2014年07月07日

神社巡りの恐怖とモーセに預言を与えた唯一神「アトン」の正体と多信仰の弊害と多神教のススメ!

「何神様とハッキリ目標つけて拝めよ。
只ぼんやり神様と云っただけではならん。
大神は一柱であるが、あらわれの神は無限であるぞ。
根本の、太ヒツキ大神さまと念じ、
その時その所に応じて、特に何々の神様とお願ひ申せよ」


皇道経済論と日月神示の金言集とトイレ掃除で金運UPの根拠
の中で紹介した『日月神示』の一節だが、
神霊能力者の隈本確氏は次のように述べている↓


多信仰の弊害――
多くの神々を祀ると精神の混乱状態を引き起こす


多信仰というのは文字通り多くの神々を信仰すること、
すなわち何体もの神を祀ったり、
あちこちの神社や寺院を拝みまわることをいう。

世間には、神棚に何体もの神を祀っている人がいる。


しかし、実際にはそれらの神々に魂が
鎮まっていないことがほとんどなので弊害も少ないのだが、
もし、それらの神々に魂が鎮まっていたら大変なことになる。

おそらく、精神分裂症になってしまうはずである。


ちょうど、一人の女性にご主人が三人も五人もいるのと同じで、
それぞれのご主人を理解し、心を合わせるので、
それこそ大変なことになってしまうだろう。

特に守護神をもちながら他の神々に心を移すとなると、
守護神もそれを非常に嫌われるのである。


転載終了

shrine1.jpg


随分と昔の話だが、隈本確は神霊治療後、
依頼人の全先祖霊中、最も霊格の高い霊を招霊して力を与え、
依頼人の守護神としての役目を果たすように命じ、
依頼人にはそれを守護神として信奉するように指導していた。

隈本氏の神霊治療を受けて守護神を出してもらった後、
しばらくして再び塗炭の苦しみを味わって、
隈本氏に助けを求めてくる人が少なからずいたそうだ。


なぜ、そのようなことが起こったのか……
その実例集を転載すると長くなるので、
私の言葉でまとめて簡単に紹介しておきたい。

昔、隈本氏がまだ日本神霊学研究会を発足する前、
事務所に突然、1人の女性が飛び込んできたという。


その女性は40年以上も腸の病気で苦しんでいて、
過去に7回も切っているとのことだった。

その日は朝から特に痛みが酷くて病院に行き、
待合室で週刊誌に載っていた隈本氏の神霊治療の記事を見て、
そのまま病院から飛び出して汽車でやってきたという。


腸を7回も切っているからほとんど腸がなく、
前向きにかがむと口から大便が出てくるという。

そこで早速浄霊をして、
その女性の守護神として権現大神を出すと、
10分足らずで胸や腹部の腫れが引いて、
「腸が気持ちよくなりました」といって、
おいおいと泣き始めて10分も20分も止まらなかったという。


「いつまでも泣いていないで、うつぶせになってごらん」

「それは無理です。この事務所を汚してしまっては……」

「かまわないから、早く!」

隈本氏が強く言うと、女性は恐る恐るうつぶせになり、
30分間、その格好のままで最後まで汚物で床を汚すことなく、
びっくりして帰っていったという。


ところが、それから1ヶ月ほど経ったある日、
その女性から電話が掛かってきて、
「先生、また痛みが出ました……」

隈本氏が遠隔パワーを送って3分程経ち、
「お陰さまでお腹も胸も温かくなって、
この前のようにスカーッとなりました」


それから1ヶ月ほどして、その女性がお詫びに来たという。

話を聞くと、その女性は隈本氏の所に来る前に、
ある有名な神社に数年来、願掛けをしていたという。


ところが、隈本氏の所に1回行っただけで治ってしまい、
そのことが嬉しくてたまらず、
何年も願掛けしていた神様にもお礼参りに行かなければ、
と思って、その神社に行った晩に痛みが再発したという。


「どうしてあなたは、そんないたらんことをしたのですか。
ちゃんと守護神に権化大神を出したのに、
よその神に心を惹かれると、守護神も手を引かれるんですよ。
そこでまたいろいろな霊を受けて、
もと悪かった箇所に痛みを覚えるようになったのです。
今後は権現大神一本やりでいってください」


「はい、本当に……。先生に治療して頂いてからというもの、
40年来の痛みを忘れてどんどん仕事ができたものですから、
権現大神、権現大神で過ごしてはいたのですが、
やはりお願いしていたからには願ほどきをしなきゃいけない、
と思いまして……。人間の浅知恵だったんですね」

photo_kansha.jpg


だが、これと全く逆の話もある。

私の母親の師だった行者の知り合いが、
何かの病気に患って、その行者が霊視すると、
どこかの山の神社に願掛けをして、
願ほどきをしていないことが原因だったそうである。

願いは叶えてくれても、それは悪霊・祟り神で、
神社だからといって高級霊が鎮まっているとは限らず、
また、あちこちの神社で祈願することの怖さがわかるだろう。


天翠氏も、神社に行くと思凝エネルギーが付着して、
魂が汚れてカルマになるから行くなと説いていたが、
天翠氏や私が神社巡りをしていたのは
神開き(神社の浄化)の為である。

付き合いや行事などで神社に行く時は何も願ったりせずに、
心の中でホ・オポノポノでも唱えておくと良いだろう。

CA337040-43697-thumbnail2-03b65-thumbnail2-b4eda-thumbnail2.jpg


もう1つ、多信仰の弊害についての話を、
私の言葉でまとめて紹介しておきたい。


ある日、隈本氏の知人のM氏が、
腰と足がどうにも痛くてたまらないといって、
顔を歪めてやってきたという。

M氏には以前、守護神として不動尊を出していたそうだが、
どうしてこんなことになったのだろうと思って、
M氏の守護神である不動尊を招霊すると、
大変な怒りを燃やしている様子だったという。


そこで隈本氏が「なぜ、お前はそのように怒っているのか」
と尋ねると、次のような想いの言葉が返ってきたという。

「この凡夫は、余、不動尊以外に多くの神を祀っている。
余、不動尊以外に何の為に多くの神を参らねばならぬのか」


そこで隈本氏がM氏に聞いてみると、

「すみません、前からの信仰の付き合いで、
断り切れずに伏見稲荷に団体旅行をしてきました。
長年の付き合いだったものですから……。
あ、その晩からですよ、痛み出したのは」

「Mさん、あなたの守護神を私が受けて
言葉に出しますから、よく聞いて下さい」


そして隈本氏は、M氏の守護神の不動尊の霊言で、
大きな声で怒鳴り始めた。

「余は不動尊である。余という守護神がありながら、
なんでそなたはよそ神に参らねばならぬのか。
余は常にそなたを守ることに全力を上げているではないか。
余という守護神がありながら、そなたが他の神にすがり、
信仰するなら、余は今後、守護神としての責任を解除する」


これを聞いたM氏はすっかり恐れ入って、
守護神に対して一心にお詫びの祈りを捧げると、
5分ほどで痛みが治って軽くなったという。

嫉妬、怒り、祟り…………。
誰がどう考えても、この守護神は悪霊・祟り神である。

Screen-shot-2013-02-14-at-9_50_43-AM.png


隈本氏は優れた霊能者で、私も尊敬しているが、
隈本氏の「守護神」の定義は明らかに間違っている。

というのも、これは隈本氏が若かりし頃の、
まだ霊格(意識レベル)が高くなかった時代の話である。


王仁三郎は次のように述べている。

「自分の天賦の霊魂以外に
他の神がかかって守護するということはない」



それが本当の守護神(ハイヤーセルフ)であって、
隈本氏がいう守護神は守護霊(霊格の高い先祖霊)のことなのだ。

隈本氏の大霊界シリーズに精通している人にしか理解できないが、
隈本氏は「魂の親さん」という言葉をよく使っている。


この「魂の親」こそがハイヤーセルフなのだが、
隈本氏はそれを「自分の魂」と混同していた。

私もハイヤーセルフとコンタクトをとっていた頃、
自分の魂と対話していると思っていたが、
魂が覚醒してきてから、そうではなかったことが分かった。


隈本氏も魂の覚醒が起きた人物だが、
自分に起きた現象が理解できずに大きな勘違いをしている。

この話は前にも書いたが、
殆どの読者には意味不明だと思うのでこの辺にしておくが、
隈本氏がいう「多信仰の弊害」は確かにあるだろう。


だが、それは「高次の守護神の戒め」などではなく、
「低級な守護霊の妬みと怒りと祟り」に過ぎない。

私から言えば、「悪霊の憑依」と同じ次元の話である。

coaching.jpg


『旧約聖書』には次のように記されている。

「あなたは他の神を拝んではならない。
主はその名を”ねたみ”と言って、ねたむ神だからである」



これは「アトン」としてのヤハウェのことだが、
このアトンは妬むだけではなく怒る神でもある。

更に、「十戒」という戒律を与え、罰を与える神である。


この唯一神「アトン」は神などではなく、
明らかに幽界霊・悪霊とも呼べる存在である。

アトン(盤古大神)が悪神の総大将なのだから当然である。


アトンの起源は古代エジプトの原初の太陽神「アトゥム」だが、
盤古大神(アトン)がヤマタノオロチに憑依された……、
と『霊界物語』が示している通りである。


だが、世の元の国常立尊が出口ナオに憑ったのではないように、
その国常立尊の暗黒面である盤古大神(アトン)が
アトン一神教祖のアクエンアテンに憑ったわけではないのである。


アクエンアテンは預言者ではなかったが、それは、
アクエンアテンに憑って媒介する霊統の霊がいなかったからだ。

それは言うまでもなく、
アクエンアテンがアトン信仰を打ち出したばかりだったからで、
アクエンアテンはアトンのエネルギーに感応していただけなのだ。


ここで重要なことは、
アトンを崇拝することが許されたのはアクエンアテンだけであり、
民はアクエンアテンを「神」として崇拝しなければならなかった。

アマルナ改革という宗教革命を起こし、
自らが唯一の神になろうとした男……
古代エジプト第18王朝のファラオ「アクエンアテン」。

3bf6faec092dbc5aa5a581b186676dc8.jpg


だが、アトン信仰はアクエンアテンの一代で終わり、
アクエンアテンの息子のツタンカーメン王が、
アメン信仰を復活させたが18歳で死亡した。

そして、第19王朝のラムセス2世の時代に
モーセがイスラエル民族を率いてエジプトを脱出し、
そのモーセがアトン信仰を継承していたのである。


モーセは本来はアメン(バアル)信仰だったが、
アトン信仰にも影響されるようになっていた。

というより、モーセはバアルの預言者だったが、
アトンからも預言を受けるようになったのである。


そうして、ユダヤ教が成立していったのだが、
アトン信仰を打ち立てたアクエンアテンさえ、
アトンの預言者ではなかった。

それはさっきも書いた通り、
アトンとアクエンアテンを媒介する霊的存在がなかったからだ。


では、モーセに預言を与えたアトン、正確にいえば、
アトンとモーセを媒介した霊的存在の正体は何者か……。

「神」とは名乗るものの、自らを唯一神として崇めさせ、
妬み、怒り、戒律を与えて罰し…………、
神というよりも、非常に人間くさい幽界霊にしか思えない。


そして、アクエンアテンのアトン信仰を受け継いだ
イスラエル2支族(ユダヤ人)を「神の選民」として、
ユダヤ人の民族神となった「アトン」という神……。

厳密には、アトンとモーセを媒介した幽界霊だが、
その正体こそがアクエンアテンの霊ではないだろうか!


尚、この悪神アトン(盤古大神系)と、
それに支配されて動いている「闇の権力」の役割について、
最近の記事「イルミナティの黙示録と大和魂」と、
「正神と悪神の共同作業で創造される六六六の世」に書いたが、

一言で表現すれば、「善悪逆転」からの「善悪統合」である。


前ブログの記事も併せて読んで、ミロクの世を建設する
太神の経綸について理解を深めて頂ければ幸いである↓

「【善悪統合論】太陽神アトンの改神とアメンとの融合」


240px-Pharaoh_Akhenaten.jpg


隈本確の話の続きを少し載せておきたい↓


「いわゆる信仰家といわれる人の中には、
あちこちの神社、仏閣を拝みまわり、
他人の墓まで拝んでいるような人もいる。

神社仏閣といえば、
何か偉い神様が宿っているように思って、
すぐに祈願するような人もいるが、
いずれも見当はずれのことであるばかりか、
場合によっては大変危険なことである。

神社だからと思って、一生懸命拝んでいたところが、
その地に鎮まる執念霊に取り憑かれることにもなりかねない。

逆に、明治以降に建てられた壮大な神社仏閣には
霊が鎮まっていないことが多い。

すなわち、空っぽの神社仏閣だという場合が多いのだが、
こちらのほうは被害が軽くてすむ。

山の山頂の小さな祠、石碑、墓などには、
本当に霊が鎮まっていることが多いので、
決してやたらに拝んだりしないことである。

石碑があるから、墓があるから、
きっと立派な神霊がいらっしゃるのだろう、
だからよく拝んでご加護をいただこう――、
こういう考えは即刻改めていただきたい。

古い時代につくられた深い森や山の中の石碑や墓は、
むごたらしい死に方をした人がバチを当てないように、
とゴマをすっての生者側からの都合のよい理由によって
つくられたものがほとんどだからである。

したがって、霊感の強い人がこのような場所を通ると
ご加護がいただけるどころか、憑依現象によって寒気がしたり、
熱が出たり、吐き気がしたり、頭が痛くなるということが起こる。



転載終了

img_north_sinbutsu.jpg


もちろん、意識レベルが高い者が、
森や山の石碑や墓を蹴ったり唾を吐いたりしても、
波長が合わないので呪いも祟りも受けることはない。

だが、意識レベルが高ければ、
そのようなことはしないだろう(笑)

その霊を浄化(救済)することを条件に、
パフォーマンスとしてすることは有り得るが……。


神々を信仰することで守護霊の嫉妬の怒りの念を受けたり、
神社仏閣で「神仏」として居座る幽界霊の憑依を受けたり、
そのようなことは実際に起こり得ることで、
それが隈本氏が警告する「多信仰の弊害」である。


ある時、隈本氏の魂の親が天命界入りしたという。
これは、ハイヤーセルフが5次元に帰還したことを意味する。

正確に言えば、ハイヤーセルフはもともと5次元の存在だが、
隈本氏の魂が覚醒したからハイヤーセルフが役目を終えたのだ。


つまり、隈本氏の魂は5次元の意識に目覚めたということだが、
その時から依頼人の守護神を出すことをしなくなるようになり、
隈本氏の魂を「守護神」として祈るように指導されるようになった。

そして、隈本氏は宗教法人を設立し、隈本確の魂が本尊とされた。
まるでカルトだが、隈本氏の言いたいことも理解はできる。


隈本氏の言葉で、5次元の霊を「超神霊」というが、
普通の人間は超神霊に祈っても波長が合わない。

しかし、隈本確という人間を媒体として、
超神霊である隈本確の魂からエネルギーを引くことができる。

kjhgoij-597e6.jpg


だが、隈本氏は勘違いによって大きな間違いをしている。
魂の親(ハイヤーセルフ)と自分の魂を混同していることだ。

誰のハイヤーセルフも全て5次元の超神霊であり、
魂が目覚めていない人間であっても例外ではなく、
深い祈りによってハイヤーセルフと繋がるのだ。


また、隈本氏の魂を信仰対象とするのなら、
今まで隈本氏に守護神を出してもらった人たちは、
一体どうなるのか……。

それこそ、その人たちの守護神からすると、
よそ神に心を惹かれた多信仰ということになるが、
人々の守護神(実際には守護霊)は超神霊ではないので、
超神霊である隈本氏の魂からエネルギーを引くことで、
その人たちの守護神もその恩恵にあやかれるという理屈である。


また、隈本氏に守護神を出してもらった人の守護神も、
隈本氏に力を与えてもらって畏敬の念を持っている為、
守護神共々に隈本氏の魂を信仰しているといえる。

その理論はよく分かるのだが、
それは魂の親たる「ハイヤーセルフ」のことを
全く理解していないことによる大きな間違いだといえる。


隈本氏はこう言っている。
「霊能者は自分の霊能力に応じた守護神しか出せない」

依頼人の全先祖霊中、最も霊格の高い霊を選定し、
依頼人の守護神として出していたとのことだが、
当時の隈本氏の霊格はまだ5次元には達していなかった。


つまり、隈本氏が認識できる最高の霊格の霊というのは、
4次元の天国(フォーカス27)までの存在だったのだ。

だが、本来、誰にでも5次元の魂の親(ハイヤーセルフ)
が、守護神としてついているのである。

Screen-shot-2013-02-14-at-9_50_43-AM.png


また、隈本氏の会では、天地創造の神を筆頭に、
初代守護神、そして二代目守護神として隈本氏の魂(の親)、
さらに、地下神界の大地王本尊大神も祀られている。

これは多信仰ではないのだろうか……(笑)

あくまでも「超神霊」だから、妬んで怒ることもなく、
信仰を辞めたからといって罰を当てることもないという。


また、太陽や月や地球も生命体(超神霊)であり、
人間はその恩恵によって生かされていると説いているが、
太陽や月や地球に感謝の祈りを捧げることも多信仰である。

それによって守護神に妬まれて怒りを買い、
祟られることなどということがあるだろうか。


要するに、「多信仰の弊害」というのは低い次元の話で、
それらは4次元の霊を対象とした信仰であり、天翠氏も、
「人類が神仏と呼んできたのは幽界霊である」と語っている。

originalhggj-16d06.jpg


世界中の宗教を包含する日本の神道は多神教であり、
万物に神や宿っているというアニミズム(汎神論)でもある。

生長の家の神示に「天地万物に感謝せよ」とあるが、
これは八百万の神に感謝せよというのと同じ意味である。


そもそも、究極の唯一神は別として、
基本的に神々は三位一体として存在し、
その三位一体の構成で無限の神々が存在し、
それと共に人間は生きていることを知らなければならない。


それでは、多神教に帰依することの大切さについて、
『日月神示』の中から抜粋してみたいと思う↓


「太ひつきくに大神としてのこの神は一柱であるが、
働きはいくらでもあるぞ。
その働きの名がもろもろの神様の名ぢゃ。無限であるぞ。
このほう一柱であるが無限柱ぞ。総てが神であるぞ。
一神ぢゃ。多神ぢゃ。汎神ぢゃ。総てが神ぢゃ。喜びぢゃ」


「一神説いて多神説かんのも片輪、
多神説いて一神説かんのも片輪、
一神則多神則汎神である事実を説いてきかせよ」


「天の日津久の神と申しても一柱ではないのざぞ、
臣民のお役所のようなものと心得よ」


雨の神、風の神、地震の神、岩の神、荒の神様にお祈りすれば、
この世の地震、荒れ、逃らせて下さるぞ、
皆の者に知らしてやりて下されよ」


「釈迦祀れ。キリスト祀れ。マホメット祀れ。まだまだ祀る神様ある」


「釈迦、キリスト、マホメット其の他、
世界の生命ある教祖及びその指導神を、
み光の大神様とたたえまつれと申してあろが」


「他の神を拝してはならんという、
そなたの信仰はそれだけのもの、早う卒業結構」


「宇宙の総てはこの神の現われであり、一面であるから、
その何処つかんで拝んでもよいのであるぞ」


「同じ部屋に他の神や仏を祀ってはならんと申す
一方的なメクラ宗教には盲が集まるのじゃ。
病気が治ったり運がひらけたり、
奇跡が起ったりするのみをおかげと思ってはならん。
もちと大き心、深い愛と真の世界を拝めよ。
とけ入れよ。浄化が第一。
金が好きなら金を 拝んでもよいのぢゃ。
区別と順序さへ心得て居れば何様を拝んでもよいぞ」


d0065502_1036759.jpg


だが、「仏壇・神棚の断捨離と石祀りのススメ!」で書いた通り、
やはり、神棚と仏壇は分けて2つ置くのは面倒なだけであり、
神棚や仏壇の中に沢山の位牌や御札を祀るのも煩雑になるので、

『日月神示』のいうとおり、富士の石、富士から流れ出る川の石、
それが無理なら近くの山か川か、氏神社の石を拾ってくればよい。


仏壇や神棚がある人は、その中に石を祀れば良いだろう。

ちなみに、どうしても富士の石をご希望の方には、
私が所有する残り少ない富士の石を1万円でお譲りする(笑)



にほんブログ村
posted by ZERO at 12:20| Comment(0) | ミステリー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。