2014年07月30日

意識の覚醒

Kan.氏が説く「ダブル・アセンテッド」
の話を覚えておられるだろうか↓


……そこまでくると、
自分の意識が2ヶ所にあることに気づきます。
1つは、内側をしっかり実感しながら、
外側という物質的な世界もあるという実感。
もう1つは、全く形のない世界の知覚です。

通常、私たちの意識は一方向
(シングル・アテンション)になりがちです。
つまり、「内側の世界だけを見ているか」
あるいは「外側の世界だけを見ているか」
のどちらか一方の状態で生きています。

それがきちんと二方向(ダブル・アテンション)に
向くようになると、つまり、
「外側を見ると同時に、内側の世界も見る」
ことができるようになると、その向こうに「形のない世界」
(ドラマではない本当の世界)が立ち現れてきます。

言葉にすると難しいですが、悟りを開くというのは、
2つのアテンションのバランスが完全にとれたときに、
主体も対象も落ちるという感覚です。

「『唯一存在』即『唯一非在』」というものです。

その世界が立ち上がったときに、人生を生きるとは、
物質の世界と形のない世界を繋ながら、
本来の存在で生きるものになります。



転載終了

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これが私が今までずっと主張し続けてきた
「半覚醒」の感覚である。

ちなみに真我が100%覚醒すると自我が消滅し、
肉体の削除が起こることになる。


「自分の意識が2ヶ所にある」というのは、
「肉体の内側の自我」と「肉体の外側の真我」である。

「1つは、内側をしっかり実感しながら、
外側という物質的な世界もあるという実感」

これが自我の意識(3次元認識)である。


普通は、「内側の世界だけを見ているか」あるいは
「外側の世界だけを見ているか」の一方向
(シングル・アテンション)を認識するだけだが、
これが二方向(ダブル・アテンション)に向くようになると、
その向こうに「形のない世界」
(ドラマではない本当の世界)を認識するようになるという。


「その向こう」というのは胸の奥、
即ち「宇宙の外側」であり、
魂(真我)が存在する5次元の世界である。

この世界を知覚・認識するようになるのが
魂(真我)の半覚醒で、その魂(真我)の意識と
人間としての自我の意識を持つようになるのだ。


真我の意識は肉体の外側に存在する感覚はあるが、
その意識は胸の奥で感じるため、心臓が受信機
(中継センター)の役割を果たしていると考えられる。

真我の意識は「胸の奥」で感じるとはいえ、
その所在地は「肉体の外側」である。


肉体の外側の空間に浮遊霊のように存在するのではなく、
この宇宙を包含している存在である。

それ故に、真我が半覚醒すると
自我が「外側」と知覚している3次元を「内側」と感じる
「内外反転」の認識を持つようになるのだ。


その認識が進むと、人類は1人1人が
別々の宇宙に住んでいることが分かるようになる。

と同時に、自分が生きている宇宙は
自分の肉体が誕生した時に誕生し、
自分の肉体の死と共に消滅することが分かる。

Kan.氏も同じことを説いていることを、
少し前に紹介した通りである。

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引き続き、Kan.氏の話を紹介したい↓


意識の覚醒

「意識の覚醒」では、思考も自分のことではなく、
感情も自分のことではなく、
肉体も自分のことではないという気づきが起こります。

思考、感情、肉体の3つのセンターは、
「バビル2世」でいうところの3つのしもべたち、
すなわちポセイドンとロデムとロプロスみたいなものです。

この世界を生きる上でそれぞれ長けたところがあり、
バビル2世を助けることができるけれど、
バビル2世本体ではないということです。

思考、感情、肉体の奥にあるものに目覚め、
その奥に意識がシフトしていくと、
思考、感情、肉体の3つを上手に使えるようになります。

そうしたら、そこから先はもはや後戻りすることがありません。
今ここにいながら、思考の次元に生き、感情の次元に生き、
肉体の次元に生き、その3つの調和がとれてバランスがよくなり、
世の中との折り合いもついて、生きることが楽しくなります。

しかしこの段階ではまだ危ういところがあります。

大事な人に裏切られたり、深刻な病気を宣告されたりしたときに、
バランスが崩れる可能性があるのです。

「あれ?あのときはすごくいい感じだったのに、
あの時の私はどこに行ってしまったのだろう?」
と迷いが出てきたりします。

でもそこで、思考、感情、肉体の3つのボディは
どれも自分の本体ではないのだという意識のシフトがあれば、
裏切りや深刻な病気を味わいながらも、
それに巻き込まれない自分もいて、
人生そのものを愛おしむことができるようになります。

それが「意識の覚醒」であり、
「身体の覚醒」との大きな違いといえるでしょう。

ただし、これはいい悪いの話ではなく、
ときには思い切りバランスが崩れて落ちていくのも人生です。

そこに調和があるなら、
バランスが崩れて落ちることにも十分に価値があります。
人によっては、そういうところに高次元の旅がある人もいます。

話を少し整理すると、覚醒をするには、まず、
自分が3つのセンターのうちの何をよく使うかを理解すること。

次に、3つのボディを統合しても、
自分の本体にはならないと理解する必要があるということです。

3つのボディを統合すると、
その奥に本当の自分が見えてきますが、
このあたりが分かってくると、
自分が幻想の旅をしていることがわかるようになって、
次元の旅は非常に面白くなります。



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ここでいう「意識の覚醒」とは、真我の覚醒のことだが、
肉体はもちろん「思考も感情も本当の自分(真我)ではない」
と私が常々言っている通りである。

私は、思考と感情を合わせて「自我」と呼んでいるが、
人間は3次元を体験する為に「肉体」を持ち、
肉体の意識である「自我」を付随させているに過ぎない。


肉体や自我を「自分」だと狂信的に固執していると、
「ネガティブな世界」に停滞し、
スマル逝き(魂の消滅)という運命を辿ることになる。

肉体は死ねば滅ぶものであり、自我も消滅するものだが、
死んで消滅するものが「本当の自分」ではないことは、
誰にでも理解できることだと思う。


もちろん、死んで体外離脱をしても、
今の自分の意識がなくなるわけではない。

だからと言って、今の自分の意識が
肉体から抜け出すというわけでもない。


肉体の意識は肉体の死と共に消滅する。
もしくは、肉体が灰になった時に完全に消滅する。

私が知る限り、これは誰も言っていない未常識な話なので、
特に霊的知識の豊富な人ほど戸惑うかも知れない。


反キリ3で詳述したことがあるが、人間には
「魂の意識」「霊体意識」「幽体意識」「肉体意識」がある。

人間の意識(顕在意識)が「肉体意識」で、
これが思考と感情から成る「自我」である。

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自我とは、自分を「自分」だと認識する意識のことである。
厳密に言えば、それ自体は永遠不滅の存在である。

言葉で説明すると難しいが、
肉体が死ぬと「自我」が肉体から幽体にシフトするのだ。


人間の死は、脳波と心拍の停止をもって完結し、
肉体意識は消滅することになるが、
瞑想の延長にある「体外離脱」体験では、
脳波や心拍が停止するわけではない。

つまり、肉体は生きながらにして、
死後の世界を体験していることになる。
従って、肉体意識は消滅していないことになる。


肉体意識は存続したままで、
自我(思考や感情)が肉体意識から幽体意識に移るのだ。
私は無数の体外離脱体験から、そのことを確信している。

例えば、体験離脱をすると、
自分の意識(自我)は肉体から抜けて、
幽体に自分の意識(自我)がシフトする。


だが、時として、
肉体から自分の意識(自我)が離脱したことを、
肉体の頭脳で認識していることもある。

つまり、自分の意識(自我)が
肉体と幽体の2つにある状態である。


もっと分かりやすい例が「夢」である。
夢を見ている時、自分の意識(自我)は「肉体」ではなく、
夢の中の自分にシフトしている。

この夢の中の自分の意識が「幽体意識」だと思って良いが、
明晰夢になると、肉体意識で夢を見ていることを認識する。
これは幽体と肉体の両方に「自我」が存在している状態である。

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これは私自身の体験から確信していることだが、
そのような話は見たことも聞いたこともないので、
一応私の個人的な仮説ということにしていたが、
前に紹介した森田健氏の念力計の実験の話を改めて読んで、
私の確信は深まった。


その実験では、まず森田健氏が体外離脱をした。

森田健氏の自我が幽体意識に移行し、
幽体が肉体から離脱して肉体に意識(自我)がない状態である。


それで、幽体の森田健氏が念力計に念を送ったが、
メーターは動かなかったという。

そこで、自分の肉体に「念力計に念を送れ」
という指示を出すと、メーターが動いたという。


つまり、自我は幽体と共に離脱したが、
肉体は生きているので肉体意識は肉体に存在しているのだ。

人間はその肉体意識と自我が結びつけているので、
肉体意識を自分だと錯覚しているのである。


肉体意識は3次元意識で、幽体意識は4次元意識だが、
その2つを合わせて私は「自我」と定義している。

そして、いわゆる天国(フォーカス27)
と呼ばれる世界を超えると、幽体が消滅して霊体となる。


3次元から4次元に移行するとき肉体を離脱するのと同じで、
4次元から5次元に移行する時に幽体を離脱して霊体となる。

つまり、自分の意識(自我)が幽体から霊体にシフトするのだが、
霊体意識は5次元認識のために「自他一体」の感覚を持っている。


従って、「自分」という意識は存在するが、
それはもはや「自我」ではなく「真我」である。

この5次元の世界には自分の霊魂の本体があり、
その分身が自分の霊体なのだが、
その霊体意識に目覚めることが真我の覚醒で、
この世の幻想から覚醒するということであり、
これが即ち、輪廻の解脱で、悟りである。

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私がこの本体の霊魂に出会ったのは2009年の春頃で、
真我が覚醒する1年前のことだったが、
後にこの本体の霊魂が
「トータルセルフ」と呼ばれていることを知った。

死んで5次元に帰還することができたら、
このトータルセルフと合体することになるが、
それが人生の目的(課題)である。


人間は死後、自分の意識レベルに合った世界に行くので、
5次元に行く為には生きている間に
5次元の意識に到達している必要がある。

即ち、輪廻を解脱して真我を覚醒させることである。


5次元意識は「自他一体」だが、
完全な自他一体の認識には至っていないため、
それぞれの霊が「自分の霊体」を持っている。

だが、6次元に上昇する時には霊体を離脱して、
魂だけの存在となる。


魂は無形の意識体で、意識のみの存在である。

自分の姿形が存在しないので、
どこからどこまでが「自分」という境界線がなく、
宇宙空間と融合した状態となる。


ここでも「自分」という意識は存在するが、
総ての魂と融合した「完全な自他一体」の状態である。

これを「宇宙即我」あるいは「天人合一」と呼ぶ。


当然、その自分の意識は「自我」と呼ぶべきものではなく、
「真我」以外の何ものでもない。

これがいわゆる「ワンネス」の状態で、6次元体験だが、
5次元の真我に目覚めていなくても深い瞑想で体験可能である。


私は27歳の時に約20日間、断食と瞑想三昧の日々を送って、
天人合一を体験したが、その方法は以下の記事で紹介している。

「体術」による天人合一法
私を億万長者にした宇宙瞑想

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20日間も瞑想三昧は普通は無理だと思うが、
毎日少しでも続けることで「天人合一」が可能で、
このブログの読者でも2人が体験している。

その2人はまだ真我(5次元意識)には目覚めていないが、
天人合一は一時的な6次元意識(真我)の覚醒体験で、
それなりに確実に意識(世界観)の変容が起きてくる。


つまり、飛躍的に意識進化するということである。


さて、Kan.氏によると、
思考、感情、肉体は、3つのしもべたちだという。

私も、真我が「主人」で、
肉体や自我が「従者」だと繰り返し述べているが、
Kan.氏の次の言葉に注目して頂きたい。


「思考、感情、肉体の奥にあるものに目覚め、
その奥に意識がシフトしていくと、
思考、感情、肉体の3つを上手に使えるようになります」



思考・感情・肉体の奥にあるものとは「真我」のことだが、
「意識がシフト」という表現がされている。

何気なく読み流してしまう文章だが、
これも私の説を裏づけているといえる。


だが、この段階ではまだ危ういところがあり、
大事な人に裏切られたり、
深刻な病気を宣告されたりしたときに、
バランスが崩れる可能性があるという。

それはまだまだ自我が強いことを示しており、
私の母親もまだそのレベルで苦悩している。


まずは、「思考、感情、肉体は自分の本体ではない」
ということを徹底的に理解して、
その概念を前提として生活することである。

「思考、感情、肉体は自分ではない」
という明確な認識が生まれてくると、
つまり、真我に意識がシフトしていくと、
どのような現象を体験しても、それに巻き込まれなくなり、
人生そのものを愛おしむことができるようになるのだ。


私がいつも言っているように、
人間の自分の人生を映画を観るように
楽しんで(たの死んで)いる状態である。

「たの死んで」という表現は、普通の人から見ると、
「この世に生きていない」ように見えるらしいことから、
当てた字である。


逆に、聖者カルキや内海康満氏などによると、
この3次元の世界にドップリ浸かって生きている人は
「本当に生きていない」という。

真我(本当の自分)を知らずに、
現象界(幻想の世界)を真実だと信じていれば、
それは確かに「本当に生きている」とは言えない。

何よりも先に「ほんとうの自分を知らなければ始まらない」という決意が決め手



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posted by ZERO at 15:44| Comment(5) | 意識進化 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
私もゼロ様の夢をよくみます。
いつも私の夢に出てきてくださって幸せです(*^^*)
三月にゼロ様にいただいた厳しいお言葉をかみしめて、理解が進んできています。
ゼロ様がおっしゃっていたとおり、最近スピの方々がシッポをだしてきたように感じています。
私も引き込まれないように内観を続けて精進いたします(^^)/
何よりも先に「ほんとうの自分を知らなければ始まらない」という決意が決め手
アクセスできなかったのでかわりに載せておきますね。
http://world888.seesaa.net/article/145277543.html


Posted by のあ at 2014年07月31日 01:28
おひさ?です。 遊びにきました。

お相手してください。


ダブル・アテンションって『観察している者』と外的『対象』を両方意識してる状態でしょう?

それとも努力なく観照が起こってる状態のことを言ってます?
Posted by 2ちゃねらー at 2014年07月31日 12:36
のあさん、お久しぶりです^^


>三月にゼロさんにいただいた
厳しいお言葉をかみしめて理解が進んできています!

何て言いましたか?^^;
投影の話でしたっけ?

ノアさんの投影の概念は自我を主体とした投影の概念で、
それを絶対的なものとして他者批判をしたから、
厳しい注意のメールを送った記憶があります。

ノアさんは私を絶対視するが故に、
私に対して批判的なコメントをする人に対し、
相手を思いやる気持ちで、
尚且つ私のフォローをしてくれたのは分かりますが、
少々攻撃的な感情が入っていましたね?

それは自我であり、狂信というものです。
まぁ、良い方向に進んでいるなら良かったです^^

これからも色々と苦難はあると思いますが、
自我に負けないように頑張って下さい。

いや、頑張ったらダメなので、
お互いに頑張らずに適当に頑張りましょう(笑)



2ちゃねらーさん、お久しぶりです^^


私の見解でのダブル・アテンションは、
内外を同時に認識している状態で、
努力は伴っていませんが、
内側を認識している意識も、
外側を認識している意識も、
どちらも自我(3次元認識)です。

しかし、その内外を同時に認識するようになると、
真我の世界認識が開けてくるということだと思います。

その世界認識は、肉体の外側が内側に反転します。

分かりやすくいえば、
自分(真我)の内側の世界に、
人間の自分がいるという感覚です。

もちろん、他人も何かも全てが自己の内在です。

逆に、自我での理解と認識においては、
他者も含めて肉体の外側の世界の本質は、
自分の肉体の内部にあるという感じです。

いずれにしても「内側」ですが、
自我の内側と真我の内側の認識は反対です。

半覚醒はどちらも認識している状態なので、
「内側」や「外側」という言葉を使うた時は、
頭脳の思考回路がショートしそうになる時があります^^;

何となくイメージできたでしょうか?
Posted by ZERO at 2014年08月02日 04:39
ダブルアテンション、努力を伴ってない認識作用ですね。
努力を伴う集中の瞑想をしてると以前より違和感があります。


なんとなくわかったような。わからないような。


『逆に、自我での理解と認識においては、
他者も含めて肉体の外側の世界の本質は、
自分の肉体の内部にあるという感じです。』


これはピンと来ないですけど。
肉体の内部にあるという感じがないので。
あくまで外(現象)は心に依った反映だというのを、実感しやすくなってます。


真我を胸に感じることもないですから...そこが所在という感じがないですから。
ハートが覚醒していない、いま一つなのかもしれません。


とりあえずグルジェフのベルゼブブの話を耳に挟んだんですけど、
アナハタの覚醒(人間第四番)の後に魔境に突入して、第五番で認識(気づき)が結晶化する。

どうもこれはメンタル体と呼ばれているもののチャクラの過程のようですけど。

さらに一歩進むには、思考-感情-肉体(腹)の3センターを道具という認識で使いこなせるようになる必要(超努力)があるのではないかと読んでいます。
思考-感情-肉体と自己同一化しなくなれば、もう努力(手綱)はいらなくなるということでしょうけど。

そして結晶化した認識(気づき)への自我の投射(同一化)が残っています。

言葉にするだけなら簡単ですよね。
でもなかなか勉強熱心でしょう?間違ってるかな?
Posted by 2ちゃんねる at 2014年08月02日 13:21
2ちゃんさん、こんにちは。

>さらに一歩進むには、思考-感情-肉体(腹)の3センターを道具という認識で使いこなせるようになる必要(超努力)があるのではないかと読んでいます。
思考-感情-肉体と自己同一化しなくなれば、もう努力(手綱)はいらなくなるということでしょうけど。


確かにそうかもしれませんが、
私は特に意識して超努力した記憶はありません。

ネオデジタル内観で自然にそれが出来ていたのかも知れません。
Posted by ZERO at 2014年08月05日 21:32
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