2014年07月03日

天照大神からの緊急メッセージ!

久々に「X(カイ)の御用」の記事だが、
前回の話はさて置き、
岩戸から出てきた天照大神はこう言った。


「この鏡は専ら我が御魂として吾が前を拝む如くに斎き奉れ」


これが「天照大神からのメッセージ」である(笑)


つまり、

「鏡に映った自分の姿を天照大神だと思って崇めなさい」

ということである。


故に、神社の御神体は鏡なのだが、
鏡を拝むのではなく、鏡に映った自分の姿を拝むのである。

厳密に言えば、自分の顔を通して自らの魂を拝むのだ。

従って、どこの神社に行っても、
主祭神の本質は自分の魂ということになる。

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私は仏壇や神棚などは持っていないが、
自宅で祝詞をあげたり礼拝をする時は、
鏡に向かって行なっている。

実家には仏壇があるので、
私の母親は仏壇の前で祝詞をあげて礼拝しているが、
100円ショップの折り畳み式の鏡を仏壇の中央に置き、
その鏡を見ながら祝詞を奏上するようにさせていた。


「総てに神の息、通ふているぞ。
一本の箸 拝んでもよいのぢゃが、
ちゃんとめあて、よいめあて、きめねばならん」



ということで、私も昔、自分なりに祭壇を作っていたが、
2010年にハイヤーセルフから祭壇解体命令が出された。

それによって物質的な礼拝対象がなくなったのだが、
それから間もなく、真我の覚醒に至ったのだった。


その後、『日月神示』の次の言葉が目に入って、
私に祭壇解体命令が出された意味を理解した。

「そなた達は神を祀るにも、
祖先祀るにも物質のめあて作るであろうがな。
それはまだまだ未熟な事ぞ」

「高い心境に入ったら、神を拝む形式はなくともよいぞ。
為すこと、心に浮ぶこと、それ自体が礼拝となるからぞ」



つまり、六六六神宮には祭壇も神棚もないのだが、
下画のような本を見ると、神棚が欲しくなってしまう(笑)

top.jpg


話を戻すが、人間の魂は神の分魂だが、
神といっても八百万の神が存在し、
人それぞれ異なる神の分魂が与えられている。


私の場合だったら、「青森白木上」というミタマ名らしい。

当然、私のハイヤーセルフも青森白木上なので、
毎日の礼拝で青森白木上大神様に祈って(意乗って)いる。

もちろん、礼拝の時だけではなく日常的に、
波長を合わせる(意乗っている)生き方をしている。


だが、裏神道の奥義においては、八百万の神は全て、
天照大神の一柱に集約されるのである。

つまり、多神教であると同時に一神教なのだ。


一神教といっても、ユダヤ教やキリスト教のように、
異教の神を悪魔として扱い、
1つの選ばれた神を唯一神とするものではなく、
いわゆる「ワンネス」という意味である。

その意味で、人は誰もが「天照大神」の
分魂を持っているということになる。

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イエス・キリストと対比された黒住教祖も、
「人はみな天照大神の分魂を頂いている」と説き、
日拝(太陽瞑想)の大切さを教えた。


イエスも「わたしは世の光である」と、
自らを太陽神として宣言した上で、

「わたしは汝の手や足よりも近くにいる」

「わたしは汝の心の扉をノックしている者である」


と説いている。


つまり、イエスがいう「わたし」というのは、
個人的な人間のイエスのことではなく、
1人1人の心の中に内在する魂(真我)のことなのだ。

その投影が「太陽」なのである。


3次元認識では、皆が同じ太陽を見ているように思えるが、
実際には誰1人として同じ太陽を見ておらず、
自分の魂の投影として自分の太陽を見ているのである。

手や足よりも近い心の扉とは、
心臓であると同時にハートチャクラである。


それが「天の岩戸」で、開くことが岩戸開きであり、
真の意味での「天照大神の再臨」、すなわち魂の覚醒なのだ。


「天からとは心からのことぢゃ」(日月神示)

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「自霊拝」は、鏡に映る自分の顔の
目や表情を観察することで内面と向き合い、
カガミから「ガ(我)」を取って、
魂をカミにする内観法である。

それと共に、鏡に映った自分の姿は潜在意識である。


もちろん、鏡像そのものが潜在意識ではないが、
鏡に映った自分の姿に話し掛けることは、
潜在意識にダイレクトに影響を与える力がある。

その意味で、鏡に映った自分の姿を「潜在意識」だと思えばいいのだ。


従って、鏡に映った自分を見つめ、
笑顔でポジティブな言葉で語りかけることは、
自己変革に大きな効果を発揮することになる。


「表情や想いを含めたコトバが人生に大きく作用する」

という話を度々紹介しているが、
鏡を使えばより一層効果的だということである。


これもハイパーネオデジタル内観の1メソッドだが、
最近も同じような話を紹介した↓

愛してるよ!

門外不出の秘訣

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で、ここからがメインテーマだが、
何が緊急メッセージかと言うと、
御神体は鏡そのものではなく、鏡に映った自分でもなく、
自分自身の心の扉から通じる魂だが、
それを映し出すのが「鏡」という神器である。

従って、その鏡を磨き倒すことが重要となる。


汚れた鏡に映った自分の顔も汚れた顔であり、
それは汚れた魂の顕れでもあるということになる。

以前、トイレ掃除の内観効果や、
顔を磨くことの大切さについて書いたが、
鏡を磨くということも非常に重要なことなのである。


これが、私が天照大神から受信したインスピレーションである。

正確には、天照大神ではなく「天照皇大神」だが、
これには色々とシンクロがあるので、改めて記事にしたいと思う。



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posted by ZERO at 12:49| Comment(2) | X(カイ)の御用 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
鏡に映して小我を観察して、そして真我として拝むのは天照<皇>太神ではないかと考えております。
正確には尊。
Posted by 凡人 at 2014年07月04日 08:20
凡人さん、こんにちは。

もしかしてお久しぶりですか?

もちろん、「天照<皇>太神」の解釈でもOKです^^
Posted by ZERO at 2014年07月06日 02:59
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