2014年07月11日

「清富の思想」と「道徳経済合一説」と「超資本主義」と「自己肯定」

6月29日、ヤタガラスの勅命で、
「飛鳥山の御用」に行ったのだが、
そこにある渋沢資料館に、
私を連れていくことが目的だったそうである。

渋沢栄一という人物の資料館らしいが、
私は初めて聞く名で、どのような人物か全く知らなかった。

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Wikipediaに次のように書かれいる↓

第一国立銀行や東京証券取引所などといった
多種多様な企業の設立・経営に関わり、
日本資本主義の父といわれる。

渋沢は、官僚時代に設立を指導していた第一国立銀行
(第一銀行、第一勧業銀行を経て、現:みずほ銀行)の
頭取に就任し、以後は実業界に身を置いた。

また、第一国立銀行だけでなく、
七十七国立銀行など多くの地方銀行設立を指導した。
第一国立銀行ほか、東京瓦斯、東京海上火災保険、
王子製紙(現王子製紙・日本製紙)、
田園都市(現東京急行電鉄)、秩父セメント(現太平洋セメント)、
帝国ホテル、秩父鉄道、京阪電気鉄道、東京証券取引所、
キリンビール、サッポロビール、東洋紡績など、
多種多様の企業の設立に関わり、その数は500以上といわれている。

渋沢は実業界の中でも最も社会活動に熱心で、
東京市からの要請で養育院の院長を務めたほか、
東京慈恵会、日本赤十字社、癩予防協会の設立などに携わり
財団法人聖路加国際病院初代理事長、
財団法人滝乃川学園初代理事長、
YMCA環太平洋連絡会議の日本側議長などもした。

渋沢栄一は、『論語と算盤』を著し、
「道徳経済合一説」という理念を打ち出した。

幼少期に学んだ『論語』を拠り所に倫理と利益の両立を掲げ、
経済を発展させ、利益を独占するのではなく、
国全体を豊かにする為に、富は全体で共有するものとして
社会に還元することを説くと同時に自身にも心がけた。

『論語と算盤』にはその理念が端的に次のように述べられている。

「富をなす根源は何かと言えば、仁義道徳。
正しい道理の富でなければ、
その富は完全に永続することができぬ」


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ナポレオン・ヒルの成功哲学でも、
以下の黄金律(ゴールデン・ルール)が原点となっている。

「成功とは他人の権利を尊重し、
社会正義に反することなく、
自ら価値ありと認めた目標に従って、
ひとつひとつ実現していく過程である」



こんなことは言うまでもなく、当たり前の話だが、
「皇道経済論と日月神示の金言集とトイレ掃除で金運UPの根拠」
の中で、『日月神示』の「清富になれよ」という一節を紹介した。


「清富」というキーワードで、
船井幸雄の『「清富」の思想』という本を思い出した。

14年くらい前に買って、
まだちゃんと読まずに眠っていた本だが、
少し拾い読みしてみることにした。


すると、たまたま開いたページに、
渋沢栄一のことが書かれていたので、
その一部を転載しておきたいと思う↓

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「金のありがたさ」と「商売道」をうまく天秤にかける

……渋沢栄一がこの体験をキッカケに、
その後長く考えたことは、金に対する考え方である。
渋沢はおよそこう考えた。

金自体や金を儲けることが悪いわけではない。
それが社会で悪いかのように言われる根深い原因は、
武士社会を支えてきた儒教的な道徳観のためだ。

「武士は食わねど高楊枝」という言葉に示されているように、
社会階層で一番上にいる武士は儒教的な教育を受けて、
金というものをテンからバカにしている。
その一方では御用金という形で農民から金をむしり取る。
金をバカにすることが、商人に対する蔑視に繋がっている。

同時に、商人にも重要な責任がある。
「金を儲けさえすればいい」という短絡的な発想がある。
騙さそうが脅そうが、
金を儲ければいいという反道徳的な商いがはびこっている。

たとえば暴利を貪る札差などの金融業者などがその例だ。
だから金を扱い、金を儲ける人間は、
反社会的な人間であるかのように考えられがちなのだ。
渋沢はこうした厳しい精神批判を形成していったのである。

後に三菱財閥の基礎を創った岩崎弥太郎の
独占的なビジネスに批判的立場をとり、
終生対立したのも「合本主義」(株式会社方式)を唱え、
「金の儲け方のルール」をより民主的に、
より公正にしようとした渋沢の生き方と相容れなかったのだ。

政商として明治新政府に巧妙に関わり、
財閥を形成した財界人たちとは、
渋沢は終生対立的に身を処したのだ。

つまり、「商人としての正しい道を示し、
商人の社会的地位を高める」ということが、
渋沢の生涯のテーマとなったのである。



転載終了

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私の家系は士族で、有名な儒学者の血も引いているので、
渋沢栄一が指摘していることがDNAにインプットされていて、
そのようなマインドブロックがあることを自覚しているが、
それは緩やかに解除されつつあることも確かである。


さて、渋沢が説いた「道徳経済合一説」だが、
道徳は国や時代によって変化するものであり、
必ずしも宇宙の法則に合致するものではなく、
それに反することも往々にしてある。


故に、私は「道徳破壊」を掲げているだが、
「反社会的」というレッテルを貼られることもある。

だが、そもそも「社会的」というものの多くは、
「反自然的」でもあるのである。

現代社会は、悪神(体主霊従主義のエネルギー)によって
創造された物質文明だからである。


私は渋沢栄一の思想に共感はするが、やはり、
物質文明を完成させる「日本資本主義の父」である。

資本主義は爆発的に崩壊してきているが、
これも必然的な流れであり、
新たな文明が誕生する予兆である。

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船井幸雄氏は「超資本主義」を提唱しているが、
具体的にどのようなものなのか、
(内容「BOOK」データベースより)↓


「百匹目の猿」とは―宮崎県幸島のメス猿が突然、
サツマイモを洗って食べ始め、これが群れに伝播。
そして、幸島の大多数の猿に広まった頃に、空間を超え、
日本の数カ所で同種の行動をとる猿の存在が確認されたことに由来する。

本書では、ある変化が一定レベルの臨界点に達したとき、
種や社会が空間を超えて突然、かつ、一斉に変化することを意味する。
資本主義が断末魔の苦しみにもがき、崩壊しようとする一方、
さまざまな「百匹目の猿」現象が起こり始めた。
超資本主義への進化が静かに始まろうとしているのだ。



内容(「MARC」データベースより)

ここ10年以上にわたる経済的混乱、地球環境の悪化、
貧富の差の拡大による人々のストレスの増大などは、
超資本主義の時代の始まり-。
経営の世界では20世紀的な資本主義の方法論は
もう通用しないのだ。船井未来学の集大成。



転載終了

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道徳について言えば、『「清富」の思想』に、
福沢諭吉のことも書かれていた。

『日月神示』には「金を拝んでもよいのぢゃ」と書かれているが、
紙幣や硬貨の中でどれか1つを拝むとしたら壱萬圓札に限る(笑)


壱萬圓札といえば福沢諭吉だが、
壱萬圓札を拝むということは諭吉を拝む事にも通じる。

諭吉は幼少の頃に「日本一の金持ちになる」と決め、
その夢は実現しなかったが壱萬圓札のモデルとなり、
見せびらかすだけで人の心を変える魔力を持っている(笑)


その壱萬圓札を拝むなら、どこに祀れば良いのか……。
神棚や仏壇の中でもOKだが、
天井(天)に貼るのが最も良いだろう。

前ブログの「病気にならないための簡単健康法」で紹介したが、
ゆめろんの長谷川先生は次のように教えている↓


「1日10秒でも真上を見ると頚椎と猫背が治り、
電気の流れ(神経伝達)が良くなって健康になる。
ウツの改善にも効果がある。
天井に1万円札を貼ると、
それが気になっていつも見上げるようになる」



ちなみに、1円玉と5円玉と10円玉と50円玉と
100円玉と500円玉を足すと「666」円となる。

去年、ヤタガラスの先導で福沢諭吉の墓参りに行ったが、
諭吉について『「清富」の思想』から一部抜粋する↓

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神棚の御札で尻を拭くのも「大智」の働き


福沢諭吉といえば「実学」の提唱者というのが通例である。
ところで、実学といえば「実践的学問即ち金儲けの学問」
と短絡的に考えられがちである。

しかし、諭吉が学問によって実生活の手段を
確かに持てと勧めているのは金が目的ではなく、
人間的な望ましい生き方を可能にするための
手段に過ぎないという意味である。

少年時代に、
神棚の御札で用便の始末をしたというエピソードがある。
言ってみれば「既成の価値観に挑戦した」という話である。

それだけに、諭吉は旧来の道徳観にはかなり警戒的だった。
書物の中から道徳の項目だけを取り出して教え諭す旧来の道徳観では、
むしろ人間の自由な発想や創造の芽を摘んでしまうということである。

従って、福沢諭吉にとって道徳とは、
古来言われてきた道徳観と必ずしも一致することではなかった。
儒教的な道徳観が徳川幕府を支えてきたということもあって、
道徳ということ自体に新しい価値観を導入したのである。

諭吉の道徳観を支えるのは、合理的な思考力である。
「智」というものの働きによって高い見地からものを考え、
見分けなければならないと警告している。

既成の概念で古い道徳を押しつけ、時代に逆行するようでは、
より人間的な生き方を探ることは不可能というわけだ。
諭吉はそうした知恵を「智」と表現しているが、
そこで合理的な思考が正しい道徳を導き出すのだと説いている。

諭吉は『修身要領』という新時代の道徳律をまとめているが、
その中で「忠孝」という上下関係を強調する道徳を排除している。
「男女同権」など横の人間関係、人間の社会的関係について、
新しい視点を徹底的に追及している。

神棚の御札で尻を拭いたことも、刀に対して議論で対抗したことも、
諭吉のいう「智」の働きであり、合理的な思考力であり、
それが「天は人の上に人を造らず――」という名言を生み、
時代の大転換にあって新しい価値観と道徳観を創造したのである。



転載終了

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金は目的ではなく、道具・手段だということは、
私も徹底して思っていることで、
それを忘れてしまうと本末転倒となる。

また、「智」「論理的思考」「合理的思考」は、
私も重視していることなので必要なことだが、
やはりその根底には5次元認識というか、
宇宙の真理を知覚できる直感力が必要だと思う。


時代の大転換にあって新しい価値観と道徳観……
諭吉の時代もそうだったが、
今は6500年周期、2万4000年周期での大転換期である。

もはや、諭吉が提唱した道徳観も崩壊する運命にある。


また、諭吉は欄学に傾倒していたが、アリオンによると
「蘭学は心をおざなりにした学問」だという。

そのことは以下の記事で紹介している↓

福沢諭吉の墓参り&無学のススメ

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『「清富」の思想』に武者小路実篤のことも触れられ、
近年流行語になっている「自己肯定」について書かれているので、
一部を転載しておきたいと思う↓


……それまでの実篤は、特権階級としての自分、
また性の誘惑にも勝てない自分といったように、
トルストロイを鑑としながらも同時に、
その影に怯えて自己を否定的に見ていたのである。

それが自己を全面的に肯定するようになった。
自然にあるがままの自分を、まずはあるがままに肯定し、
前向きに考えるようになったのである。

「自己肯定」というのは、
極端に言ってしまえば「自分中心主義」である。
しかし、実篤のいう自己の全面的肯定というのは、
利己主義とは根本的に異なっている。

自分の利益だけを考える利己主義と、
実篤の「自己肯定」とは全く別物である。
実篤のいう「自己」の中には同時に「人類」、
そして人類を互いに結び付ける「愛」が含まれている。

自分の力を蓄え、自分を徹底的に信じて行為することは、
人類への貢献に繋がらなければならないという考え方だ。
そこに道徳への絶えざる緊張が要求されるのである。

実篤の文学が大正デモクラシーの社会的流れの中で、
人道主義の代表のように評されたのも、
個の自覚から出発しながら人類的使命を担うという考えが、
とりわけ積極的に打ち出されていたからである。

そのへんのことを、実篤自身はこう述べている。

「自分は人類的な所のまるでない、
即ち愛のまるでない人は愛することはできない」

また、少々諧謔的なニュアンスを込めてこうも書いている。

「仮面を取れば俺はエゴイスト。
だがもっと深く入れば、俺は人類に根を差し込んでいる」



転載終了

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ありがとう仙人がいう「究極の自己中心主義」や、
私がいう「スーパーエゴイズム」
内海康満氏が説く「真の自分本位」と通底するものである。

その根底に「自己肯定」があるのだが、
私はそれを「スーパーナルシシズム」と呼んでいる。


自分のすべてを愛さなければ、
自分の投影である他者を愛することはできない。

その為には「自己否定」という通過儀礼は必要だが、
内観というメソッドが必要となってくる。


実際には内観は、否定も肯定もせずに、
客観的にありのままの自分を観察することだが、
普通は自己嫌悪に陥るような苦痛が伴うものである。

それと同時に、鏡を使って、ありのままの自分を認め、
受け入れて愛する「全肯定メソッド」も行なうと良い。


以下の記事を参照して頂きたい↓

自己肯定と自己実現

愛してるよ!


この記事のカテゴリーは「ビジネス・経済哲学」だが、
(今の私は例外中の例外として)
自分を愛するスーパーナルシスト・スーパーエゴイストが、
自己実現を果たして物心ともに豊かで幸福な人生が送れるのである。



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posted by ZERO at 07:49| Comment(0) | ビジネス・経済哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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