2014年06月24日

2つの「私」とダブル・アテンション

今回の記事では、私が今まで書いてきたことを、
もう少し深い理解をしてもらえるかも知れない。

引き続き、Kan.氏の著書『時空を超えて生きる』
の中から一部転載させて頂きたい。

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二つの「私」

私たちはこの世に生まれ、名前を付けられます。

最初は○○ちゃんと呼ばれても、自分のこととは思いませんが、
あるとき何かの拍子に○○ちゃんと呼ばれて振り返ったら、
周りの大人に喜ばれました。

それが心地よかったので、次に○○ちゃんと呼ばれた時も、
振り返るようになります。

そのうちに見知らぬ人から○○ちゃんと呼ばれて振り返ったら、
「うわあ、かわいい!」と言われました。

こうして徐々に、○○ちゃんという響きと契約を結んでいきます。

恐らく大多数の人が生まれて初めて遭遇する言葉は、
自分につけられた名前でしょう。

「私」という存在は実は二つあります。

どこかからこの星にやってきて、
何も条件づけられることなく存在している「私」と、
気がついたら社会に育まれていたという
「メイド・イン・社会」の「私」です。

生まれてしばらくの間、私たちは感性を携えていますが、
物心つく頃には、日々さまざまなことを
インプットしてできあがった「メイド・イン・社会」の
「私」が主流になっています。

それは自動販売機よろしく、インプットされたものを
アウトプットするだけの存在、別名「人間機械」です。

生まれた国の社会に馴染んで生きる上では役立つ
「メイド・イン・社会」の「私」ですが、
果たしてその私で生きることは、
本当に生きているといえるでしょうか?

自分から出てくるものは感性ではなく習ったものだけ、
そんな反応主体の人生を、人生と呼べるでしょうか?

自分の個性、自分の感性と主張するわりには、
誰もが似通った人生を送っているのは、
生まれた時に携えていた感性を使っていないからです。

自分の「奥」に届かないうちに、
物事に反応するだけの人生を送っているからです。

私たちは学校を卒業したら会社に就職するのが当たり前、
それが人生だと思い込まされて生きています。

そのレールに乗らなければ、周りから取り残される
と煽られて社会人になってきます。

でも本当にそうでしょうか?

同じ時期に高校に入り、同じ時期に大学に入り、
同じ時期に就職しないと、人生に乗り遅れてしまいますか?

それこそが幻想ではないでしょうか?

ふとしたきっかけに、「この先、何十年か会社に勤めて、
自分の人生は終わっていくのか……」という思いがよぎり、
「あれ?それでいいのかな?」と立ち止まります。

そこで初めて周りを見渡し、自分を見つめ、気づくのです。

人と人は同じ世界を共有し、
繋がり合って生きていると思っていたけれど、
よくよく自分の人生を吟味してみると、一番親しい人とさえ
理解し合えていなかったのではないか、と。

あるいはそれは、人生のドラマを通じて起こるかもしれません。

最初は人のせいにして片付けていたけれど、
それをきっかけに、実は思っていたほど
人は人と関わり合っていなかった、
私たちは本当に同じ世界に生きているのだろうか、と。

当たり前に持っていた前提が揺らぐのです。



転載終了

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二つの「私」、すなわち、
何も条件づけられることなく存在している私が「真我」で、
気がついたら社会に育まれていたという
「メイド・イン・社会」の私が「自我」である。

真我は「私は何者でもない」というZEROの状態だが、
全てを包含する「何者でもある」という状態で、
さらに「私は遍在である」という認識を持っている。


【ユダヤ人大富豪の教え】の第2話で紹介されていた呪文

「私は何者でもない」

これが覚醒者と呼ばれる人たちの意識状態で、
森田健氏も5次元に行く時に「あなたは誰ですか?」と質問され、
問答の末に「私は誰でもありまでん」と応えて関門を突破した。


私も今度、警察に職務質問をされたら、
「私は誰でもない」と言い通そうと思う。


一方、自我は「私は○○である」「私はこういう人間である」
という個人としての意識で自己限定をしたものである。

従って、私にとっては自分の名前さえも、
単なる現世での仮の姿に対する名称に過ぎない。


真我とは魂の意識であり、
自我はその影である肉体の意識(心)だと言える。

自我を「偽我」ともいうが、
その偽我を自分だと信じて疑わないのが人間である。


それをKan.氏は、インプットされたものを
アウトプットするだけの存在「人間機械」と呼び、
その私で生きることは本当に生きているといえるでしょうか、
と訴えかけているのである。


また、自我はこの1つの地球に自分と他者が存在し、
数多くの人類が存在していると錯覚しているが、
それは全て幻想であって、
人は誰1人として同じ世界に生きておらず、
誰1人として直接的に交流していないという世界観、
Kan.氏も述べている通りである。

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インプットしたものをアウトプットするだけ=人間機械

私たちは自分の環境にあるものをインプットして、
自分の世界というものをつくりあげでいます。

一人一人が別々に自分の世界をつくっているというのに、
なぜかみんな同じ世界にいると錯覚しています。

だから、わかっているつもりになって、
わかりあえなければ「裏切りだ」とまで思います。

地球というのは不思議な場所で、
みんなと同じ世界を生きる為に生まれてきたはずなのに、
一人一人が違う世界を引き受けたまま、
そこから逃れることのできない現実を抱えています。

自分の人生をさらっと眺めた時に、
「ああ、自分は機械なんだ」という自覚はあるでしょうか?
その自覚があれば、まだいいほうだと思います。

人と人が、自分の存在の奥深くで響き合うことなく生きること、
機械と機械がコミュニケーションしているように生きること、
感性ではなく反応だけで生きることを「催眠状態」といいます。

テープレコーダーにたとえると、分かりやすいかもしれません。

始めて言葉を獲得した時、人は自分の内側から出てきた言葉を
声に乗せて会話していました。

今は、相手に会った瞬間、レコーダーのプレイボタンを押して、
あらかじめ録音されたものを流しています。

プレイボタンをチャット押して、
「こんにちは」と言っているのです。

互いにレコーダーで対応しているので、
相手の言うことなど聞いていません。
それぞれが録音したものを流し合って終わりです。

本当の会話をしたいと思っても、
したいという思いだけで終わって、
実際にそこから何かが生まれることはありません。

テレビの討論番組でも、最初から最後まで
意見が変わらないのはそういうことの顕れでしょう。

人の生命というのは最後まで神秘的なものです。

その神秘的な時を、自分の大切な
人がまるで機械のように扱われて葬られる、
そのことに違和感を持たない人はいるでしょうか?

それでもなおそうしたことが横行しているのは、
私たちがインプットしたものを世界と思い込み、
生きることに生命感覚を失っているからです。



転載終了

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「メイド・イン・社会」の人間機械で生きていることは、
生きることに生命感覚を失っているという。

つまり、自我を主体として生きることは、
真我(5次元)と切り離された状態なので、
生命エネルギーが流入してこないのである。


恐らく、不食だったと言われる原初の人類は、
自我が発達して生命エネルギーが得られなくなり、
間接的にエネルギーを得るようために、
食物を食べるようになったのだろう。

だが、自我で生きていても、イキイキと目を輝かせ、
人間機械のように見えない人もたくさんいるが、
それについて内海康満氏はこう言っている↓


仕事にも遊びにも積極的で、生き生きとし、目も輝いている――
そういう人に対して世間の人は好意的な目を向ける。
「すばらしい」「うらやましい」などと言うこともある。
少なくとも悪い評価はしないだろう。
しかし、生き生きしているのはともかく、
私から言わせると、目を輝かせているのは、
現世にどっぷり浸かっていることを示しているに過ぎない。
人生の真実を識っている人間は、
外界に目を奪われることがないので、目を輝かせたりはしない。
かといって、暗い目でもなく、沈んだ目をしているわけでもない。
曇りのない、素の目をしているものなのである。



もちろん、一概には言えないと思うが、
もう1話、Kan.氏の話を紹介しておきたい。

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本当の世界が立ち上がる時

「外側からインプットされたものが自分だ」
という感覚から覚めると、
「自分は何処から来たのだろう?」
という間隔をグッと掴む段階がやってきます。

そこまで来ると、自分の意識が二ヶ所にあることに気づきます。

一つは、内側をしっかり実感しながら、
外側という物質的な世界もあるという実感。

もう1つは、まったく形のない世界の近くです。

「内側を実感しながら、外側の物質的な世界を見ている」
といっても、通常、私たちの意識は
一方向(シングル・アテンション)になりがちです。

つまり、「内側の世界だけを見ているか」あるいは、
「外側の世界だけを見ているか」のどちらかの状態で生きています。

それがきちんと二方向(ダブル・アテンション)に向くようになると、
つまり、「外側の世界も見ると同時に内側の世界も見る」
ことができるようになると、
その向こうに「形のない世界」が立ち現れてきます。

そのとき、目の前に展開するのは物質的な世界でも、
自分がここにいるということは、
形のない世界があるからだ、という気づきが訪れます。

そして、ドラマではない本当の世界が立ち上がると同時に、
たとえば算数の約分をして8分の4が2分の1になると
気持ちがいいように、スカッとした感覚に落ちます。

言葉にすると難しいですが、悟りを開くというのは、
2つのアテンションのバランスが完全にとれた時に、
主体も対象も落ちるという感覚です。

それはときどき垣間見る臨死体験とは別の体験で、
「『唯一存在』即『唯一非在』というものです。

その世界が立ち上がった時に、人生を生きるとは、
物質の世界と形のない世界を繋ぎながら、
本来の存在で生きるものになります。



転載終了

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2つの自分の意識(真我と自我)は比喩ではなく、
全く別個の意識体であるかのように独立的に存在し、
そのことを過去に何度も繰り返し主張してきたが、
そのようなことを明確に説いている人は皆無だった。


だが、Kan.氏は明確に、
「自分の意識が二ヶ所にあることに気づく」
と述べていて、非常に嬉しく思う。

また、私が認識する世界観は説明困難で、
なかなか理解してもらえなかったと思うが、
Kan.氏がいう「ダブル・アテンション」と
その向こうの「形のない世界」がその通りである。


内側の世界と外側の世界を同時に見ているのは自我だが、
内外を同時に見れるようになると、
その向こうの「形のない世界」が現れるのである。

その形のない世界とは「真我の世界」であり、
真我の意識が目覚めて、もう1つの意識を獲得するのだ。


その真我の意識が真の我だと自覚しながら、
真我と自我の2つの意識を持つようになるのである。

「その向こうの形のない世界」とは外側か内側かというと、
真我の意識は胸で感じるがその実体は外側に感じる。


従って、真我(魂)は肉体の外側に存在し、
心臓を中継センターとして、
自我(心)と繋がっていると考えていた。

また、真我の意識(世界観)では、この3次元の世界
(外側の世界)を「内側」だと知覚しているので、
肉体の外側に展開する宇宙は真我の内側ということになる。


その意味では、Kan.氏のいう「その向こう」とは、
宇宙の外側だということになる。

最近の検証結果では、その宇宙の外側というのは、
どうやら太陽系の外側らしいことが分かってきたが、
その外宇宙に出る為には、
ハートチャクラから内宇宙を通って行くので、
「その向こう」とは肉体の内側とも言えることになる。


森田健氏も内側と外側は繋がっていると言っているが、
私も体外離脱をして内側から戻ってきたり、
いつの間にか明晰夢に変わっていたり、
或いは体内離脱をして肉体の外から戻ってきたり、
内外が繋がっていることを知る体験をしてきた。


また、感覚的・理論的に、
「内外反転」から「内外一致」という真理を、
4年前から提唱していた。

イメージ的には、よく載せている下図が分かりやすい。

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今始めて気づいたが、よく見るとこれは懐中電灯である。

それはともかくとして、
スポットに照らされた黄色の三角の部分を宇宙とする。


その周囲の黒い部分が宇宙の外、
正確には太陽系の外(5次元領域)である。

そして、源の光というのが真我の視点であり、
天空に輝く太陽でもある。


この三角の部分、つまり太陽系は、
自分の真我が見ている夢の世界なので、
そこに登場する他者は全て自分の投影である。

他者の肉体に触れて「存在するではないか」という人もいるが、
バーチャル・リアリティの世界なので、
自我が「現実」だと錯覚しているに過ぎないのであり、
量子力学でも物質の非実在性が証明されている。


バシャールが「夢は見ている間は現実」と言っていたが、
その表現もナイスだと思う。

夢の中で何か物を触っても「存在する」と認識するし、
頬をつねって「痛い!これは夢ではない」と思うのと同じだ。


むしろ、睡眠中に見ている夢は一種の霊界なので、
この3次元の世界よりも「現実」だということもいえる。

要するに、真我(魂)の覚醒というのは、
この人間界での生活を夢だと認識して自覚することである。


だが、夢から覚めると夢の世界が消えるのと同じで、
魂が完全に覚醒すると、自分が存在する人間界も消滅する。

もちろん、人間としての自分が死んでも、
自分が生きてきた人間界は消滅することになるが、
Kan.氏も全く同じことを説いているので改めて紹介したい。



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posted by ZERO at 03:29| Comment(0) | 意識進化 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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