2014年07月03日

仏壇・神棚の断捨離と石祀りのススメ!

前回の記事で神棚の話が出たので書いておくが、
神棚も仏壇もないという人もいると思う。

それはそれで構わないと思う。

「臣民の家に祀るのは石だけでよいぞ」
(日月神示)


神棚と仏壇を置いている人もいるが、
どちらか1つでいいと私は思う。

2つもあると心が定まらなくなり、
精神的にもあまり良い影響はないと思われる。


どちらかを断捨離するのが理想だが、
仏壇には位牌があるので、神棚を断捨離した方がいいだろう。

神棚には神様、仏壇には仏様と先祖が宿っているので、
それぞれ別に必要だと考えている人もいると思う。


だが、神と仏は同じもので、仏教では神を仏と呼ぶのである。

厳密にはちょっと違っていたりもする場合があるが、
基本的には同じものである。

img_north_sinbutsu.jpg


『日月神示』には次のように示されている。

「今までは神も仏も同じぞと申していたが
神と仏とは違うのだぞ。
十(かみ)の動くが卍(ほとけ)ぞ。
卍の動くが@(かみ)ぞ。
@の澄みきりが⦿(おおかみ)ぞ。
神と仏と臣民とは違うのじゃぞ」



この神示の言わんとしていることは分かるし、
神や仏の定義の仕方によっても変わってくる。

だが、基本的には同じものであり、
神仏習合という思想及び宗教現象も生まれたほどだ。

例えば、大日如来は天照大神ということになるが、
ヒンドゥー教の神々をルーツとする仏も多く、
その他、例を挙げればキリがない。


言うまでもなく、釈迦は仏になった人物だが、
『日月神示』には次のように示されている。

「釈迦もキリストも立派な神で御座るなれど、
今の仏教やキリスト教は偽の仏教やキリスト教ざぞ」



釈迦を神と呼ぶなら、仏と神は同じでいいと思う。

神道では、人が死ぬと「神」になるという思想があるが、
警察用語では、人間の死体を「仏」という(笑)

07T-T07.jpg


また、神の分魂である真我を「神性」といい、
「誰もが神性を宿している」という表現をしたりするが、
それを仏教では「仏性」と呼んでいる。


間違っていたらいけないので、Wikipediaで一応調べてみた↓

「仏性とは、仏の性質・本性のことで、
主に『涅槃経』で説かれる大乗仏教独特の教理である。
仏教では、この仏性を開発し自由自在に発揮することで、
煩悩が残された状態であっても全ての苦しみに煩わされることなく、
他の衆生の苦しみも救っていける境涯を開くことができるとされる。
この仏性が顕現し有効に活用されている状態を成仏と呼び、
仏法修行の究極の目的とされている」



煩悩を滅却すると輪廻を解脱し、
仏性である魂(真我)が目覚めるのだが、
私は完璧に全ての煩悩は滅却できていない。

この世に生きている限りは、
煩悩を完全に滅却し尽くすことは不可能である。


Wikipediaにも書かれていた通り、
仏性を開発して発揮することにより、
煩悩が残された状態であっても、
全ての苦しみに煩わされることがなくなるのだ。

このことは少し前の記事に書いたことと同じだが、
真我に目覚めたからといって苦がなくなるわけではない。


だが、それに囚われたり煩わされることもなく、
解決しようと思うこともなく、ただ観ているのである。

もちろん、内観で苦の原因を理解して、
ホ・オポノポノで浄化はするが、
思考に基づいて行動することは殆どなくなるものだ。

Ball.jpg


仏壇には仏と先祖が祀られているが、
換言すれば、神と先祖が祀られている。

そして、仏教では人は死後、仏に成る(成仏する)が、
神道では、人は死後、神になるという点でも同じである。


また、神道の基本は祖霊崇拝であり、
神社の祭神の多くは天皇家にまつわる祖霊である。

その神社のミニチュア版が神棚であることを思えば、
神棚と仏壇を分けて設置する必要は全くないと言える。


私は実家の仏壇も断捨離するように母親に指示したが、
無神論で無信仰の父親がそれに反対した。

別にあってもなくても良いが、
現在、神棚も仏壇もない人は石を祀るだけで良い。


日月神示は神道系なので、
神棚を持とうと考えている人も少なくなく、
中矢伸一氏が監修の神棚の購入の相談者が、
過去に2人ほどいたが、買わないことを勧めた(笑)

中矢氏の商売の邪魔をするつもりはないが、
『日月神示』に「祀るのは石だけでよい」と書かれている。


また、「仏壇の前で祝詞を上げても良いのか」
というような質問が最近何件があったが、
神棚に向かってお経を上げようが、
仏壇に向かって祝詞を上げようが全く関係ない。

仏壇と神棚は、あくまでも形式が違うだけである。

a2_kamidana.gif


さっきの神棚の話に戻るが、
神社が創られるようになったのは、
秦氏(ユダヤ人原始キリスト教徒)が日本に渡来してからである。

『日月神示』はもっと古い時代、縄文時代の、
「かんながらの道」を説いているのであって、
その当時は「岩」を祀っていたのである。


それ故に、「家には祀るのは石だけでよい」と、
『日月神示』には示されているのである。

古代より、石や岩は神の依り代して祀られてきた。


だからといって、道端で拾った石ではいけない。

「富士から流れ出た川には、
それぞれ名前が付いている石置いてあるから、
縁ある人は1人ずつひろって来いよ、
お山まで行けぬ人は、その川でひろって来い、
ミタマ入れて守り石といたしてやるぞ」

(日月神示)


私は富士山の石を祀っているが、
そこまで行けないという人が殆どだろう。


「富士とは神の山のことぞ。神の山はみな富士というのぞ」
(日月神示)


全国に「富士」の名が付く山が322ヶ所あるそうなので、
そこで拾った石や、その山から流れ出た川の石を拾うと良い。

original.jpg


だが、富士が付く山が近郊にないという人もいることだろう。
その場合は、氏神の神社の石を拾って来るとよい。


「祀るときは、まず鎮守様、よくお願いしてから祀れよ、
鎮守様はご苦労な神様ぞ、忘れてはならんぞ」

(日月神示)


鎮守神はその土地に住む神で、氏神とほぼ同義語であり、
とりあえずは氏神の神社にある石でよいということになる。

鏡の前にその石を置いて礼拝するのが最も理想だが、
最後にもう1つ重要なことを書いておく。


この記事の本題でもあるのだが、
トイレと顔と鏡を磨くのも大切だが、
神仏や先祖が宿る(中継センターである)神棚や仏壇を、
磨き倒すことも大切なことである。

毎日徹底的に磨き倒すのは大変だろうから、
週に一度は簡単に清掃して、
月に一度は徹底的に磨きあげることをお勧めする。


そう考えると、仏壇や神棚はない方がいいし、
あるならあるで、シンプルなものに買い替えるのが良いと思う。

仏壇や神棚はあくまでも物質的・人間的な形式だが、
実際に神や先祖と繋がる中継センター(胸)の投影でもある。


従って、ホコリの溜まった仏壇や神棚でお経や祝詞を上げるよりも、
仏壇や神棚を清掃することの方が大切ということになる。

この理論は理解しがたいかも知れないが、
礼拝の気持ちがあるのであれば、まず、仏壇や神棚を
キレイにすることこそが大切だということである。



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posted by ZERO at 23:35| Comment(2) | X(カイ)の御用 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
おはようございます(^O^)/

仏壇安置してございます。

昔はタンスの上に置いていたんですが、引っ越してから仏壇用か?と思うスペースがクローゼットにあったのでそこに収納しています。

その仏壇は昔亡くなった父のお姉さんの位牌を入れるために買った訳ですが、今年の春に私も知らなかったその長年続いた醜い兄弟争いやら怨恨が勃発し、大変でした(;´Д`A

私は死んだら宇宙に撒き散らかしてもらってお星様になりたいです(笑)

昔、道端の石を拾うのはよくない、霊が憑いているから…という話をききました。

石にも波動があり、石と水は同じものであり、石の配置によって波動もまた色々決まってくる…

と、最近『アマテラス』(マンガ)で読みました(^◇^;)

パワーストーン全然お手入れしてませんw ヽ(;▽;)ノ 濁りまくり〜
Posted by 隠れ読者(先生じゃありま千円) at 2014年07月04日 08:24
隠れ千円(先生じゃありま仙人)さん、こんにちは。


>道端の石を拾うのはよくない、霊が憑いているから

これは迷信ですね。

霊はどこにでもウヨウヨいるので、
波長が合えば憑依されます。

もし、霊が憑いている石を持って帰ってきても、
波長が合わなければ何の影響もありません。

そもそも、波長が合わなければ、
そんな石は持って帰らないと思いますけど。

パワーストーンはお手入れしてあげて下さい^^
Posted by ZERO at 2014年07月06日 03:04
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