2014年06月28日

死の恐怖の克服

他界した家族・生きている家族の供養
の前提に関する話を少し掘り下げたいが、
人間は生まれた瞬間から死に向かって生きていて、
人間の最大の恐怖もまた「死」であるが、
死を忌まわしいものとして目を背け、
潜在意識の奥底に封印していることは問題である。


死というものを直視して、死後の世界を考え、
死から生を観る内観も大切なことである。


死後の世界は頭で考えれば分かる!でも書いたが、
日常内観をして日々、自分がどのような想念で生きているか、
また、夢日記を付けることによって、
死後、自分がどのような世界に行くかが分かる。


と同時に、今、自分がどの霊界と繋がっているかが分かり、
また、自分がどのパラレルワールドに移行するかが分かる。

そして、自分の生き方(意識の持ち方)を見直すことができる。


「鬼は人を揺さぶる、揺さぶり続ける…これでいいのか本当か?と」
(アリオン)


これは艮の金神(ルシファー)の復活による、
大地震のことを言っているのだが、
天災にしろ人工地震にしろ、天変地異も自分の投影であり、
その霊主体従主義のエネルギーで魂の覚醒を促しているのだ。

斎藤一人氏のマネではないが、分かるかい?


『日月神示』には次のように示されている↓

「世界見て己の心 早う改心致されよ」

臣民と云うものは目の先ばかりしか見えんから、
呑気なものであるが、いざとなっての改心は間に合わんから、
くどく気付けてあるのざぞ」



その「いざ」は、もう目前に迫っているのだ!!
いつまでも自我にしがみ付いて後悔しても後の祭りである。

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バシャールは次のように述べている↓


すべての「死」という物は自分自身で選んでいますから、
そういう意味では同じなんですが、
ただひとつは、普通に死ぬというのは、
そのトンネルを向こう側に歩いていっていることになりますが、
自殺というのは、そこから逃げていくことになります。


Q:なぜ人の死というのは痛みや悲しみがあるのでしょう。

バシャール:その必要はありません。私達にとっては何でもありません。
自分の肉体から、肉体を持たないエネルギーに変わるだけです。
非常にシンプルで、痛みも全然なくて、非常に楽しい体験です。

皆さんにとってそれが怖いとすれば、それは恐れからきます。
その後に何がくるか、知らないからです。
死というのも自分の人生の延長です。そうすれば怖くもありません。
そして痛みもなくなります。何も痛みを伴う必要はありません。


Q:でも、自分の死についてはそれを感じていても、
たとえば家族、父や母が死んだときとかに、
悲しまないで喜んでいたら、非常に奇異に見えるのですけれど、
そういう場合はどのように接したらいいんでしょうか。

バシャール:それはよくわかります。
でも、覚えておいてください。すべての人が、永遠の存在です。
そしてどんな苦しみも悲しみも、
永遠の中から見れば、ほんの小さな一滴の雨のようなものです。

別にそれによって、気持ちが人の死を喜んだりして、
冷たくなるということではないのです。
ただ、今言ったようなことを理解して、
暖かい心を持って、愛を持ちつづけていると、
逆にそういう人たちの助けとなることができます。

逆説的に言えることは次のようなことです。

どんな時にでも、どんな状況でも、
必ず理由があるんだということを理解できれば、
そして今自分の目の前で起きていることの理由を、
自分で否定しなければ、すべての状況は、
自分が学ぶための肯定的な状況になります。
それがわかると、どんな状況も自分にとって、
痛みを伴った状況にはなりません。

すべての痛みというのは、精神的なもの、肉体的なもの、
あなたという完全な存在の中から、
部分部分を自分で切り離しているときに起きます。
自分の人生の中で、何を発見するのかということに対して
恐れを持っているときに起きます。

自分の中で見つかったものも、
すべて肯定的に方向付けすることができるんだ
ということがわかったとき、何も怖くなくなります。
恐れることがなくなったとわかったとき、
すべてが喜びに満ちた状況になります。


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すべての死は自分自身で選択しているとのことだが、
要するに、いつか肉体は滅びるという常識に洗脳され、
「死」を前提に生きているから死が訪れるということだ。

これからの時代(覚醒期)は、
肉体のまま高次の霊界に入るアセンション時代である。


「明日死ぬとしたら、今何が一番大切か」
という日々の自問自答をすることは必要だが、
アセンションして死を克服する前に、
半覚醒して死の恐怖の克服(生死解決)が先決である。


人間にとって最大の恐怖は「死」だが、
「恐るるものは来たる」という言葉がある通り、
死の恐怖を潜在的に持っているから、
死を実現してしまうということも言えると思う。


また、死を恐れるのはその後に何がくるか知らないからだ、
という話があったが、それはその通りだと思う。

私も2歳の頃から底知れぬ死の恐怖に取り憑かれていたので、
小学校3年の頃から霊界や心霊に関する本を読むようになり、
5年生の時に丹波哲郎や隈本確の「大霊界」にのめり込んだ。


そうやって霊界についての豊富な知識を得たが、
「もし死んで霊界がなかったどうしよう」
という不安と恐怖から解放されることはなかった。


だが、霊を見たことは何度もあったし、
自分で体外離脱体験を繰り返すことで、
霊界の存在についての確信を深めていき、
実際に霊界に行けるようになったが、
死の恐怖から解放されることはなかった。


だが、魂が覚醒(正確には半覚醒)すると、
死の恐怖から解放されて安心立命の至福を得た。

とは言え、人間界でまだやりたいことがあり、
「死にたくない」という気持ちはなくならない。


やりたいことと言っても、
それは真我の理想や希望であって、
自我の執着ではないので一瞬で手放すこともできる。

また、「アセンションしたい」という気持ちが強いので、
この現世での肉体を死滅させるわけにはいかないのだ。


肉体への執着だと言われれば否定できないが、
神や先祖の守護神である霊廟である肉体本尊を、
永遠に大切に扱うことが身魂磨きでもある。

その先に、アセンションという肉体の削除が起こり、
人類の悲願、神の大願が成就することになるのである。

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「死とは住む段階の違ふ場合に起る現象ぞ。
死とは生きることぞ」
(日月神示)


その意味では、アセンションも一種の「死」だが、
実際には「生死解決」の認識から体得への移行である。

オコツトは「生きながら死後の世界に入る」と表現しているが、
これがもっともシックリくる表現だと思う。


精神科医のデヴィッド・R・ホーキンズ博士が、
キネシオロジーテスト(筋肉反射テスト)によって作成した、
人間の意識レベル指数「1〜1000」の中で、
「恐怖」は100という低い数値を示している。


ポジティブな世界に移行する為の、
意識進化のターニングポイントは、
意識レベル指数200の「勇気」なので、
何よりもまず勇気を持つことが大切である。


だがそれは、簡単には言うものの簡単ではなく、
簡単ではないが簡単なことである。

勇気は持とうと思って持てるわけではないので、
真向法や肥田式腹式呼吸法を習慣にすると良い。


骨格も意識と関係しているが、
真向法で骨盤を矯正することにより、
「腰抜け」から「腰が座った」状態になる。

また、肥田式腹式呼吸法で丹を練ることにより、
腹が座った状態になり、
多少のことでは物事に動じないようになる。

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また、人生には様々な恐怖があると思うが、
潜在的に持っている恐怖ではなく、
何か恐怖をかんじている時は、
普通に腹式呼吸をして呼吸を整えれば、
精神も落ち着くことになる。

もっとも、この場合の恐怖の克服は、
その場しのぎの応急処置に過ぎないが……。


「私は勇気がある」という自己暗示・
セルフイメージングも悪くないが、
あらゆる肯定的なアファメーションは、
「われ最高の神なり」の一言に集約されていると思う。


また、実践的に恐怖を克服する為には、
恐怖していることをやってみることである。

それによって、恐怖を乗り越えることは、
よくあることである。


私は「死にたくはない」が、一応は、
人生最大の恐怖である「死の恐怖」は克服している。

だが、私にも恐怖というものはある。


普段、恐怖を感じることがないので思い付かないが、
例えば電車に飛び込んだり、ビルの屋上から飛び降りたり、
そのような光景をリアルにイメージするとゾッとする。

それで潜在意識が汚れるので、即浄化が必要である。


潜在意識は人類の集合的無意識と繋がっているので、
自分の悪想念は人類全体に影響を与えるので、
悪想念に気づいたら猛反省してひたすら謝罪である。

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当たり前のことだが、
恐怖の感情は幽界と繋がる悪想念である。

だが、恐怖の克服の為に、
ビルの屋上から飛び降りは出来ない(笑)


その理由は、死んでしまうからだ。
それは「死ぬ」と思っているからである。

つまり、私はまだ完全に
死の恐怖を克服したとは言えないことになる。


死の恐怖を克服していない以上は、死が訪れる。

完全に死の恐怖を克服した時に死の克服者となり、
ビルの屋上から飛び降りても死なない、
死んでも完全体で復活することが起こるのだと思う。


その為には魂の覚醒度(意識進化)を高める必要があるが、
その為には「真向法」や「肥田式腹式呼吸法」の実践は、
バカに出来ない大切なメソッドである。

「神泉組1」と「神泉組2」をセットにしているのもその為で、
1人でも多くの人が取り組んでくれることを切に願っている。

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折角なので、さっき検索した時に出てきた、
意識レベルのマップを転載しておきたい↓


■恥:20
「恥」は、死に最も近いものです。
なぜなら、恥があるからこそ意識的に自殺が選ばれるか、
人生を維持していこうとする手段を選択しないからです。

■罪悪感:30
私たちの社会で、人を操ったり罰したりするために
よく使われるのが、「罪悪感」です。
それはさまざまな表現をもって現れます。
自責の念、自己非難、マゾヒズム、それから犠牲心など、
これらの徴候のすべてに罪悪感は行きわたっています。

■無感動:50
このレベルは貧困、絶望、希望を失うといったことが
特徴として挙げられます。世界や未来は灰色に見えるでしょう。
哀れさを誘う気持ちが人生の中心となります。

■深い悲しみ:75
このレベルは悲しさ、損失、依存に関係しています。
人はだれでも一時期このレベルを経験しますが、
このレベルに固定されてしまうと、人は絶えず続く
後悔の中でうつ病のような生活を送ってしまいます。
これは、過去に関する悲しみや死別、後悔のレベルです。

■恐怖:100
100のレベルになると、エネルギーが出てきます。
危険に対して恐怖を抱くことは、健全だということです。
敵に対する恐怖、老いたることや死に対する恐怖、
拒否されることへの恐怖など、数多くの社会的恐怖が、
ほとんどの人々の生活における基本的な動機づけとなっています。

■欲望:125
さらにもっと多くのエネルギーが、このレベルで出てきます。
「欲望」は、目標を達成するか、
その見返りのために努力をするようにと、私たちを動かします。
お金や名声、パワーを得ることに関わる欲望が、
恐怖のレベルから抜け出した多くの人々の優先的な人生の動機となります。

■怒り:150
「怒り」は、殺人や戦争に通じるのかもしれませんが、
エネルギーレベルとしては「死」からはるかに遠いものです。
怒りは創造と破壊のどちらにも通じることができます。

■プライド:175
自尊心が湧いてくると、
意識の低いレベルで経験したすべての苦痛は和らぎます。
一般にプライドはプラスに評価されていて、
社会的にも奨励されるのですが、意識レベルのチャートから見ると、
200という臨界点のレベルより下に留まっているため、
まだネガティブな状態だといえるでしょう。
これはプライドが、優越感に浸れるに過ぎないものだからです。

■勇気:200
200レベルにおいて初めて、
「フォース」から「パワー」へと展開します。
「勇気」は新しいものを試みながら、
人生の変化と挑戦に立ち向かう意欲を意味します。
能力が与えられるこのレベルでは、
人は難問にも対処できるようになり、
また人生のチャンスを上手く生かすことができます。

■中立:250
250未満では、意識は物事を二つに分けて見る傾向があり、
白黒で分けられない複雑で多因性の世界の問題に対しても、
どちらかに固執する姿勢をとります。
しかしそのような姿勢を取れば、二極性が生じて反対や分裂を作ってしまいます。
人のエネルギーを消耗させる対立を超えると、「中立」の状態となります。
ここでは柔軟さがあり、批判的にならないので、現実的な評価ができるようになります。
「中立」であることは、結果に比較的こだわらないことを意味します。
自分の思いどおりにならないことに対する恐れや苛立ちは、もはや経験しなくなります。

■意欲:310
「意欲」のレベルでは仕事はうまく進み、
すべてのプロジェクトが成功するのは当たり前のことになります。
このレベルでは、だれにでも好意をもって接する人間になるので、
社会的にも経済的にも成功は自動的についてきます。

■受容:350
「受容」のレベルにある個人は、
正しいか間違いかを決めることに関心はなく、
その問題の解決策を見つけだすことに全力を尽くします。
「受容」のレベルでは、争いや抵抗によって二極化することはありません。
他の人たちも自分と同じように権利があるので、平等さを尊重します。

■理性:400
これはノーベル賞受賞者や偉大な政治家、最高裁判長といったレベルです。
アインシュタインやフロイト、そしてほかにも
歴史に残る偉大な思想家の多くがこのレベルで測定されます。

■愛:500
500レベルは、無条件かつ不変で永久的な愛の発展によって特徴づけられます。
このレベルに達すると、物事の本質を識別する能力が優れてきます。
理性を使わずとも、問題の全体性を瞬時に認識する能力が生まれます。

■喜び:540
540以上のレベルは、聖者や高度な精神の探究者、ヒーラーなどの領域です。

■平和:600
このエネルギーフィールドは、
「超越」「自己実現」「神意識」と呼ばれる状態に関係しています。
この状態に達すると主観と客観の区別はなくなり、
そして知覚は、どんな特定のフォーカスもありません。
このレベルに達した人は、至福の状態が連続して起こるため、
自らを世界から切り離し、通常の生活をやめてしまうこともしばしばです。

■エンライトメント(悟り):700〜1000
このレベルでは自他が分離せず、
むしろ自己の意識と神の意識が一体化します。
心を超越した大いなる自己を無限に感じるのです。
これは二元性がまったく存在しないレベルであり、
あるいは完全たるワンネスのレベルです。
意識が局部に集中することはなく、意識は至るところに平等に存在します。


この意識レベルの指標を作ったホーキンズ博士は、
意識レベル1000に到達しているらしい。

私は自己判断で1000に達しているつもりだが、
以前、母親の協力を得て、
キネシオロジーテストをしても1000だった。


釈迦やイエスはもちろん、Kan.氏などは、
1000を遥かに超越していると思う。

Oリングでヨグマタを測定したことがあるが、
700以下で、知花敏彦氏や政木和三氏の方が高かったが、
その紙を断捨離してしまったので残っていない。


だが、脳波が完全にシータ波出ない時に測定しても、
観念が入るので正確な数値は出せないと思うし、
人間はその時その時によって意識レベルが変化するもので、
私も時として、最低の20「恥」の瞬間もある(笑)

私がヨグマタの意識レベルを測定した時、
ヨグマタは腹いっぱい好きなものを食べていたり、
金儲けのことを企んでいたのかも知れない(笑)



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posted by ZERO at 00:50| Comment(0) | 意識進化 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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