2014年06月25日

アセンション時代の共育革命

絵本のある子育ての中で教育破壊について書いたが、
親の世界では子供は親の投影である。

即ち、子供という存在は自分を知る為の鏡なのだ。

内海康満氏の持論では、
「親」という字は木の上に立って見ると書く通り、
高い所から温かく見守るだけでいいとのことである。

中国の超能力者・孫儲琳も、子供の教育について、
「流れに任せている」と述べている。

だが、ただ見守って流れに任せるだけではなく、
自分の分身ともいえる我が子こそ、
「他者は自分の投影」を最も顕していると思う。

故に、「共育」という字が相応しいと思うのだが、
如何に子供を理解するかが子育てで大切なことだと思う。

特に今の時代の子供たちは、
インディゴチルドレン、レインボーチルドレン、
クリスタルチルドレンなどと呼ばれる、
新しい世界を創造する新人類が数多く誕生しているという。


そこで、今回もKan.氏の話を紹介したい↓

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ゲームの世界に見る次元超え

今の若い人たちがSNSやツイッター、フェイスブック、
メールなどで絵文字や顔文字を使っているのは、
文字だけよりも共感できるからです。

絵文字や顔文字を入れることで
細かい気持ちが伝わりやすくなるのは、
ある意味、三次元を突破しています。

ある程度の年齢をいった者には解読不可能でも、
若い彼女たちが深い所まで分かり合っているとしたら、
それは次元を超える領域に入っています。

ある世代のゲームをする手さばきは、明らかに進化していて、
今までとは違う脳と手の関係が生まれています。

今の格闘ゲームは、オリンピック競技に勝るとも劣らない、
遥かに高度なことを要求されています。

現時点でどのくらいの点数で負けていて、
駆使できる技は何か、
的確に逆転するにはどうしたらいいかなど、
考えれば三十分はかかりそうなものを、
残り時間0.5秒で判断し逆転するのです。

そういったことができる人を、
引きこもりと呼ばれているような人が尊敬していますが、
そこにあるのは単に、家の中で過ごすタイプの人が、
ゲームのチャンピョンに憧れているという図式ではありません。

明らかに相当な次元に参入した技を持つ人がいて、
それが三次元に興味もモチベーションも持たない人達に響き、
リスペクトされるという図式があるのです。

家に閉じこもっているだけと見られがちな彼らですが、
興味の向く対象にはきちんとリスペクトしています。

今はそれがゲームの世界に限られているだけで、
彼らの能力がこの世界にリンクしていないだけのことです。

今後、彼らは日常を生きることで、
次元を超えていくのではないでしょうか。

私にはその予感があります。
もちろん、彼らにも催眠状態の部分はあります。

そこを喝破していけば、次元の境界を超えて
自由なテクノロジーを駆使できる可能性があると思うのです。

今の日本が抱えている問題を凌駕していくテクノロジーの
世代が確実に育っているといえるでしょう。



転載終了

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私は19歳以来、ゲームはしていないので、
かれこれ17年くらいはゲームと疎遠になっている。

あれからゲームもかなり進化していると思うが、
当時は当時なりに高度な技術を要求されたし、
それなりの脳トレにはなっていたかも知れない。


もちろん、ゲームだけに意味があるのではなく、
ゲームをしていない引きこもりの人も、
マクロで見れば、それなりに必ず意味があるものだ。

たまに子供の引きこもりについて相談があるが、
4月か5月かに不登校の高校生のことで相談があった。


私も小学校5年から登校拒否を始め、
高校もろくに行っていなかったのだが、
だからこそアドバイスができることもある。

私の回答は、「高校は義務教育ではないから、
無理に行かせる必要はない」というものだった。


義務教育であっても、法的に義務付けられているだけで、
本人の自由意志を尊重して、強制するべきではない。

怠けであったとしても、それは学校が面白くないからで、
家で何か趣味に没頭して、自分でしか学べないことや、
それによって得られるものがあり、それは将来、
何か開花させる才能が育成されているかも知れない。


また、無気力で寝たきり生活の子供の話もあったが、
それはそれでボーッと何かを考えていて、
ある時は瞑想のような無思考状態で過ごしていて、
それが必要な使命期間であるかも知れない。

それが何年続いていようと、
成人してからも続いていようと、
子供は子供なりに将来のことを考えていて、
考えていなくても成るようにしか成らないので、
親はどこまでも子供のことを信じることが大切だ。


それではKan.氏の話の続きを紹介したい↓

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大人世代がすべき発想の転換

私たちがテープレコーダー状態から脱すると、
この大変な時代をもって生まれてきた存在が
ちゃんといることに気づきます。

「何というとんでもないものを次世代に残してしまうのか」
と苦悩する前に、今の若い人たちをきちんと
みてあげているだろうかと見直す必要があります。

遠い未来の世代を心配しながら、今の若い世代が潜在的な
力を発揮できずにいる状況をそのままにしているのは、
明らかに私たちの世代の責任です。

今、目の前にいる彼らを自分たちの価値観で裁いて、
「ゲームばかりやっていてはだめだ」
と文句をいうだけで終わるのでは何の発展もありません。

ゲームは表面的なものに過ぎず、その奥を見れば、
若い世代には、新しい時代に対する準備が
格段に進んでいることが分かります。

若い世代と大人世代は、
同じ世界に住んでいない感じがあるだけです。

ある年齢になると、
「最近の若い者は」と愚痴を言いたくなるのは、
古代エジプトでも現代にしても同じであって、
単なる刷り込みに過ぎません。

もちろん、若い世代の全員が使える人材ではありませんが、
それはどの世代においても同じことです。

先入観なしに若い世代を見てみてて下さい。

明らかに私たち大人世代にはないものを持つ彼らと、
どうしたらリンクして、彼らの叡智をこの世に活かす
ことができるだろうかと、発想を転換してみるのです。



転載終了

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引きこもり傾向のあるインディゴチルドレンは、
社会不適合者のレッテルが貼られることが多いが、
新しい世界を創造する使命を持って、
他の星から転生してきた魂だと言われているので、
現代の地球社会に馴染めなくて孤立して当然である。

また、心療内科では、発達障害やアスペルガーなどの
病名が付けられたりすることが多いそうだが、
微妙に違うとも言われている。


だが、恐らく同一の精神疾患だと私は思う。

しかし、それは蝶になって羽ばたく前のサナギ状態で、
復活とアセンション前の十字架の磔状態であるともいえる。


つまり、引きこもりは一種の通過儀礼であり、
その想念界では着々と復活に向けて準備が進行し、
新しい世界を創造する時期と出番を待っているのかも知れない。

要するに、マクロで見れば全肯定ではあるが、
ミクロで見れば肯定できないことは分かっている。


少なくとも、心身ともに健全な状態とは言えないし、
心身の健康に導いてやることが親の務めだと思う。

そのような精神疾患の基本にはウツがあると思うが、
太陽瞑想で松果体を活性化させて、
メラトニンの分泌を増やせば簡単に治るもので、
食事改革や掃除で治った例も数多くある。


また、適度な運動をすれば精神疾患にはならないし、
頚椎を矯正して神経伝達を良くすることでも治る。

もちろん、内観でも治ることは言うまでもないが、
問題は本人がそれらのメソッドを実践するかどうかで、
あとは親の問題である。


つまり、我が子は自分の投影なので、
ホ・オポノポノを根気よく実践することである。

ヒューレン博士も、患者の誰とも会うことなく、
カルテを見ながら自分の潜在意識を浄化することで、
重度の精神病患者を5年間で全員退院させて、
精神病棟を閉鎖に追い込んでしまった実績を持つ。


だが、かつての私がそうだったが、
何をやっても効果がないとすれば、
それはもう完全な使命期間として、
そのような役割を演じさせられているのである。

従って、全て必然・必要・ベストで最善で、
良い意味で諦めて、信じて温かく見守り、
干渉し過ぎずに優しく接するしかないだろう。


良い意味で諦めるというのは、
羽化することを過去完了形で決定して、
親心の執着をなくすということである。

出産で例えれば、早く求めることは流産と同じである。


この話は長くなるので、またの機会にするが、
最後にもう一発、Kan.氏の話を紹介しておきたい↓

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本当の出会い

子供世代や若い世代がゲームに没頭するのは、
ゲームにリアリティを感じているからです。

子供時代にゲームがなかった私たち世代からすると、
ゲームなんてしょせん人が作ったもの、
という醒めた視点がありますが、生まれた時からあれば、
ゲームの中に世界があるように感じられるのは自然なことでしょう。

「同じ地球を共有しているのに、なぜ平和が実現しないのか?」
というジレンマも、ゲームにリアリティを感じるのと同じことです。

世界にみんながいる、という錯覚の上で成り立つことです。
この錯覚から覚めたところに、本当の世界があります。

世界の平和は、自分たちの外側に実現するものではなく、
内側に発見するものです。

外側を説得すると戦争になりますが、
内側に世界を発見すると、相手に出会うことが起きます。

一人一人が内側にそのスペースを発見すると、
「あ、いたのね」という感じで相手が出てきて、
相互理解が訪れるのです。

宇宙というのは、そういうふうに説いていくものです。

「今、私は自分の身近にいる登場人物と、
本当にであっているのだろうか?」と問いかけるべきです。
殆どの人が「やっぱり出会っていない」と感じると思います。

本当に出会うには、自分の世界を他人に押し付けていてはだめです。
自分の中にまだ発見していないエリアを探し出す必要があります。

まだ発見できていないところに触れたとき、
「ああ!出会えましたね!」となり、その「ああ」があって、
初めて隣人と出会うことが起きるのです。



転載終了

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後半部分は、私が前ブログの何かの記事で、
最も読者に伝えたかったことと同じだが、
4次元、または5次元の世界の話なので、
文章で表現するのが非常に難しかった。

Kan.氏の話にはまだ続きがあるが、
私の断捨離も進めていかなければならないので、
しばらく色々なジャンルの記事を更新することにする。



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posted by ZERO at 07:15| Comment(2) | 意識進化 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント

おはようございます(^O^)/
朝から忘れ物をして朝から焦っしょん…いえ、何でもありません(滑る駄洒落封印の術…忍)

こんな馬鹿な私も思春期は人一倍焚かん…多汗症…いえ多感でしたので、ご相談者のお子さんと同じく不登校になってしまいました。

私の母方の1つか2つ程下の従兄弟は同じ時期に不登校になってしまい、そのまま引きこもりとなり、下の妹が母となった今ももう四十路を過ぎた今も実家にいて両親と暮らしています。

男性の場合は一度挫折してこじらせてしまうと事態の深刻化を招いてしまう気がします。

思えば、私の場合は『外に出るきっかけ』が音楽でした。昼夜逆転、自宅で絵を描いたり、深夜はFMラジオを聴いていたりしましたが、FM雑誌を買った時に話題の新人ミュージシャンの記事があり、その人に興味を持ってコンサートが観たくなり、進級出来ず留年したけれど春から蕎麦屋でバイトを始め、結局高校は中退しました。

しかし、そんな中でよかったことといえば、今振り返ればやはり時間があったので、好きな絵を何枚か描きためたり、漫画の構想を練ったり出来たことです。しかし、所詮経験のない、未熟な少女の発想と憧れの世界でしたので、中途半端なまま、学校を越えてそのまま社会や音楽の趣味の世界に出て行きました。そのため今そのツケでの苦労も全くないとは言えませんがとりあえず生きて笑っています。

何か本当に好きなことがあれば、例え挫折をしても光明はあるはずだ、というのが私の拙い経験からの持論です。

最近になり、先祖代々の因縁などもあるのかな、と自分以外の親戚トラブルをみたりきいたりして思う所もあったりしています。

しかし、すべては宇宙からみれば偶然必然で、その中で自分が光となり、道標を見出すことで生きていけばいいのだと思っています。

(コメントを書いていたら乗ったバスが行先違いであることに気がつき、慌てて降りてトボトボ歩いていますが、これも偶然必然ベスト?!ですね(^◇^;))
Posted by 隠れ読者(先生じゃありません) at 2014年06月25日 09:09
隠れ読者(先生じゃありません)さん、こんにちは。


偶然必然ベストではありません^^;

世の中に偶然はなく全て必然なので、
必然・必要・ベストです。

どれだけ不幸に思える出来事も全ては最善なのですよ^^
Posted by ZERO at 2014年06月26日 01:29
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