになると、
これが「河童の相撲」とされるようになり、
河童の相撲好きという伝説が生まれたのではないだろうか。


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キュウリとエジプト

河童のキュウリ好きも、正体が秦氏だとすれば、
おもしろいことがわかってくる。

ユダヤ人の祖であるヤコブ=イスラエルは、
12人の息子をもうける。

そこからイスラエル12支族が誕生するのだが、
このとき一家はエジプトへ移住する。

当時、エジプトは異民族が支配していた。
エジプトにやってきたイスラエル人も、
そうした中で繁栄していくことになる。

しかし、時代が変わると、ファラオの力は再び強大となり、
イスラエル人は異邦人として虐げられるようになり、
ついには奴隷へと身を落としていく。

紀元前13世紀ごろ、ついにメシアが現れる。
大預言者モーセである。

モーセはイスラエル人を率いて荒れ野へと旅立つ。
だが、荒れ野では食料がままならない。

神は天からマナという食べ物を降らせたが、
毎日食べていると飽きるのが人情。

ついには不平不満をもらし、こういった。

「キュウリやメロン、葱や玉葱やにんにくが忘れられない。
今では、どこを見回してもマナばかりで何もない」


このキュウリを食べたいという気持ちが、
イスラエル人の嗜好性に大きな影響を与えた。

それがユダヤ人である秦氏に受け継がれ、
ついには河童のキュウリ好きという
伝説になったのではないだろうか。


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カッパの語源となったカッバーラ(ユダヤ密教)ですが、
カッバーラとはヘブライ語で「受け取ること」を意味し、
神から与えられる叡智を示します。

カッバーラの奥義は「生命の樹」という象徴図形で、
日本に渡来した秦氏の根幹にもカッバーラがあり、
神道や陰陽道にも色濃く反映しています。

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アダム・カドモン

河童は童子型妖怪である。
その姿は人の形をしている。

カッバーラの奥義「生命の樹」もまた、
人の体で表現されることがある。

これを「アダム・カドモン」という。
アダムは最初の人間であり、全ての人間の雛形でもある。

河童が「生命の樹」の象徴になっているということは、
アダム・カドモンとも対応していることを意味する。

絶対神に近づくとき、
人は子供のように従順でなくてはならない。

キリスト教では、これを表現するために、
絶対神に最も近い天使セラフィムは幼児の姿で描かれる。

アダムも禁断の樹の実を口にするまでは、
絶対神の教えに従順だった。

アダム・カドモンである河童も、しかり。

河童が常に童子として描かれているのは、
絶対神に近づくためには、
子供のようにならなくてはならない
という意味が込められていると考えられるのだ。


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河童とヤタガラス

河童には、しばしばクチバシが描かれる。
クチバシは、いうまでもなく鳥の象徴である。

クチバシのほか、河童は空を飛ぶなど、
どこか鳥のイメージが投影されている。

水に関わるという意味では、水鳥の影響とも考えられる。
カッバーラにおける鳥は、天と地を結ぶ者の存在。

絶対三神のひとり、聖霊が鳩として描かれたり、
天使に鳥の翼が生えているといわれる理由は、ここにある。

これを踏まえて、
秦氏は祭祀を司る支族に鳥の名前を与えている。

いい例が神道の祭祀を一手に担う「忌部氏」だ。
彼らはイスラエルの祭司レビ人の一族。

秦氏と同族で、
とくに天皇に関わる祭祀を担う一族には
「天日鷲氏」や「賀茂氏」がいる。

賀茂氏は「鴨氏」で水鳥の名をもつ。

河童に水鳥の影響があるのは、
鴨氏が関わっているのが大きな理由だと考えられる。

賀茂氏の本筋は陰陽道の宗家。

安倍晴明に始まる土御門氏も同族で、
歴代の陰陽師には、賀茂保憲や賀茂光栄、賀茂忠行などのほか、
修験道の祖とされる賀茂役小角がいる。

これらは表だが、恐ろしいのは裏である。

裏の陰陽師、すなわち漢波羅もまた、
彼ら賀茂氏で構成されているのだ。

漢波羅は裏の者ゆえ、歴史の表に出ることはまずない。

彼らはひとつの秘密組織を作っており、
その名を「ヤタガラス」という。

ヤタガラスとは、記紀に登場する伝説の烏。

神武天皇が熊野で苦境に陥ったとき、
どこからともなく颯爽と現れて一軍を導いた。

賀茂氏の伝承によると、実際は人間。

賀茂氏の祖で、「賀茂建角身命」という名前で
下上賀茂神社に祀られている。

漢波羅秘密組織「ヤタガラス」は、
それをひとつの象徴として掲げているわけである。


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河童と天狗

山梨県の河童「カンチキ」は「烏天狗」に容貌が似ているという。

烏と表現されているあたり、ヤタガラスとの関連を思わせる。
というより、烏天狗そのものがヤタガラスの比喩なのである。

烏天狗とは、烏の頭と翼を持った妖怪である。

修験者の格好をしており、頭には兜巾、
手には六根清浄棒と大きな団扇を持ち、
高下駄を履いているといわれている。

修験者の姿は、ユダヤ教徒の伝統衣装に似ている。
額につける兜巾は、
ユダヤ人が額につける黒い箱ヒラクティリーそのもの。

山で吹き鳴らす法螺貝は、ヤギや牛の角笛ショーファール。
ゆったりとした服装も全く同じ。

モーセをはじめとする預言者も、山で絶対神とまみえた。

修験道と陰陽道は同根。
ともに、賀茂氏=レビ族が担ってきたのだ。

ユダヤ人の鷲鼻を想起させる天狗そのものも、
修験者の姿をしている。

大天狗としては、愛宕山太郎坊、比良山次郎坊、
鞍馬山僧正坊、大山伯き坊、彦山豊前坊、
大峰山前鬼坊、白峰相模坊、法起坊がいるとさる。

おわかりのように、名前に坊とつく。
これは河童も同様。

九州の河童を支配した「九千坊」や
「三千坊」などのように、坊がつく名前がある。

河童と天狗の類似性は、ほかにもある。

天狗の住処は山だが、河童も山に入って山童となる。
河童は人間に相撲を挑むが、天狗も相撲が好きである。

しかも、天狗の中にも間抜けな者がいて、
河童と同じように人間に捕まり、
詫び証文を書かせられたという話もある。

筑後地方では、河童を「スイテング」と呼ぶ。

河童を祀る水天宮もさることながら、
「水天狗」のことではないか。

河童と天狗の間には少なからず共通点がある。

問題の本質は、両者の背後に存在するカッバーラ、
ひいては漢波羅にあったのである。


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また、河童にはキリシタンも投影されているそうです。
ポルトガル人宣教師が活躍したのは主に九州ですが、
キリシタン伝説がある所には必ず河童伝説もあるそうです。


カッパとポルトガル人宣教師

河童と合羽は、ともに水に関わるもの以上に、
密接な関係がある。

合羽という言葉は日本語ではない。

もともとはポルトガル語で、
上着を意味する「capa」からきている。

安土桃山時代の絵画に描かれたポルトガル人が
マントのような上着を着ているが、これが合羽である。

多くの庶民が合羽を目にするようになったのは、
イエズス会の宣教師が町を歩くようになってからである。

当時の絵画を見ると、
西洋人は鬼か天狗のような容貌として描かれている。

カッパという言葉は伝聞から伝聞。
ついには異様な姿をした西洋人は妖怪として理解され、
その名前がカッパと考えられるようになった。


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河童顔と尖った顔

河童の最大の特徴は、やはり頭にあるお皿であろう。
世間では、頭頂部だけ禿げた人が河童と呼ばれたりする。

これと似たような状況がポルトガル人宣教師にもあった。
フランシスコ・ザビエルの頭も頭頂部が禿げていた。

これは、わざと頭頂部だけ剃っているのだ。

仏教の僧侶が頭を丸坊主に剃ってしまうように、
イエズス会の宣教師も頭頂部を剃る。

これをポルトガル語で「トンスラ」という。

当時の日本人にとって、ポルトガル人宣教師のトンスラが
河童の皿頭に思えたとしても、決して不思議ではない。

また、河童の目は大きく、顔は尖って、犬と表現される。

これも西洋人の容貌と見事に一致する。
外人は、とかく妖怪変化として表現されるケースが多い。

ポルトガル人宣教師の姿をまだ見たことがない人に説明する時、
目が大きく、顔が尖って、頭のてっぺんが禿げているとしたら、
十人中十人、現在の河童のような姿を思い浮かべるに違いない。


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洗礼バプテスマの水

河童は水の妖怪である。
何よりも、水がなくてはならない。

頭のお皿が乾くと、とたんに弱くなり、
死んでしまうこともある。

キリスト教に改宗した人は、必ず頭に水をかける。
これを「洗礼(バプテスマ)」という。

頭に水をかける姿は河童の水かけである。

このとき信者が頭のてっぺんを剃り、
トンスラにしていたら、
まさに河童のお皿に水をかける光景そのままになる。

しかも、洗礼をされた者は
キリシタンとして生まれ変わるわけだから、
非常にいきいきしている。

洗礼は本来、体全体を水に沈める「浸水式」が正式。

頭に水をかける洗礼は「滴礼式」といって、
簡略化した儀式である。

もし浸水式の洗礼をしている光景を見た日本人がいたら、
河童が人間を水の中に引き込んでいると考えたに違いない。

さらに、河童は捕まると、すぐ謝る。
これは悔い改めである。

キリスト教徒がする罪の懺悔であり、
改心であると解釈できるのだ。


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河童の好物と宣教師

河童は吸血性であるともいう。
これも西洋人が口にしたワインだとすれば納得がいく。

真っ赤な色をしたぶどう酒は、
日本人には生き血に見えたのではないだろうか。

実際、キリスト教徒がミサで飲むワインには、
イエス・キリストの血としての意味が込められている。

キリシタンとなった日本人から聞きかじった人が、
ポルトガル人宣教師=河童は
生き血を吸うと勘違いした可能性は否定できない。


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河童=迦波羅を広めた者

河童には、実に多くの象徴が込められている。

重要なのは、カッバーラの象徴が
河童という妖怪に次々と付加されていった点にある。

河童像が完成する江戸時代には、
だいたい迦波羅の象徴の組み込みが完了したと考えていい。

逆にいえば、江戸時代以前の河童には、
お皿もなければ、クチバシや甲羅もない。

水かきこそあれど、カッバーラの象徴と考えられるものは、
ほとんどなかったといっていいだろう。

これは、いったい何を意味するのか。
何もないところに煙は立たない。
無のところに妖怪は生まれない。

漢波羅が河童に目をつけたのは、
そもそも最初に河童という存在があったからだ。

それはたんにたんに妖怪を指すのではない。
もっと現実的な存在として、河童は実在したのである。
はっきりいって、河童という生物が存在するのだ。


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では、なぜ漢波羅(裏の陰陽師)は
河童に目をつけたのでしょうか。

それは、ユダヤ人の神であるグレイ(ゼータ星人)
に似ているからかも知れません。

飛鳥氏がNSAの元職員から入手した「Mファイル」によると、
ロズウェルに墜落したUFOの搭乗員は、
アルザル人だったそうです。

アルザル人は地球内部に移住したイスラエル10支族で、
弥生時代に日本に渡来した出雲族と同じ民族です。

アルザル人の容貌は日本人ソックリだったそうですが、
体は小柄で頭は丸坊主に剃っていたそうです。

で、日本人と同じ民族がUFOの搭乗員だったことを隠蔽する為に、
その搭乗員の特徴に似たUMAチュパカブラ(河童)を捕獲し、
それを異星人として仕立て上げたそうです。

でも、僕はこの話に懐疑的で、その理由は、
ロズウェル墜落UFOアルザル人説を斬る
の中で書いています。

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アルザル人の存在は否定しませんが、
アルザル人のUFOが墜落したというのが信じられません。

落雷が原因で墜落したそうですが、
飛行機でも落雷対策がされているのに、
高度文明のUFOが墜落するのは理解できません。

また、もう一機存在したことになっていますが、
なぜそのもう一機のUFOは、
墜落したUFOと仲間の遺体を回収せずに
飛び去ったのかという疑問があります。

日本人を使った気球実験だったという説がありますが、
その方が僕は納得できます。

それはそうとして、アメリカ軍は
異星人グレイと密約しているという話が昔からあります。

異星人グレイには種類があり、
未来のネガティブな世界から来ている連中もいるそうで、
アメリカが密約しているのはその世界のグレイらしいです。

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僕的には信じがたい話ですが、
アリオンもそのことを話しているし、
バシャールの話も含めて考えると、
そのようなことがあるのかも知れません。

そうすると、アメリカはグレイを隠蔽する為に、
彼らに似ているUMAチュパカブラ(河童)で
カムフラージュしているのかも知れません。

もっと言えば、アメリカ軍がチュパカブラを捕獲したのは、
グレイの指示だった可能性もあります。

更に、チュパカブラを遺伝子操作で高等生物に進化させたのが、
グレイという可能性も否定はできません。

内海康満氏はホテルの部屋にグレイが現れたそうですが、
肉体を持った生き物だったそうです。

それがチュパカブラではなくグレイだったとしたら、
グレイはチュパカブラと同じプラズマ発生能力を受け継いでいて、
壁を透過して侵入してきたことになります。

しかし、体の特徴に関しては、遺伝子操作や進化によって、
チュパカブラのままではないと思います。

アメリカがUFO研究家たちに流している
「異星人グレイ情報」はデマで、
チュパカブラの特徴を言っているのだとおもいます。

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飛鳥氏は次のように述べています↓

異星人グレイを眺めてみると、
改めて河童との類似性に気づく。

UMA河童と異星人グレイの身体的特徴は、
ほぼ一致すると言っていいだろう。

身長が約1メートル前後、頭でっかちで、体は華奢。
手足が細長く、指は4本。

鋭い爪が生えており、指と指の間には水かきがある。
皮膚の色は灰色だが、中には緑色や赤色のものもいる。

キャトル・ミューティレーションでは、
家畜の体からは血が殆ど失われているが、
これも河童が吸血性であることと同じだ。

人間以外の霊長類を見ても、
器用にモノをつかむゴリラやチンパンジーの手には、
立派な親指がある。

これに対して、モノをつかむというよりは
木にぶら下がることが多いテナガザルの手は、
親指が極端に短くなっている。

モノをつかむことができない犬や猫に至っては、
親指はずっと肘に近い方にあり、ほとんど機能していない。

グレイの手に親指がないということは、
モノをつかむことができないことを示唆する。

もちろん、4本の指でモノをつかむことはできるだろう。
だが、だけでは、知的生命体に進化することはできない。

モノをつかみ、その上で複雑な作業をし、
複雑な機械を製造していかなくては、到底、
精密工学の結晶ともいえるUFOを作ることはできない。

確かに、文明が進んで、全てが機械化された社会ならば、
ボタンひとつで何でもできるかもしれない。

百歩譲って、ボタンひとつで何もかもできる社会を実現し、
その環境に適応進化した結果、親指が不要となり、
ついには退化してしまったとしよう。

ならば、爪はどうか。
グレイには鋭い爪がある。

高度社会を築いた生命体にとって鋭い爪は必要であろうか。

ヒトはもちろん、ゴリラやチンパンジーでも
もはや鋭い爪は持ち合わせていない。

親指が不要なほどの環境ならば、
その前に鋭い爪が退化してしまうのではないだろうか。
少なくとも、鋭い必要はまったくない。

そして、もう1つ。水かきである。
水中生活をしているわけでもないのに、
どうして水かきが必要なのか。

ゴリラ、チンパンジー、ヒトにも水かきは存在しない。
陸上生活するに当たって、
水かきは不要であり、指を動かす際に邪魔になる。

高度な科学技術を持っているなら、
医学も相当発達していることだろう。

水かきの切開手術などわけないと思うのだが、いかがだろう。


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親指が退化する以前に鋭い爪が退化するという話は納得ですが、
退化していないならしていないで、切ればいいと思います(笑)

丸裸で鋭い爪を伸ばしっ放しというのは、
どう考えても高等生物ではありません。

伝えられている異星人グレイの特徴は、
明らかにチュパカブラ(河童)です。

しかし、異星人グレイが存在するならば、
両者の類似性を偶然で片づけることも難しいと思います。

川ん殿(河童)の像
無題.png


河童の皿は王冠

河童とアダム・カドモンの関係で注目したいのは頭頂部である。

ここに対応するセフィロトは@ケテルである。
ケテルが意味するのは「王冠」である。

王冠は王権の象徴。
洋の東西を問わず、王権は神から与えられると考えられてきた。

それゆえ、王冠は宗教的指導者や祭司から授けられる。

これは、絶対神から授けられる叡智カッバーラの象徴であり、
王冠は絶対神に選ばれた者としての栄光を示している。

河童の頭頂部にあるものは、お皿である。
お皿は迦波羅であり、カッバーラである。

そこに絶対神からの賜物を受け取ることを意味している。
つまり、河童のお皿は王冠を意味しているのだ。

河童というと滑稽で間抜けな妖怪と思われがちだが、
カッバーラという視点からすれば、
絶対神から選ばれた預言者として、
栄光ある姿を表現しているといえるのだ。

しかも、河童の場合、頭のお皿に注がれるのは水である。
この水がなければ河童は生きていけない。
言い換えれば、河童のお皿の水は「生命の水」なのだ。

物質としての水は、いくら飲んでも、いつかは喉が渇く。
が、決して渇くことのない生命の水があることを
イエス・キリストは述べている。

河童が常に求めている水は、
イエスが示した生命の水を暗示している。


宇宙人.JPG


飛鳥氏は明記していませんが、
いさら井の水は「生命の水」を象徴しているようです。

その水がなければ河童が生きていけないように、男女問わず、
僕がいなければ生きていけないという人が何人かいます。

それは僕に何か依存しているのではなく、
僕の記事が「生命の水」になっているのだと思います。


先日、盆さんから以下のコメントがありました↓

「……だから『解る人だけ解ってください』となる。
そこで解ってくれる
(実際には解ってなくても反感を示さないおとなしい人)
人こそが貴方の言う"読者"なんでしょうね」


僕が言う読者は僕自身も含まれていますが、
叡智を受け取る皿を持っている人のことです。

即ち、僕が言う読者とは「河童」のことです(笑)

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へのかっぱ

河童に関する慣用句に「屁の河童」がある。

その意味は、なんでもないこと。
平気のへっちゃら、
たいしたことはないことを表現する時に使われる。

河童がカッバーラであることがわかれば、
「屁の河童」とは「屁のカッバーラ」だと解釈できる。

当然「屁」はおならではない。
ただの「へ」である。
つまり「へのカッバーラ」である。

では、このただの「へ」には、
どんな意味が込められているのか。

カッバーラの絶対三神のひとり御子
イエス・キリストはヤハウェと同一神である。

ヤハウェは神聖四文字テトラグラマトンで表記され、
英語のアルファベットでいえば「YHWH」となる。

ヤハウェにはいくつか略称がある。
「ヤフー」や「ヤハ」や「ヤー」も、ヤハウェを意味する。

ユダヤ人の人名にあるイザヤの「ヤ」や
ヨシュアの「ヨ」なども、みなヤハウェの略称なのだ。

さらに、もうひとつ。意外な略称がある。
それが「へー」なのである。

テトラグラマトンの中で2回も使用されている
「へー(H)」もまた、それ単独で絶対神ヤハウェを意味する。

つまり「へのカッバーラ」とは「ヤハウェのカッバーラ」なのだ。

ヤハウェから授けられた叡智カッバーラこそ、
「屁の河童」の正体なのである。

誰もが大したことがない、何でもないことだと、
その価値を認めないような小さなことに、
最も重大な意味が隠されていることを慣用句は語っている。


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さて、河童は呪いの藁人形から生まれた
という伝承も多いそうですが、
呪いの藁人形は「闇の陰陽道」の呪術です。

※「裏の陰陽道」ではなく「闇の陰陽道」です。

闇でも陰陽道である以上は、
当然ながらカッバーラに基づいているわけですが、
飛鳥氏は次のように述べています↓


河童はイエス・キリストだった!!

呪いの藁人形が板や髪の人形ではなく、
藁の人形でなければならないのは、その文字に理由がある。

「藁」という漢字を分解すると、
「」+「高」+「木」に分けられる。

まず「高」+「木」だが、
これは日本神話に登場する「高木神」を意味する。

高木神は「高御産巣日神」とも呼ばれ、
この世の初めに現れた「造化三神」のひとり。

『古事記』によると、原初には混沌だけがあり、
そこからひとりでに「天之御中主神」と「高御産巣日神」と
「神産巣日神」の三神が誕生したという。

いわば神道の最高神であるといっていい。

カッバーラを持ち出すまでもなく、
造化三神の正体は絶対三神である。


「天之御中主神=御父=エロヒム」

「高御産巣日神=高木神=御子=ヤハウェ=イエス・キリスト」

「神産巣日神=聖霊=ルーハ」



藁人形の神、高木神はイエス・キリストなのだ。

藁人形に打ちつける御神木は「生命の樹」であり、
まさに十字架。

藁人形も本来は十字形にして打ちつける。

「藁」という文字は「草」を被った「高木神」、
つまり「棘のある荊の冠」を被った
イエス・キリストを象徴しているのである。

よって、藁人形を御神木に打ちつけるとは、
十字架にイエス・キリストを磔にする行為なのである。

藁人形の正体がイエス・キリストだとすると、
藁人形から生まれた河童の正体は何か。

そう、イエス・キリストである。

河童はイエス・キリストだったのである。

数々の象徴に彩られた河童は、
最終的に全人類の救世主を具現化していたのである。


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河童の水かきと救い

水辺の妖怪、河童は、なんと全人類の救世主
イエス・キリスト、その人だったのだ。

河童の水かきもまた、
その正体がイエス・キリストであることがわかって初めて、
その意味が理解できると言っても過言ではない。

天使に描かれる鳥の翼は、
天と地を繋ぐ存在の象徴だったように、
河童の水かきにもカッバーラとしての意味がある。

お釈迦様をはじめとして、
仏様を刻んだ像の手には、しばしば水かきがある。

これもまた、ひとつの象徴になっている。

仏は人間を救うために存在する。
できることなら、一人残らず全人類を救いたいと考えている。

孫悟空が地の果てまで行っても、
結局はお釈迦様の掌の上だったように、仏は大きい。

その大きな手で砂粒のような人間をすくい上げようとした時、
指の隙間からこぼれ落ちる者がいるかもしれない。

そんなことがないように、仏の指の間には膜があるのである。

河童の水かきも全く同じ。

河童の水かきはイエス・キリストの水かき。
水をすくうためではなく、人類を救うためにあるのだ。




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